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詩人 藤川幸之助の まなざし介護

25億秒の旅

「数を数える」
 私は今までいくつまで数を数えたたことがあるのだろう。そして、今まで数えた数の総和はいくつに上るのだろう。人は生まれ、八十年もすれば死んでこの地球からいなくなる。これを日に直し、時間に直し、秒に直してみる。二十五億秒の人生。生まれて時計の秒針に合わせ、二十五億ぐらい数えれば何にもしなくても人生は幕を閉じる。コンビニで買ったチョコレートの数を数えている間も、その数の分だけ私たちは確実に死へと向かっている。この一秒一秒のどこかに、認知症の母の死があり、私の死が必ず存在する。
 過去を振り返り、後悔するわけでもなく、明日の方をみて不安になるわけでもなく、ただこの今、この瞬間をカウントする。月を見て、一から数を数えてゆく。星の数を数えるわけでもなく、私に向かって近づく波の打ち寄せを数えるわけでもなく、夜空をわたる鳥の不安を数えるわけでもない。ただ月を見つめて数を数える。二十五億秒分の一秒一秒を、私の中で、私は産み吐きだし捨てていく。
    詩集『やわらかなまっすぐ』に関連文

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イラスト=藤川幸之助

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 数日前、そば屋でそばを食べている最中に、財布を忘れて来たことに気がついた。生まれて初めての経験だ。まず財布を忘れた自分自身が情けなくなった。免許証も財布に入れているので、身分を証明するものは何一つ持っていなかった。「財布を忘れたので財布を自宅に取りに帰る」と言って、店の人は私を信じて、この店から解放してくれるだろうか?と心配になった。そして、これでは無銭飲食になって、警察に突き出されるのではないかと不安になった。明日の朝刊に「詩人無銭飲食逮捕」と三面の見出しまで頭に浮かんだ。大げさな話ではない。初めての経験でもあったので、情けなさと不安、心配で心が押しつぶされそうになった。掛け蕎麦といなり寿司2個と、安価なこともあったのか、店員さんは名前と電話番号を聞いて、ことのほかあっさりと解放してくれて事なきを得たが、解放されるまでの心の揺れは尋常ではなかった。
 今年最後のブログを、失敗談のオンパレードで締めるのは申し訳ないが、もう少し聞いてほしい。12月に和歌山県田辺市に講演に行ったときのこと。講演前に控え室で着替えていると、その日講演で着るはずの空色のシャツがない。バッグの中のどこを探しても見つからないのだ。また忘れてしまったと自分自身が情けなくなって鏡を見ると、そのシャツを着ているではないか。そういえば、着替える時間がないと思って、そのシャツを着て会場に向かったのを思い出して、また自分自身が情けなくなった。鞄の中を探す時間が長く、多くなった。リビングにいて、隣室の書斎にものを取りに行って、何をしに来たのか忘れることが多くなった。情けなくなると同時に、うまく事が運ばないことに苛立ってくる。自分の脳の老化が原因だとは分かってはいるので、しまいには自分自身に腹が立ってくるのである。
 物忘れをしたり、忘れることによって失敗を重ねる母に苛ついていた私が、同じような状況になって自分自身に苛立つようになったのだ。認知症になったばかりの母の気持ちが少しは分かる気がする。自分が情けなくなり、自分に苛立ち、不安になってくる。そんな母の気持ちが、物忘れをする年になって分かる気がするようになった。認知症という病気なので、急激に分からなくなっていく母の本当の気持ちは私には見当も付かないが、その気持ちがすこしは分かるようになった今年の出来事だった。
 「子供叱るな/来た道だもの/年寄り笑うな/行く道だもの」*1教師をしているとき、この言葉を永六輔さんの本の中に見つけた。「子供叱るな/来た道だもの」を引用し、子供への理解をと保護者によく話した。この頃は後半の「年寄り笑うな/行く道だもの」の方が身にしみる。学校で成長していく子供を育てることと、母という老いていくものに付き添うことは、一見全く違うように見える。しかし、育つ子供も老いるお年寄りも、どちらも死に向かっている。命がそこに存在していると言うこと。つまり、子供の教育も老いた母の介護も、その死に向かっている「命に寄り添う」ということでは、本質的には全く同じことなのだ。そして、その間に私はいて、私もまた死に向かう命なのだと気がつく。私などは詩に向かい合いながら、死に向かっていると冗談を言っている間にも死は容赦なく近づいている。そうそう死ぬことばかり考えてはいられないが、自らの物忘れを通して老いを感じ、その先にある死を意識するようになった。遠くに死を意識しながら生きていると、この今を大切に生きこうと思うようになった。
 谷川俊太郎さんの新書に、ウォルター・オングの言葉がある。「音は、それが消えようとするときにしか存在しない」*2と。命も消えようとするとき、その存在が露わになる。そして、まわりの者の生をも色濃く映し出す。死に向かっている母を毎日見つめていると、自分の死もしっかりと見つめるようになった。そして、この一瞬一瞬をしっかり生きようと思うようになった。過去のことや、これからのことはさして重要なことではない。この今この瞬間こそと。今年も終わろうとしている。一年が終わり、消えようとするこの師走に、この私の一年もくっきりと姿を現す。
   
