微笑み
「微笑み」
幸せは築きあげていくなんて
そんな大げさなことじゃなくて
ただ心の中の小さな微笑みだ。
目標でもなければ
目的でもない
ましてモノでもなく
楽園でもない。
幸せとはどんな時にでも
微笑むことができる強い心だ。
幸せがあるから
あなたは微笑むのではなく
微笑むからあなたは幸せになっていく。
二人で暮らしはじめ
あなた達のもとに届けられるものを
しっかりと見つめてみるといい。
お互いの心の中に静かに凪いでいる
輝く海のような微笑みがあれば
言葉でも
人の心でも
あなたの周りにおこる出来事でも
あなた達のもとには
幸せが届けられる。
「愛する―それはお互いを見つめあうことではなくて
いっしょに同じ方向を見つめることである」
とサン=テグジュペリは言ったけれど
見つめ合うことも忘れてはいけない。
心は分かりにくいから
相手の瞳の中に自分の微笑みがあるか
いつも見つめ合って確かめた方がいい。
いくつになっても見つめ合い
自分がどれほど相手を幸せにしているかを
いつも感じて暮らす。
幸せは築きあげていくなんて
そんな大げさなことじゃなくて
慎ましい日々の暮らしの繰り返し
その中で微笑み合うこと
そこから二人の幸せは生まれ続ける。
介護の中の距離感
「霊柩車」
二年ほど住んだ熊本の老人ホームから
母を私の住む街へ連れて来ることにした。
ストレッチャーに寝かせたまま車に乗せた。
母は大声をあげて行きたがらない。
その車は父を火葬場に運んだ細長い霊柩車と
全く同じ型の車だった。
大勢の人が涙を流し
母との別れを惜しんでいる。
これも父の葬儀の時と同じだ。
ただ父は棺桶の中で黙って寝ていたが
母はストレッチャーの上でわめいている。
そして横に座っている私がだいているのは
父の遺影ではなく母への花束。
運転手がクラクションを鳴らした。
父を火葬場へ送った時
この世から父を断ち切るため鳴らした音と
全く同じ響きの。
母が嫁ぎ
母が私を生み
母が笑い
母が涙をながし
母が入れ墨のように自分を刻みこみ
最後にはその名さえ
すっかり忘れ去ってしまった場所。
そこから母を断ち切って
息子の私の住む場所へ母を連れてきた。
別世界へ行く練習でもするかのように
霊柩車に似た車で。
『満月の夜、母を施設に置いて』中央法規
イラスト=藤川幸之助
介護者「らしさ」
「シュークリーム」
藤川幸之助
ストアーで
ふと目をはなしたすきに
認知症の母がシュークリームに
かぶりついた
母の手の中で
シュークリームの皮の中で
クリームは
重くゆったりと
皮に横たわっていた
息子が母を
母が息子を叱るように
叱った
ストアーの床に落ちた
食べかけのシュークリーム
まだ
重くゆったりと
形を変えて
クリームは皮に寄りかかっていた
おしめで
ブクブクと膨れあがった
大きなシュークリームのようなお尻で
アヒルのようにストアーを出て行く
「おれの母さんだろう!」
と、母をにらみつけた
「しっかりしろ!」
と、声を押し殺して
母を叱るように
自らを戒めるように言った
母が私をじっと見つめた
こころの色をして
クリームが
母の中にも
私の中にもあった
受け入れられる喜び
「カステラ」
包丁が容易に入り込めない
やわらかさ
切ろうとすると
切ろうとする力の分だけ
カステラはひっこんでしまう
母の柔らかさを左手で確かめながら
母から手渡されたカステラを
右手で握って食べた
母に向けて笑っても
母を嫌っても
母に怒鳴っても
母に泣きついても
私の心の力の分だけ
ただ母は柔らかくひっこんで
そばにいてくれた
包丁をふきんでぬらして切ると
よく切れるのにと
みんなは教えてくれるけど
私は切れにくいままカステラを切る
『満月の夜、母を施設に置いて』中央法規出版
写真=藤川幸之助