「感じよう」とする心
「まだまだ」
母の心臓はもう限界で
いつ止まってもおかしくない状態だ
と、医師から説明を受けた
ここまで母はがんばりましたから
もうゆっくりさせてあげたい
と、私は答えた
そう言ったのに、病室にもどると
「母さんもう精一杯か?
もう少しがんばってくれんね?」
と、母の耳元で言っている
私の涙が母のおでこを静かに伝って
タオルにしみこんでいった
母の隣に座ってリンゴをむいた
皮がむかれたリンゴは
言葉をなくした母のように静かだった
認知症で言葉を失って二十年
私が言葉で問いかけ
いつも言葉ではないもので母は答えた
まだまだ
まだまだまだだ
まだまだ生きていてくれ
何度も何度も心の中で繰り返しているうち
母のいない明日から届く
母からの答えのように響く
「お前はすぐくじけるんだから
まだまだ
まだまだまだだ」
と許してくれなかった母の厳しい目を
鏡の中の自分自身の顔の中に見つける
病院に入院している母のもとを去るとき、いつも母の耳元で言っている言葉がある。「お母さん、幸之助は帰るけん。息ばせんばんよ。きつかときはすぐ呼びない。すぐ来るけんな。ゆっくり寝ないよ。」方言なので、解説をすると「お母さん、幸之助は帰るよ。息をしなさいね。きついときにはすぐ呼んでね。すぐ来るから。ゆっくりお休みね。」となる。
このごろ、この言葉を言うと私が帰るのを察するのか、母は悲しそうな顔をして必ず声を上げて泣く。言葉の意味は分かっていないのだろうが、いつもいつもこの言葉に反応する。泣かれると、後ろ髪を引かれる思いだが「また明日ね」とどうにか帰ることができる。母に言葉がなくてよかったと思う。もし、母に言葉があって「幸之助、今日はさびしいけん帰らんでくれ」と言われたら、私は帰ることなんてできない。
母が認知症になって二十年の間、母と言葉を通して意思疎通をしたことがない。言葉もない、意味ある動きもない中で、母と生きてきた。言葉なしで認知症の母からその心を受け取るには、その母をしっかり見つめなければならない。言葉なしで、母に情報を伝えようと思えば、その母の手をしっかり握るしかない。私は、いつも母の側にいるときは母を見つめ、母の手を握る。毎日そうしている内に、母は「分からない」けれど、「感じる」ことができていると思うようになった。
母は私が帰る間際に言う、「お母さん、幸之助は帰るよ。息をしなさいね。きついときにはすぐ呼んでね。すぐ来るから。ゆっくりお休みね。」という言葉を分かって、考えているのではない。この言葉を母は感じているのだ。言葉や意味をもつ動きの中で、母と私はつながって生きているのではない。存在と存在の間で、そのつながりを深く感じながら、自らに生きる意味を問い続けているのだと思うのだ。それが生きていることではないかと。人は言葉や意味に頼りすぎて、この「感じる」ことを忘れているんではないかと思うのだ。言葉で自分の思いを伝える仕事をしながら、これはいかがなものかとも思うが、言葉なんかなくても、人は深くつながることができると、認知症の母に寄り添って思うようになった。
母のことを分かることが大事なのではない。母を分かろうとすることがとても大事なのだ。言葉や意味を超えて、母を分かろうとするところには、すでに「感じよう」とする心がしっかりと働いている。分かろうとして何も分からないということは、無意味かもしれない。不毛かもしれない。全く何も変わらないかもしれない。しかし、分かろうとする自分は必ず変わっていく。つまり、自分が変わるということは、自分の心が変わり、見る世界が変わっていくということ。まわりの世界を感じる心の準備ができたということ。
日本のテレビアニメ『マッハGoGoGo』が原作である映画『スピードレーサー』の中で、覆面レーサーが言う。「レースの世界を私が変えるのではなく、レースの世界が私を変えていく」と。『スピードレーサー』を見ながら「母の世界を私のイメージ通りに変えるのではなく、母の世界が私を変えていく。」と、無理矢理言い換えて、ふと小学生の頃、母が買ってくれた『マッハGoGoGo』のレーシングカー「マッハ号」の模型のことを思い出した。その時母と交わした言葉は全く覚えてないが、母が買ってくれたときに「感じた」嬉しさを、母の優しさとともに覚えている。言葉ではない。言葉の奥にある心を感じながら私も母もずっと生きてきたのだ。
◆ゆ~たんさん、コメントありがとうございます。「子供を産むまでは仕事(お金のため)としてわりきって介護をしていたように思います。」と、ゆ~たんさん。私もお金のために割り切って、このブログを書き始めたのですが、ゆ~たんさんのようなコメントをいただくと、もっといいものを書こうと奮起します。でも、「お役に立てるなら、お金なんていりません」なんて一度は言ってみたいのですが、なかなか口に出せません。「今は母になり、入居者様とその息子さん、娘さんの気持ちになって、その人の生活を支えようと思うようになりました。」ともゆ~たんさん。今日の話の覆面レーサーの言葉を借りると「介護の世界をゆ~たんさんが変えるのではなく、介護の世界がゆ~たんさんを変えていく」こんな感じですかね。
◆SAKさん、コメントありがとうございます。「そう考えていくと、人が人の為に手助けや力添えをする事で、お互いが成長していき、新しい自分の発見や能力が引き出され、幸せになっていく。」と、SAKさん。SAKさんのコメントを読んで、ロシアの心理学者ビゴツキーという人が言った「最近接領域」という言葉を思い出しました。子供の教育の場で使われる言葉ですが、他の者の援助があれば問題解決が可能な水準のことを言います。
もっと説明しようと考えあぐねましたが、やめました。それは、SAKさんが書いた「人が人の為に手助けや力添えをする事で、お互いが成長していき、新しい自分の発見や能力が引き出される」ことそのままだからです。何十年ぶりでしょう。ビゴツキーに会えました。SAKさんありがとうございます。
コメント
私の病棟にも、認知症のため会話が出来ず、何とか思いを伝えたくて声を出す患者さんがいます。感情のままに声を出すので「奇声」の様に甲高い声が廊下まで聞こえてきます。その声色で恐怖・怒り・不安・寂しさ・・・などが入院後1週間位するとスタッフは聞き分けることが出来るようになってきます。「感じよう・・」とする気持ちがあるから「いつもと違う」がわかるのです。
プロだから当たり前ではなく、そこに「わかり合いたい!言葉は無くても気持ちに寄り添って安心させてあげたい!」そんな優しさから自然にいつもの様にケアをしてるスタッフの姿を見るたび
、「家族の方に、介護することの大変さもあるけど、それ以上に家族の絆を感じることが出来る介護を楽しんでもらえるようサポートしてあげたい・・」
といつも思っています。「感じよう」とする心は、
どんな人の心にもあるけど、現実の生活を優先してしまうと、置き去りにされてしまいやすいものだと思います。でも、ほんとは生きて行く上で、
一番励みになる愛情・優しさ・家族の絆を感じる事が出来る時間なんです。1分でも1秒でも昨日より長く傍に居て声を掛けてあげて欲しい・・・
と思ってしまいます。
藤川さんの優しい声と、柔らかい手で、愛情を確かめ合えるお母さんは、一生懸命生きているから、帰ろうとすると泣き声で感情を表してくれるんでしょうね。素敵な親子の絆を感じます。
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