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詩人 藤川幸之助の まなざし介護

海と母、そして私

「母に会うときは」
            
朝に母に会うときは
「おはようございます」と言う。
昼に会うときは
「こんにちは」と言い
夜には
「こんばんは」と頭を下げ
寝るときには
「お休みなさい」を忘れない。
正月には
「あけましておめでとうございます」
と正座して母に向かい合い。
認知症の母は食事はしないけれど
母の箸を用意し
縁起の良さそうな袋に入れて
母の前に置く。
母の雑煮。
母にお屠蘇。

言葉がないから
母に心がないわけではない。
何も分からないから
何もしないで良いとは思わない。
何を言っても理解できないから
何を言っても許されるというものでもない。
母の存在が私の良心を見つめている。

母が叱りつけるような厳しい目で
私を見つめるときがある。
母という海に自分自身の姿を
しっかりと映しながら
私は自らを確かめる。
母はベッドに横たわり
私を育て続ける。

DSC_9359.JPG
写真=藤川幸之助

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■謹賀新年
今年は、年賀状に次の詩を書いた。

空だけが知っている
私の喜びがある
空だけが知っている
私の悲しみもある
あの空だけが知っている
私の悔しさ
私の怒り
私の希望
この私だけが知っている
空の青さもある
私はそれを決して言葉にしはしない
あの空に解き放ち
あの空といっしょに
また新しく歩き始める
空よ!
今年は私を
何処へ

 私は、いつも海や空を意識して生きている。心が乱れているときには、空を見上げ、時間を見つけて海を見に行く。一日が終わろうとする海辺、静かで平らな紅(くれない)の海面。海を渡る鳥たちの姿。凪いだ海には、空に浮かぶ雲や上り始めた満月がそのままくっきりと映っている時もある。勿論、海は言葉をもたないので、言葉で私を諭してくれるわけではない。言葉で私を慰めてくれるわけでもない。ただ、言葉のない海を見つめていると、自分の心のことを考えている自分に気がつく。
 いつも心の中で、正しいとか間違っているとか、普通だとか普通でないとか、常識だとか非常識だとか、私は言葉で人を裁き、評価することばかりやっている。心にいっぱい詰まった言葉で、乱れてしまっている心に気づかされる。そんな自分の心が、言葉のない海を見ているとしっかりと見えてくるのだ。心の中の言葉を海へ一つ一つ捨てていく。そして、心の中から言葉を捨て去って、海と言葉を超えて感じあえたとき、自分の心の中に静けさやってくる。私の中に海が流れ込んでくるのだ。
 ベッドに横たわり私を静かに見つめる認知症の母もまた、この海のようだと思う。意味のある言葉を話すわけでもなく、意味のある動きをするわけでもなく、ただ苛ついたり、悲しんだり、怒ったりしてドタバタしている私の姿をその澄んだ瞳にそのまま映して母は横たわっている。言葉で諭すわけでもなく、ほめるわけでも叱るわけでもなく、ただ母はそこにいる。そんな母を見つめながら、自分の心のことを考えている自分に気がつく。言葉を超えて、母を感じようとすればするだけ、自分の心がくっきりと見えてくる。感じるということは、言葉を捨てること。心の邪魔をしている言葉を掻き分けか掻き分け、本当の心にたどり着くようなもの。本当の静けさを見つけ出すようなものだ。私は、母を感じながら母を通して自分自身の心を見つめている。言葉がないと心までないと思い違いをしてしまうときがある。それは、言葉を通して「分かろう」としているからだ。言葉がないからこそ純粋無垢な心が見える。それが、存在を「感じる」と言うことだと思う。
 体も動かず、言葉のない意思表示もうまくできない認知症の人が、手を体とベッドの間に挟めたまま身動きができない状態でいた。その人の心の痛みを感じることができるか?と、ある講演会で言ったときのこと。講演が終わって、「うちの施設では見回りを強化して、そういう人がいなようようにするマニュアルがありますから、そんなふうに苦しむ方はいないんです」と、ある方が来られた。確かに、そのマニュアルがあることでそういう人を助けることができるのは間違いない。仕事として介護がきちんと平均的になされるかどうかという点では、マニュアルもとても重要になってくる。しかし、人が人を思いやり助けるとき、マニュアルに従って挟まった手をあげてあげる前に、その人の痛みを自分のこととして感じることがあるはずだ。マニュアルで手をあげてあげる行為とその人の痛みを感じて手をあげてあげる行為は、外側から見たら全く同じ行為だけれど、本質的に違いはしないかと思うのだ。方法、技術、マニュアルとは「言葉側」のものだ。言葉、方法、技術、マニュアルを超えて介護される側の存在を「感じ」、人間そのものをしっかり見つめているかどうか、介護の質に関わる重要な問題だと思う。
 言葉を超え、ただじっと母を見つめるとき、その存在を前にして、母の命を慈しみ、思いやり、痛みを自分のこととして感じている自分にふと気づくときがある。そんな時、母が私の中から人間性を引き出し、今でも私を育ててくれているのを感じる。海のように、母も言葉ではないもので私に何かを伝えようとしているのだ。言葉や意味のある動きという「外側」からでなく、心の「内側」から母は私に伝えようとしているのだ。感じあっているとき、与えることも言葉ではないものだが、受け取るときもまた言葉ではないもので感じているのだ。そして、「人はそこに存在するだけで大きな意味がある」ということをも母は教えてくれるのだ。

