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詩人 藤川幸之助の まなざし介護 2010年03月

人は関係性の中で生かされている

「紙おむつ」
  
ポイントが五倍も付くというので
特売日に母の紙おむつを買った
この際にと欲が出て買い込みすぎた
この重さが母の残された命かもしれないと
重さをしっかり受け止めて
汗だくで歩いた

いつものように病院の棚に
母の紙おむつを積み足す
減った分を補い
煉瓦のように並べていく
母の命を必死に取り戻すように
手際よく紙おむつを並べる
このどの辺りかで母は死ぬかもしれない
棚いっぱいになった紙おむつを見つめた

母のおむつを替えた
使用済みの温かい紙おむつの
重さ、臭さ、黄色の鮮やかさ
母は生きている
減っては積み足し
積み足しては減っていく
まるで月の満ち欠けのようだ

減った一つ分の紙おむつを積み足すと
母の病室の窓から月が見えた
明日にも消えてしまいそうな三日月
三日月はなくなってしまうのではない
見えなくなるだけだ
母の命も同じだと
何度も何度も自分に言い聞かせて
病院を後にした

tunnel.JPG
イラスト=藤川幸之助

 去年の春4月、桜の咲く頃このブログを始めた。母の病院に咲く桜を見ながら、母が桜を見るのは今年が最後になると思っていた。来年の春は母のいない春だと。おむつを棚に並べながら、「このどの辺りかで母は死ぬのかもしれない」と思った。病室を離れる時、「生きた母とはこれが最後になるかも」と毎日毎日思った。2時間の講演が終わった後、携帯電話を見るのが怖かった。母が亡くなったとの知らせを聞くのが怖くて怖くてしょうがなかった。そんな、小心翼々な私を余所に母は今も元気でいる。
 その母とのことを書いてくれとこのブログを頼まれて、1年間書き続けてきた。この1年間はとにかく忙しかった。北海道から沖縄までいろんな所で講演をし、いくつかの雑誌の連載を掛け持ちで書いて、本も作った。そんな中で、ブログを書いた1年だった。旅先で、列車の中で、飛行機の中で、空港で、駅のホームでブログを書いた。書いてきたものを振り返ると、自分のことながらよくもこんなに毎週毎週書いてこれたものだと感心する。もしかすると私が書いたものではないのかもしれないと錯覚のような感じさえする。
 毎週、読者の皆さんのコメントが書く励みになった。講演会に行くと、「ブログ読んでいます。頑張ってください。」という励ましに、書く意欲が湧いた。時には、ブログの中の○○ですと、講演後の本のサイン会にブログのコメントを書いた方が現れて、励ましてくれた。このブログ担当の編集者が、毎回毎回私の拙文を読んで、褒めてくれた。これは、私だけで書いたものではないなあと思う。このブログを読んでくださる皆さんに支えられて書き続けられたのだと、つくづく思うのだ。
 私が1年間書き続けたこのブログで一番書きたかったことは、「介護」のことでも、「認知症」のことでもない。「人は関係性の中で生かされている」ということ。母と私がそこに居て、存在しあうこと自体に大きな意味があるということを、このブログを通して感じていただければと思って書いてきた。そして、読者の皆さんがこのブログの向こう側にいて、そのブログを読んでくださっているということが、どれだけ書き続ける私の励ましになったか。不遜を承知で書かせていただくと、皆さんにとってもブログ全てとは言わないまでも、その中の一つのブログが、もしくは私の詩やブログの一文が、励ましになり、支えになった時もあったのではないかと思うのだ。読者あっての物書き。「人は関係性の中で生かされている」ということを、深く感じた1年だった。このブログを閉じるにあたり、このブログを読んでくださった方々一人一人に心から感謝したい。

最後に詩を2編。

「皺(しわ)」
          藤川幸之助

母の病院へ自転車で向かう。
道路の起伏がよく分かる。
上り坂がくると
尻をサドルからあげて
ひとこぎひとこぎ
坂の頂上を見つめて上っていく。

上ったら下らなければならない。
下ったらまた上らなければならない。
この上り下りは
ただ平坦な道より
私の足腰を鍛える。
道の凸凹にあわせて前に進む。
道の凸凹を全身で感じる。
通りすぎる風を肌で味わう。
この道のことがよく分かってくる。

