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詩人 藤川幸之助の まなざし介護

眼張(がんば)る介護

祈る
 
父の仏壇の前で手を合わせるとき
母のことをどのようにお願いしようかと迷う。
「病気が治りますように」
と祈るにも
アルツハイマーという病気は
治りそうもなく嘘くさい。
「母が一番辛くないようにしてください」
と祈るとなると
母の息がすっかり止まり
安らかな顔が脳裏に浮かぶ。
「母が幸せになりますように」
と祈るとなると
天国へ行って父と再会し
もうボケもどこかへいってしまった
りりしくて嬉しそうで幸せそうな
母の顔が目に浮かぶ。
結局何にも祈らず
「まだ母さんを連れて行かないでよ父さん」
と小言のようなことを
父の写真に向かって
毎朝毎朝
お経のように言う。
   (「満月の夜、母を施設に置いて」中央法規)

SDIM1459.JPG
写真=藤川幸之助

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 1月27日の私のブログに、紫陽花さんからこんなコメントをいただいた。「私(65歳)も自宅介護をしております。(姑)こんなに暖かい心で介護できておりません。(中略)よく人は言いますよね頑張らなくって良いよって、でも介護は頑張らなくては出来ない事だと思います。頑張る事で介護の方法が見つかっていると思っております。」紫陽花さんのおっしゃるとおり、「頑張る事で介護の方法が見つかっている」には同感だ。私も母の介護を頑張ってきて、その中でいろんなことを学んできた。
 鎌田實さんの『がんばらない』が大ベストセラーになったのもあってか、ネットの書店アマゾンで「がんばらない」と、本の検索をすると何十冊とヒットする。がんばらない子育て、がんばらない健康法、がんばらない経営、がんばらないダイエット、がんばらない介護等々、「がんばらない本」が驚くほどいろいろとある。その類の本を読まれた方なのだろうか、私の母を介護する姿を見て「そんなに頑張らなくてもいいんですよ」と言われた方がいた。「肩の力を抜いてマイペースでいいんだよ」と私を励ましてくださる言葉だったのだろうが、性格が素直でない私などは、今まで自分が頑張ってきたことまで否定された気になり、「頑張って何が悪い」と思ってしまったのを憶えている。
 今日のブログの題は、「眼張る介護」。奇をてらって「夜路死苦(ヨロシク)」のような当て字を「頑張る」に付けたなと思われたかもしれないが、実は「頑張る」の方が当て字だ。私の使っている国語辞書『日本国語大辞典』にも「眼張る」が先に書いてある。「眼張る」とは、「眼を張る」から分かるように、目を大きく見開いて、ものを見据えること。特に、歌舞伎で見得を切る役者が目を見開くポーズのことをもそういうらしい。歌舞伎役者は大きく見開いた、どこか焦点の合わない、目頭に寄った二つの眼で、他者ではなく自分自身を見ているのではないかと思う。大きく目を見開いて、自分自身を知ろうとして、自分自身を見据えているように私には見えるのだ。つまり、「眼張る」とは自分自身をしっかりと見据え、自分自身を知ることではないかと思うようになった。
 介護においても、ただがむしゃらにすることではなく、自分自身をしっかりと見つめ、自分の身の丈を知り、自分のペースをつかみ、その自分の力でできる精一杯のことをしていくことが、「眼張る」ことではないかとこの頃思うようになった。父が死んだとき、仕事のことや家族のことを思うと母を家に連れてくることは私にはできず、母を遠く離れた熊本の施設に入れた。母一人も幸せにできない自分自身を責めた。悩んだ。テレビで献身的な介護の様子を見ると、自分はダメな人間だと思った。でも、それが私の母や介護との距離感だった。その中で、母のもとに通いながらしっかりと母を思いやり、母の世話を私なりにすることができた。その時、認知症の母を家に連れてきていたら、苛立ち、悩み、母にさえも優しくできなかったかもしれない。
 眼張る介護とは、周りを見て、人と比べ、負けないようにしっかりやっていくことではない。自分自身をしっかり見据えて、介護や介護をされる人との自分なりの距離感をつかみ、自分にできることを精一杯することなのだと思う。介護に疲れ、介護する側がされる側を殺してしまう事件が後を絶たない。介護に疲れて、殺してしまいたいくらい混乱する気持ちは私にもよく分かる。しかし、殺すことは決して許されることではない。そうなる前に、目を見開いて「眼張って」もらいたい。自分自身をしっかりと見据え、自分自身を知り、介護や介護をされる人との自分なりの距離感をつかみ、自分にできないことは人や役所に頼ってもらいたいと思うのだ。「頑張る」には、「我を張る」から変化したものという説がある。つまり、頑固に意地を張ることだが、我を張り、意地を張ってもいいことはひとつもない。頼れるものは、頼って、自分のペースでやっていくこと、これこそ「眼張る」介護なのだ。
 この詩を書いた頃は父が亡くなったすぐで、熊本の施設に入れた認知症の母のことが気にかかってしょうがなかった。母は独りで寂しくないだろうかとか、辛い思いをしていないだろうかとか、始終心配だった。一週間に一度、長崎から会いに行ければいい方で、仕事が忙しく母に会うのが一ヶ月に一度というときもあった。電話をしても母は何もしゃべってはくれない。カッカッカッと笑うだけだった。結局、施設の人に母の状況を聞いて電話を切った。不信心な私は「祈るより稼げ」の方だが、そういう状況になると、母の無事と母の幸せをただただ父の仏壇の前で祈るしかなかった。「祈」という漢字の偏(へん)である「示」は、鈴の飾りをつけた旗で、旁(つくり)の「斤」は近づくの意味。つまり、「祈る」とは、鈴の飾りを付けた旗を持ちながら幸せに近づくことを願う様子だそうだ。しかし、幸せに近づこうにも、母にとっての幸せは何なのか分からないまま、いつもいつも祈っていたのを憶えている。でも、それが私なりの「眼張る介護」だったのだと今になってやっと分かってきたのだ。

