人生がささやきかける声
「領収証」
父は
おしめ一つ買うにも
弁当を二つ買うにも
領収証をもらった
そして
帰ってからノートに明細を書いた
「二人でためたお金だもの
母さんが理解できなくても
母さんに見せないといけないから」
と領収証をノートの終わりに貼る父
そのノートの始まりには
墨で「誠実なる生活」と父は書いていた
私も領収証をもらう
そして母のノートの終わりに貼る
母には理解できないだろうけれど
母へ見せるために
死んでしまったけれど
父へ見せるために
アルツハイマーの薬ができたら
母に飲ませるんだと
父が誠実な生活をして
貯めたわずかばかりのお金を
母の代わりに預かる
母が死んで
父に出会ったとき
「二人のお金はこんな風に使いましたよ」
と母がきちんと言えるように
領収証を切ってもらう
私はノートの始めに
「母を幸せにするために」
と書いている
『満月の夜、母を施設に置いて』(中央法規)に関連文
今日の詩が好きだという人は多い。父の母への思いが痛いほど伝わってくると。私が書く一連の母の詩は、実は父を描いているのではないかと、この詩が好きな人は口をそろえて言うのだ。詩人の谷川修太郎さんも、詩の中の「誠実なる生活」と父が書いたエピソードに感動したと言っていた。「妻が呆けたことで、自分の人生観を変える藤川さんのお父様のような男は偉いですね。」と、私の尊敬する詩人から私の父は褒められたのだ。
父は、母の介護を私に少しも頼ることはなかったし、母の介護について愚痴を言うこともなかった。また、その大変さをいろいろと私に説明することも決してなかった。無論、生き方や人生哲学について私に説教することもなかった。ただ父は、母と坦々と暮らす姿を見せてくれただけだった。それを良いことに、母の介護は父に任せっきりだったので、私は介護の仕方など全く知らなかった。父が心臓の発作で死ぬまでは、母のオムツも一度も替えたことがなかったのだ。
そんな状態で母の介護を父から引き継いだ。だから、初めの頃はオムツを替えるのはとても大変だった。オムツを替えていると、母がウンコを触りたがった。私の要領が悪いので、手間取って、ちょっと目を離したすきに母は手にウンコを付けていた。「お母さん」と呆れたように言うと、呼ばれたと勘違いした母はその手で私を触ってきた。私は母へ苛立ち、母の介護を私に託した父を恨んだ。こんな体たらくで、母と父に申し訳なくなった。そして、堪え性のない私の目はいつも涙でいっぱいになった。こんな繰り返しの中、ある日ふと思った。「こんな大変なことを、父は一人でやっていたんだ」と。心臓病を患いながらも、何一つ私に頼ることもなく、いやがることもなく、愚痴一つ言わず、父は一人で母の介護をやっていたんだと思った。
そう思ってから、臍を固めて母の介護に当たった。何もかもうまくはいかなかったけれど、逃げたくなったときは、父の姿を思い浮かべた。そんな時思い出すのは、父の言葉ではなく、父の姿だった。坦々と母と生きる父の姿だった。詩の中にある母との「誠実な生活」だった。その頃、私は詩が全く書けなくなっていた。満足のいく作品が全く書けなかった。観念的な言葉ばかりが頭に浮かび、納得できる詩は書けなかった。詩を書くとき格好のいい観念的な言葉ばかりを探していた。母の詩を書くときも、母を遠目に見て言葉に置き換えただけだった。
詩が全く書けなくなった私は、詩を捨てようと思った。詩を書くことをやめて、母とともに生きることをしっかりやろうと思った。私は父の後ろ姿を頭に浮かべながら、母と必死に生きた。しっかりと母を見つめオムツを替えた。長い時間かかる母の食事に苛立ちながらも一サジ一サジ母の口へ食事を運んだ。母を車でいろんな所に連れて行った。母を見つめ、母と生きるうちに、母の思いや亡くなった父の思いを深く深く感じた。何ヶ月も詩を書かなかった。そんなある夜、言葉がどこからともなく浮かんできた。さらさらさらと詩が書けた。満足のいく作品だった。言葉を探さなくてもよかった。どこからか降ってくるように、泉のように湧いてくるように言葉が生まれた。詩が生まれた。母に書かされているような気がした。私を通して母が詩を書いている感じがしたのだ。何かを手放すと、その手のひらには別の大切なものが舞い降りてくる。
ニーチェ曰く「哲学を持つよりも、そのつどの人生が語りかけてくるささやかな声に耳を傾ける方がましだ。そのほうが物事や生活の本質がよく見えてくるからだ。それこそ、哲学するということにほかならない。」と。詩人の私にとって、詩を書くことより生きることの方が大切だと分かった。必死に生きるその中で人生は必ず語りかけてくる。言葉ではない、体験なのだ。徹底的に体験して、そこから生まれてくるものを待つ。それが、私にとって詩を書くと言うことなのだと、母との体験を通して痛感した。そして、体験の日々をしっかり支えてくれていたのが父の後ろ姿だったのだ。母と必死に生き、その中で人生が語りかけてくるささやきに耳を傾ける。言葉は探さなくても、私のもとにやってくるのだ。これからの私の進むべき道もまた、母と必死に生きる中でくっきりと見えてくるのだ。