病院へ着くと
母は大きないびきをかいて眠っていた。
上り下りする額の皺と
私の知る母の人生の浮き沈みを重ねてみる。
このどこら辺で父と出会い
このどこら辺で私が生まれ
このどこら辺で母は認知症を患い
私が母のオムツを
替えはじめたのだろうかと。

いびきがあんまりうるさいので
咳払いをすると
母が顔をしかめて
額の皺を一段と深くした。
このどこら辺で母は…。
「お母さん、息ばせんばんよ。
 きつか時には呼びない。
 すぐ来るけんな。ゆっくり寝ないよ。」
これが生きた母に会うのは
最期になるかもしれない。
毎日必ず言って別れる
明日会うための呪文のような言葉。

「命に寄り添う」
                藤川幸之助

命に寄り添う
私のイメージ通りに動かない認知症の母
思い通りにならないことが
当たり前の空間
私も母のそのままを受け入れ
母も私のそのままを受け入れる

命に寄り添う
その命の少しの変化も見逃さないこと
その命の少しの変化にも動じないこと
深い深いまなざしを
その命に向けること

命に寄り添う
深いイマジネーション
言葉のない母の心を読み取る
言葉のない母の心の痛みを
自分のこととして感じる

命に寄り添う
思い通りにならない人生の流れ
その川底の石ころのように
重なり合い
寄り添い合う
寄り添う私が
母に寄り添われ
母と一つであったことを
私は思い出す
体という境界線を越えて
母が私になり
私が母になる
支える側が支えられ
支えられる側が支え続ける

◆岡山太助さん、コメントありがとうございます。nobimamaさん、コメントありがとうございます。今日はお二人のコメントが体験からの言葉であり、とても深く関連していますので一緒に取り上げて、私のコメントを書かせていただきます。「在宅介護も10年を超えました。」と、岡山太助さん。岡山さんのこの10年、いろんな経験をされた10年だったと思います。講演で全国を回るうちに、在宅で介護されている方々にいっぱいお会いしてきましたので、岡山太助さんのこの10年は私の想像もつかないほどの大変な毎日だったと思いますし、その辛さゆえ、ともに生きる日々の喜びもまた一入であったのではと思います。「我が親を施設に託す息子・娘さんたちとは距離を置いてきました。というか、いろんな事情があることを承知してはいるのですが、どうしても嫌悪してしまうのです。」と、岡山太助さん。私が母を施設に入れたときのことを思い返すと、岡山太助さんのおっしゃる「嫌悪感」を自分で自分に向けていたように感じます。それが、nobimamaさんが書いていらっしゃる「主介護者だった父が亡くなり施設利用せざるを得なくなり母をだます形で病院に入院させました。帰るときは申し訳なさで涙が止まりませんでした。」ではないかと思うのです。コメントの後半で、在宅介護されている岡山太助さんは、「今日に至っては、愛おしくて仕方ないのですけれどね。」と、療養型の病院にお母さんを入れていらっしゃるnobimamaさんは「母を愛おしく思うことができるようになりました。」と。どちらもお母さんを愛おしく思っていらっしゃるだなあと思いました。最後のブログなのに、全くまとまらないコメントで恐縮です。一年間こんな感じのコメントでしたので、今更恐縮することはないのですが。
◆「自己変革していく私がいることに少々驚いています。自己中心的思考から、少しは他人様の心根が理解できるようになれたご著書に感謝!」と、岡山太助さん。お役に立てて嬉しいです。拙著を読んでいただき、こちらこそ心から感謝しています。ちなみに、「岡山太助さん」と書いて、ずっと私は「ハッ」としていました。ここまで書いて、その「ハッ」との謎が解けました。私の好きな芸術家「岡本太郎」に似ていたからです。
◆「行くたびに「王様の耳はろばのみみ」を読みます。でも最後の「立派な王様になったということです。おしまい」というと手たたきながら「拍手喝采」と言うのです。多分聞き慣れた娘の存在を感じ、子どもを褒めるために一生懸命拍手してくれているのだと私自身も感じています。」と、nobimamaさん。拍手でnobimamaさんを褒めるお母さんの顔が目に浮かぶようです。優しいお母さんですね。子供の前では「母性」はしっかりと顕現するんですね。それこそ、今日のブログの題「人は関係性の中で生かされている」と言うことだと思います。


藤川幸之助さんのブログ「まなざし介護」は
今回で最終回になります。
1年間、誠にありがとうございました。
本ブログをまとめた詩集『夕凪の海で見つけた詩』
(仮タイトル)を夏頃に発行する予定です。
どうぞお楽しみに!