参考文献:「漢語林」大修館書店

SDIM1389.JPG
写真=藤川幸之助

◆まほさん、コメントありがとうございます。
前回ブログの詩は「パチンコ」だったので、パチンコをしない人にはさっぱり分からなくて、誰からもコメントが来ないかもしれないと心配していました。1年近くブログを書いていますが、コメントがなかったときがありませんでしたので、今度こそ誰も書いてくれないかもしれないと不安になっていた矢先、まほさんからコメントがいただけて安心したところでした。「貴重なブログで私のことに触れていただき、本当にありがとうございました。」と、まほさん。こちらこそ、大部分をまほさんに頼り切った文章になってしまって、感謝しています。まほさんのブログに行ったのですが、多くの人たちが毎日来て短い文でいっぱい書き込んでいらっしゃるのですね。あれでこそ、ブログです。私のはブログといえるのかどうか、書きたいことをいっぱい書いているだけですから。ツイッターでもはじめて、文章修行をしようかと思っています。


コメント


素敵な言葉を教えていただきました。私も眼張って、優しい心を忘れないように心がけます。


投稿者: 紫陽花 | 2010年02月10日 16:09

 藤川さんこんにちわ。ブログは毎回拝見させて頂いていました。3月に札幌で公演をされるのですね。また藤川さんの「旅愁」を聴きたいところですが当日は勤務が有り、行く事が出来ずとても残念です。3月の札幌はまだまだ寒く、美味しくラーメンが食べられそうですね。それから今小樽では鰊が近年に無く大漁なのだそうです。数の子入りの焼き鰊が食べられるのは今の時期だけという事なのでお仕事でお忙しいとは思いますが、是非味わって頂きたいなぁ~と思い・・・小樽ミニミニ情報でした。


投稿者: 次女N子 | 2010年02月11日 09:19

藤川さん
こんにちは
{眼張る}とは初めて知りました。。良い言葉ですね

「祈る」
毎日17年前に亡くなった父の仏壇に手を合わせています。祈りながら自問自答しています。
「母さんを頼みます」
{何を頼むの・?}
{脳血管障害からの認知症で半年前から声をかけても返事が無くなっていて、元気になるのも、治るのはあり得ない}
「楽にして」
{これが逝く事なら、早い、私も困ります}
「高熱の苦しみを感じないように、皮膚病のかゆみを感じないように」
{でも私の手の温もりは感じて欲しい、矛盾した願いだから、無理でしょう}
なんとも自分勝手なお願いばかりです。発熱を繰り返すので、胃漏をしたのは苦痛を長引かせたのでは?とも思うこのごろで、母の望みは何だろうか?と考えても分からないので、祈る言葉が見つからずにいます。お花や好物を供えても、この自問自答がクルクル回るだけで、治まりがつかないでいます
眠っても、返事が無くて良いから、安らいだ顔でいて欲しいです。これが最も近い祈りでしょうか。
まとまりの無い、長い文を読んでくれてありがとうございます
書いていて少しづつ気持ちが整理できました、有難うございます。


投稿者: kiki(キキ) | 2010年02月12日 21:27

2月13日、講演を聞きました。私は、涙・涙・・涙・・・。化粧もすっかり落ちて、眉毛が1センチ短くなっていました。
私の母は10年前に認知症となり、父と二人での生活に限界を感じ3年前に夫婦バラバラに施設入所となりました。11日、遠く離れた場所で暮らす両親に会いに行ってきましたが、私はいつも帰りの船の中で泣いてしまうのです。「お父さん、お母さんごめんなさい」と・・泣いてしまうのです。今度は、謝るのではなく、祈ろうと思います。


投稿者: れご | 2010年02月14日 11:02

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。なお頂いたコメントは、書籍発行の際に掲載させていただく場合があります。

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プロフィール
藤川幸之助

(ふじかわ こうのすけ)
詩人・児童文学作家。1962年、熊本県生まれ。小学校の教師を経て、詩作・文筆活動に専念。認知症の母親に寄り添いながら、命や認知症を題材に作品をつくり続ける。2000年に、認知症の母について綴った詩集『マザー』(ポプラ社、2008年改題『手をつないで見上げた空は』)を出版。現在、認知症の啓発などのため、全国各地で講演活動を行っている。著書に、『満月の夜、母を施設に置いて』(中央法規出版)、『ライスカレーと母と海』『君を失って、言葉が生まれた』(以上、ポプラ社)、『大好きだよ キヨちゃん』(クリエイツかもがわ)などがある。長崎市在住。
http://homepage2.nifty.com/
kokoro-index/


『満月の夜、母を施設に置いて』
著者:藤川幸之助
定価:¥1,575(税込)
発行:中央法規
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