◆参考文献:
『超訳 ニーチェの言葉』
編訳・白取春彦 ディスカバー21
◆紫陽花さん、コメントありがとうございます。「ここ何年も辞書等開けませんでしたが、意味が分からなかったので調べて見ました。」と、紫陽花さん。私は毎日辞書をくります。仕事柄、いろんな辞書を持っています。変わり種を紹介しますと、『隠語大辞典』『語源辞典』『類語大辞典』『数え方の辞典』『罵詈雑言辞典』『擬音擬態語辞典』。変わり種中の変わり種辞典『隠語大辞典』の中から1つ。「アイスクリーム」とは何のことか?答えは2つ。①高利貸しのこと(氷菓子をしゃれたもの)②継母のこと(甘くてもなかなか冷たい)
◆SAKさん、コメントありがとうございます。「辿り着いたのは気の利いた『言葉』ではなく見守ってくれる誰かの『存在』でした。次の日から捻出した言葉ではなく、見守ろうと思う気持ちで知人に接するようにしました。」と、SAKさん。いい話を教えていただきました。「傾聴ボランティア」というものがあります。施設などに行って、高齢者の話し相手をするボランティアです。高齢者の方にとっては、このボランティアの方々との話の内容や言葉が重要なのではなく、自分のことを考え、寄り添ってくれている「存在」が自分にはいるんだという思いが、高齢者の方の心と生を支えることになると思うのです。心から心配し、見守り、自分のことを思ってくれる人がいる喜び。SAKさんの知人の方は、幸せだと思います。
コメント
有難う御座います。『隠語大辞典』是非読んで見たいです。
今日のお話はとても心に響きました。有難う。
感無量です。
お父様の暖かく、深い愛情が伝わってきます。
すみません、私国語苦手でコメントの文間違いがありましたら教えて下さい。勉強します。
追伸
今日は一日中藤川さんのブログを拝読させていただきました。(9年4月から)
涙涙で時々私の主人が怪訝な顔で私を見ながら通りすぎていきます。
いつも暖かい目でお母様を見ておられるので恥ずかしくて言えませんでしたが私もブログを更新しています。私のブログに藤川さんのブログを紹介しても宜しいでしょうか?やはり介護でそれぞれの人生を送っている仲間に是非藤川さんのブログを読んで勇気と元気を頂いて欲しいと思いまして
お許しをいただきたく御願いいたします。
『隠語大辞典』購入しようと思い調べたところ
とても良いお値段で主婦の小遣いでは無理なので
もう少し手ごろな辞書等ありましたら教えて下さい。
藤川さん、こんばんは。わたしもご著書の中の詩、どれも心打ちましたが、この「領収書」、お父さまのお母さまへの深い愛を感じお母さまは本当におしあわせだなあと思います。今もこうやって、お父さまから引き継がれて、思いやりを持ってお母さまの介護に携わっておいでで、お父さまの生き方が、素晴らしいお手本になっていらっしゃるんですよね。お写真も素晴らしいですね。大きなものに、守られている気がいたします。ノートに、「母を幸せにするために」と書いていらっしゃるとのことですが、このブログは、読者であるわたしたちを幸せで優しい気持ちにさせていただけます。ご著書の藤川さんの詩にまたこちらで出会わせていただけるのを楽しみにしています。ありがとうございました。
母の介護はほとんど父でした。仕事を休めとか、もう少し手伝えとか、母が亡くなるまで1度も言いませんでした。お蔭様で仕事を続けることが出来ています。
本当のところどうだったのかは聞いたことはありません。聞くのも怖いところがあるのが本音です。母がなくなり、今1人で生活している父に言葉にして言いたいけれど、「元気で長生きしてね」が中々いえません。もうすいこし時間が必要かな・・・
最近辞書を引くことが減りました。パソコンに携帯等を使うことが増えたためでしょうか。読めても書くことができなくなっているような気がして、普段ご無沙汰している方へは、手紙を書くようにしています。必然的に辞書を引いています。間違った字は失礼かなと思い。物忘れ対策の一つでもあるのですが・・・
紫陽花さま
読んでいただきありがとうございます。
ブログは、どうぞ紹介してください。
>『隠語大辞典』購入しようと思い調べたところ
>とても良いお値段で主婦の小遣いでは無理なのでもう少し手ごろな辞書等ありましたら教えて下さい。
上記のことについては
次のブログで
紫陽花さんへの返信で書きます。
お楽しみに。
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