25億秒の旅
「数を数える」
私は今までいくつまで数を数えたたことがあるのだろう。そして、今まで数えた数の総和はいくつに上るのだろう。人は生まれ、八十年もすれば死んでこの地球からいなくなる。これを日に直し、時間に直し、秒に直してみる。二十五億秒の人生。生まれて時計の秒針に合わせ、二十五億ぐらい数えれば何にもしなくても人生は幕を閉じる。コンビニで買ったチョコレートの数を数えている間も、その数の分だけ私たちは確実に死へと向かっている。この一秒一秒のどこかに、認知症の母の死があり、私の死が必ず存在する。
過去を振り返り、後悔するわけでもなく、明日の方をみて不安になるわけでもなく、ただこの今、この瞬間をカウントする。月を見て、一から数を数えてゆく。星の数を数えるわけでもなく、私に向かって近づく波の打ち寄せを数えるわけでもなく、夜空をわたる鳥の不安を数えるわけでもない。ただ月を見つめて数を数える。二十五億秒分の一秒一秒を、私の中で、私は産み吐きだし捨てていく。
詩集『やわらかなまっすぐ』に関連文
シロヤのパン
「二つの小石」
父は認知症の母との生活を
日課表に書いて壁に貼っていた
それにあわせ
母といっしょに朝を迎え
母と食事をし
母と声を合わせ歌を歌い
母を座らせ母の化粧をしていた
久しぶりに帰省した息子のことなんか
ほったらかしで
夕刻には二人で手をつなぎ
戦時中には飛行場だった空き地を
二人で歌を歌いながら散歩をした
そして一日が終わり
二つ並べた布団に入り
手だけを出して
母が勝つまでジャンケンをした
淡々とした慎ましい生活
この繰り返し
photograph by Konosuke Fujikawa
三人で海へ行った
石ころだらけの海辺だった
大きな石の間に小さな石
小さな石の間にもっと小さな石
みんな静かに寄りそい
海をながめていた
大きな平たい石をえらんで
父と母は並んでこしを下ろして
水平線を見つめていた
小さくすり減った二つの石だった
寄り添い支え合う二つの小石だった
私は投げるはずだった小石を
もとの場所へもどした
できるだけ正確に
できるだけ静かに
「死ぬときには
お母さんを連れて行きたいなあ」
と暮れ残る西の水平線を見つめて
父が言った
photograph by Konosuke Fujikawa
懲(こ)りずに「幸せ」について考える
「手をつないで見上げた空は」
幼い頃
手をつないで見上げると母がいた
青空は母よりもっと遠くにあって
大きな白い雲が一つ流れていた
幸せのことなんて考えたことなかった
私がつまずき失敗をすると
私の手を両手で優しく包んで
母はいつも青空の話をした
雲が流れ雲に覆われ
青空は見えなくなり
時には雨が降るから
青空を待ちこがれて
青空の美しさに
心打たれるんだと
何度失敗して何度つまずいたことか
そして何度この話を聞いたことか
認知症の母との日々の中で
苛立ちという雲が出て
悲しみという雨が降った
私は何度も失敗してつまずいても
母は何も言ってくれなくなったが
手をつないで散歩をすると
いつも母は静かに空を見上げていた
青空がただ頭上に広がっている
幸せもまたただあるもの
求めるものではなく
気づくものなんだ
と母と手をつないで
空を見上げるといつもいつも思う