母が咀嚼(そしゃく)する

「噛む」

母の歯を磨いていたら
母が私の指を思いっきりかんで
なかなかはなさない
口をこじ開け
指をやっとのこと取り出した
私の指からでてくる血
私も母も生きている

私が痛がっていると
もう母は何もなかったかのように
居眠りをしている
何かおいしい物でも食べる夢を
見ているのか
母はむしゃむしゃむしゃと口を動かしている
もう何も食べない口が
むしゃむしゃむしゃと空気を噛み続ける

そして、時々目を開けては
あれ場所を間違えたかなあ
という顔をして、また眠る
向こう側の世界で
父と食事でもしているのだろうか

母は私の指を噛む
私がかつて母の一部であったことを
確かめるために
母は私を噛む
自分が母であることを
私に思い出させるために
母は噛む
生きるためではなく
生きていることを
確かめるために

hand.JPG
イラスト=藤川幸之助



春の分厚い白い手

「木蓮の白」
  
木蓮のつぼみが
人が祈るときの掌の形をして
まだ春浅い冷たい風にゆれていた
両手で優しく包むと
産毛に包まれたつぼみは
ほのかに温かかった

凍えた幼い私の両手を
大きな柔らかい白い手で包んで
「コウちゃんの手よ
 コウちゃんの手よ
 花開け」
と、息を吐きかけてくれた母

いく日かすると
その木蓮のつぼみは
真っ青な空に向かって
真っ白に開いて
冷たい風にゆれた
そして、本当の春の温かさを知らぬまま
いつしか散って
茶色に汚らしく朽ちていった
その白さを
私の心に残したまま

日々の悲しみは
木蓮の花びらのように
いつか消えてなくなっていくけれど
愛の喜びは
木蓮の白のように
いまもずっと生き続ける
認知症の母とつないだこの手の中で
ずっと生き続けている

      white.JPG
      イラスト=藤川幸之助



いのちの連鎖

        pappa.JPG
        Illustration by Konosuke Fujikawa

「私の中の母」

母よ
認知症になって
あなたは歩かなくなった
しかし、私の歩く姿に
あなたはしっかりと生きている
母よ
あなたはもう喋らなくなった
しかし、私の声の中に
あなたはしっかりと生きている
母よ
あなたはもう考えなくなった
しかし、私の精神の中に
あなたはしっかりと生き続けている

私のこの身体も
私のこの声も
私のこの心も
私のこの喜びも
私のこの悲しみも
私のこの精神も
私のこの今も
私のあの過去も
私のあの未来も
この私の全ては
母よ
あなたを通って出てきたものだ

母よ

私は私の中に
あなたが生きていることが
とてもうれしいのだ



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プロフィール
藤川幸之助

(ふじかわ こうのすけ)
詩人・児童文学作家。1962年、熊本県生まれ。小学校の教師を経て、詩作・文筆活動に専念。認知症の母親に寄り添いながら、命や認知症を題材に作品をつくり続ける。2000年に、認知症の母について綴った詩集『マザー』(ポプラ社、2008年改題『手をつないで見上げた空は』)を出版。現在、認知症の啓発などのため、全国各地で講演活動を行っている。著書に、『満月の夜、母を施設に置いて』(中央法規出版)、『ライスカレーと母と海』『君を失って、言葉が生まれた』(以上、ポプラ社)、『大好きだよ キヨちゃん』(クリエイツかもがわ)などがある。長崎市在住。
http://homepage2.nifty.com/
kokoro-index/


『満月の夜、母を施設に置いて』
著者:藤川幸之助
定価:¥1,575(税込)
発行:中央法規
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