◆ぷーさん、コメントありがとうございます。
「「年寄り笑うな/行く道だもの」まさにこの通りです。本州の端にいらっしゃる予定はありますか?」と、ぷーさん。母の老いを見つめながら、この老いもまた自分にやってくるものだと感じたとき、私の介護の質が変わったように思います。母の老いや死を通して、老いも死も誰にでもやってくるものだと分かったときが、私にはこの今を生きることの大切さを感じた瞬間でした。本州の端と言うと、青森ですか?講演で青森に行ったことはありませんが、私はよく青森に行きます。寒い冬に十和田湖までバスで行ったり、酸ヶ湯温泉や城ヶ崎温泉で湯につかったり、夏や秋には十和田湖まで奥入瀬を歩いたりと、日本の中でも一番好きな県です。


コメント


 あけましておめでとうございます。
 小学生対象の認知症サポーター講座について投稿したものです。
 張り切って用意そして、いざ!と思ったら、インフルエンザでイベントが中止になってしまいました。
 残念・・・。
 主催者の方から、時期を見てまた企画しますとコメントをもらいましたので、その報告ができることを楽しみにしています。


投稿者: みのこん | 2010年01月07日 12:41

マニュアルは確かに道しるべの一つになります。しかしその通りにしか動けない人を作ってしまいがちにもなります。指導事項に「マニュアルを作成していますか」というような項目を見かけます。そろえている事業所が立派な事業所といえるのでしょうか。確かに大切だけど、それだけでは悲しいですね。人間対人間の付き合いですから。
あっ 本州の端の話ですが、西側の方です。


投稿者: ぷー | 2010年01月07日 19:46

初めて書き込みさせていただきます。藤川さんの写真、海の写真が多いですね。私も海が大好きで、今回の写真もほっとさせていただきました。幼少のころ海を見て育ちました。心がしんどくなると、水が見たい・・と思ってしまいます。流れる水を見ていると心が落ち着いていきます。
私たちはえてして言葉でつながっているような錯覚をしていますが、つながっているのは言葉でなく”感じるもの”なのですね。言葉を発せない人の心を感じて、言葉をつなぐこと。その人が発した意味のない言葉に意味を感じること・・そういう仕事に就かせてもらっている現状に感謝したいと思います。
認知症の家族の方に「満月の夜、母を・・」の御本を紹介しました。泣きながら読まれたそうです。また認知症のお義父さんとの関係作りに悩んでおられるお嫁さんに「介護される方が支えられている」のコメントをお渡ししました。私たちは一人じゃないと強く言いたい、応援したい思ってます。
今日何か通じあえた気がしています。認知症の方と。奥様に最期まで看させてほしいと言おう、スタッフにも言おうと思います。


投稿者: まっちゃん | 2010年01月08日 20:11

改めて、「することではなく、しないことにも介護の本質がある。人と人がそこに居て、存在しあうこと自体に意味がある」この言葉を心から、「しみじみ本当にそうだな~」と感じました。いろんな言葉で理論付けて頭で理解しても、本当の思いは相手の心に響かない・届かない時があります。だから尚更「優しく微笑む・手を握る・・・」それだけで通じ合う事が出来る事を介護の世界だけではなく、普段の生活でもっと感じて欲しいと思います。現実の世界は辛いことの方が多いですが、だれか一人でも心が通う人が居てくれることが幸せなんだと思います。
藤川さんの「母はベッドに横たわり私を育て続ける」素敵な母子関係だと思いました。
病棟で管理する立場に居る自分は、あるスタッフに「毎日毎日、あれはダメこれはダメ・・!ってガミガミ言わなくても、師長は病棟のお母さんなんだから、ニコニコ笑顔でそこに居てくれれば病棟は上手く回っていくんだからさ・・・」って言われた言葉を思い出します。お母さんは静かな海で居ることで、子供達は安心して頑張れるんですね!今年もブログを読んで、いろんなことに気付いていけたら・・・と思います。


投稿者: たっちゃん | 2010年01月10日 20:13

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。なお頂いたコメントは、書籍発行の際に掲載させていただく場合があります。

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プロフィール
藤川幸之助

(ふじかわ こうのすけ)
詩人・児童文学作家。1962年、熊本県生まれ。小学校の教師を経て、詩作・文筆活動に専念。認知症の母親に寄り添いながら、命や認知症を題材に作品をつくり続ける。2000年に、認知症の母について綴った詩集『マザー』(ポプラ社、2008年改題『手をつないで見上げた空は』)を出版。現在、認知症の啓発などのため、全国各地で講演活動を行っている。著書に、『満月の夜、母を施設に置いて』(中央法規出版)、『ライスカレーと母と海』『君を失って、言葉が生まれた』(以上、ポプラ社)、『大好きだよ キヨちゃん』(クリエイツかもがわ)などがある。長崎市在住。
http://homepage2.nifty.com/
kokoro-index/


『満月の夜、母を施設に置いて』
著者:藤川幸之助
定価:¥1,575(税込)
発行:中央法規
ご注文はe-booksから
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