参考文献
*1『大往生』永六輔・岩波新書1994
*2『詩と死をむすぶもの』朝日新書

◆ミカンさん、コメントありがとうございます。実は、私は俳句を書くときは「未完」の意味を込めて「ミカン」という名前です。「そんな時は藤川先生の詩集がお手本であり心の安らぎです。5月にいらしたそうですね。行きたかったですまた何かこちらに来ることがありましたらここででもお知らせください。」と、ミカンさん。私などはお手本にはほど遠いと思いますが、私の詩集が心の安らぎであるというお気持ちが、心から嬉しいです。「こちらに来ることが」と書かれていますが、どちらでしょうか。5月は、私は「福岡」「東京」「札幌」に講演に行きました。来年は、福岡は今のところ予定は入っていませんが、東京は来年10月。北海道は、2月に大空町、訓子府町、置戸町、3月には札幌に行きます。
お会いするのを楽しみにしています。

◆ゆーたんさん、コメントありがとうございます。「母は死を覚悟し、自分で葬式やお金の整理をしました。あれから2年、母は元気に生きています。医師からは奇跡と言われました。強い思いがあれば奇跡は起こるんです。」と、ゆーたんさん。詩「まだまだ」読んで、私を励ましてくださり、ありがとうございます。死を受け入れて、覚悟し、自分の力ではどうにもならないことを手放し、あきらめることで奇跡は起こるのかもしれません。辞書を繰ると、「あきらめる」には、二つの見出し語があります。「諦める」と「明らめる」です。「諦める」は、勿論「見込みがないと断念することで、「明らめる」は「理由や事情を明らかにする」とか「心を楽しく明るくする」という意味。覚悟を決め、自分の力ではどうにもならないことを受け入れ、「諦める」ことは、奇跡のような私たちには及びもつかないようなことを「明らめる」ことにつながるのだと、ゆーたんさんのコメントを読みながら感じました。


コメント


 最近父に「お母さんに似てきたぞ」といわれます。大抵忘れ物をした時や、父に頼まれたことを忘れた時です。「モー ><」と怒っていますが、このブログを読んで母もこう思っていたんだろうなぁと感じました。
 業務中何気なく高齢者の方に話す言葉の中にも、失礼なことを言ってしまっているんじゃないかなと、反省している自分がいます。「年寄り笑うな/行く道だもの」まさにこの通りです。
 本州の端にいらっしゃる予定はありますか?今年も残すところわずかとなりました。実はまだ年賀状を書いておりません。日頃ご無沙汰している方に、元気にしていますと伝えなくっちゃ(笑)
 来年もよい年でありますように・・・


投稿者: ぷー | 2009年12月26日 18:29

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。なお頂いたコメントは、書籍発行の際に掲載させていただく場合があります。

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プロフィール
藤川幸之助

(ふじかわ こうのすけ)
詩人・児童文学作家。1962年、熊本県生まれ。小学校の教師を経て、詩作・文筆活動に専念。認知症の母親に寄り添いながら、命や認知症を題材に作品をつくり続ける。2000年に、認知症の母について綴った詩集『マザー』(ポプラ社、2008年改題『手をつないで見上げた空は』)を出版。現在、認知症の啓発などのため、全国各地で講演活動を行っている。著書に、『満月の夜、母を施設に置いて』(中央法規出版)、『ライスカレーと母と海』『君を失って、言葉が生まれた』(以上、ポプラ社)、『大好きだよ キヨちゃん』(クリエイツかもがわ)などがある。長崎市在住。
http://homepage2.nifty.com/
kokoro-index/


『満月の夜、母を施設に置いて』
著者:藤川幸之助
定価:¥1,575(税込)
発行:中央法規
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