揺れながらも収束していく心
「あざ」
寝かせるところがないので
立たせたまま母のおしめを換(か)えた
換えていると
タラーッとよだれが
しゃがんだ私の頭にたれてくる
次から次にたれてくる
こんな時よだれなんかたらすなよ
おれの母さんなんだろう
と母をにらみつけた
なぜか母はうろたえて
よだれをのどに詰まらせた
息の出来ない母
私もうろたえて
何度も何度も母の背中を叩(たた)いた
母の右腕を
私の右手で
ギュッと握って母を支え
背中を必死で叩いた
その夜は
寝る前布団に寝かせて体を拭(ふ)いた
たれたオッパイを持ち上げ
皺(しわ)をのばしながら拭く
両足いっぺんに持ち上げて
尻の近くの溝(みぞ)を
注意深くきれいに拭いた
右腕には青あざがある
私が必死に握った母の右腕に
青あざが
背中にもあるのかもしれない
背中は見ずに体を拭いて
母に軽く頭を下げた
母に布団を掛(か)けると
母は布団の中からスッと手を出し
私の手をしっかり握ると
安心したように
眠った
『手をつないで見上げた空は』(ポプラ社)より
この詩をインターネット上で発表したとき、「母をにらみつけた」というのがいけなかったのか、「お母さんに対する攻撃的な詩は書いてほしくないです。心を高いところにおいて、いろんなことを受け入れましょうよ。」というメールをもらったことがある。アドバイスいただいたように、心を落ち着けてしっかり母の介護をしようと毎日毎日思い直すのだが、私は認知症の母をなかなか受け入れることができなかった。
一度「心を強く保つ」の中でも触れたが、この詩は初めて公衆便所で母を立たせたままオムツを替えた時のことだ。苛ついてオムツを床にたたきつけた時の様子を書いたものだ。前述では、大声を出し、替えている側からオシッコをし、ウンコの付いたお尻を触ろうとした母の様子を書いたが、実はもう一つドタバタがあった。しゃがんでオムツを替えていると、私の頭にヨダレが次から次にたれてきた。にらみつけると、母は驚いて唾液をのどに詰まらせたのだ。息ができなくなった母の背中を必死に叩いた。やっと、息ができてホッとしたのはつかの間、またオシッコを私に向けてする母。混乱し苛立った私は、大小便がたっぷりたまったオムツをトイレの床にたたきつけたというわけだ。その後、母のお尻をきれいに拭いて、トイレの床を拭きながら「こんなことしなきゃよかった」と後悔した。車に戻った母は気持ちよさそうに眠っている。「何で俺がこんなことしなきゃならないんだ」と涙が出た。これで、この詩のドタバタは全て。
母に苛立つ自分が嫌になった。母に優しくできない自分自身を責め続けた。眠っている母に苛立ったことを詫びた。寝るとき、私の手を握ってくる母を見て、母は私に詫びてるのではないかと思った。そう思うと、認知症という病気を患いながらも、必死で生きている母に申し訳なく思った。亡くなった父がどんな思いであのドタバタを見てたかと思うと、明日からは決して苛立たず、母に優しくしようと思った。夕暮れの凪いだ海には街がくっきりと映っていた。
それから、何度苛立ったことか。あれだけ自分を責め悩んだのに、またイメージ通りにならない母を見ると苛立つのだ。何度、床にオムツを投げ捨てたことか。そして、何度母に詫びたことか。しかし、父が亡くなり十数年もこの繰り返しを続けていると少しずつではあるが、苛立つことが少なくなってきた。オムツを替える要領もよくなったのもあるのだが、少々のことには動じなくなった。自分のイメージ通りに動く母を望んでいた頃は苛立ちも多かった。母をどうにか変えようと思い続けていたときには、自分を責め、母に苛立つことの繰り返しだった。でも、病気を抱えて必死に生きる母の姿を十数年見続け、母を変えることより母を受け入れ、自分が変わることの方が簡単だと、ある時思った。それから、苛立ちや怒りという振り子の揺れが少しずつ小さくなっていっているように思う。その揺れが収束する場所に、心穏やかな自分が住んでいる場所があるような気がする。
人は一朝一夕には変わりはしない。しかし、少しずつではあるけれど、確実に人は変わることができる。母との介護の中で、母に励まされ、母に教えられ、母に育てられたと思う。他のことにおいても辛抱強くなったような気もする。これがメールの感想にあった「心を高いところにおいて、いろんなことを受け入れましょうよ。」ということかと。でも、今でも私は認知症の母を見て苛つくときがある。なかなか、ヒョイと心を高いところにおけそうもないのだ。
◆ぷーさん、コメントありがとうございます。「「しあわせ」、今ここにいることかなぁと思います。人それぞれの「しあわせ」のものさしは違うんじゃないのかなぁと思います。」と、ぷーさん。私もそう思います。幸せは結果ではなくて、過程だと思うのです。ぷーさんの「今ここにいること」これこそが幸せだと、ぷーさんのコメントを読んで思いました。流星群はいかがでしたでしょうか?この頃忙しくていけませんが、私は山の中にテントを張って何もせずにじっと夜の空を見つめるときがあります。幸せだと感じます。
◆SAKさん、コメントありがとうございます。
「・・・今の自分が相手にしてあげられるベストは何か?そう考えながら今は周囲の人と接するように心がけています。」と、SAKさん。私は永いこと「才能があればいい」と思っていました。才能さえあれば一人でも生きていけると。でも、この十数年母の介護をして、振り返ってみると、私が詩を書き続けてこれたのは、母の介護をし、母を支えた経験があったからだったのです。つまり、母を支えることで、詩を書くという道が私の前に広がっていったのです。母が書かせてくれたといっても言い過ぎではありません。決して、才能ではありませんでした。人を支え、人と関わり合いながら目の前にある自分の人生をしっかり生きることで、自分自身の生の輪郭がはっきり見えて来たように感じます。そんなことを、SAKさんのコメントを読んで思いました。
コメント
久しぶりのコメントです。藤川さんのブログを毎週楽しみにしています。最近は、写真も素敵でつい見とれてしまっています。特に、オレンジ色に染まった空や海がいいですね。
「・・・揺れが収束する場所に、心穏やかな自分が住んでいる場所があるような気がする。」いい言葉ですね。感情の揺れは、お母様に真剣に向き合い、介護に真摯に取り組んでいるゆえの葛藤なのだと思います。きっと、お母様がお話ができたなら「いつも、いつもありがとう。」と感謝をされることだろうと思うのです。藤川さんも、どうぞご無理なさらずお体大切になさって下さいね。
『揺れながらも収束していく心』
日々の喜怒哀楽で自分の心が大小様々に揺れる。
しかし、自分が経験した事のない『揺れ』に遭遇すると、自分の心という振り子が、もとの位置に戻れるのか戻れないのか?それとも戻らないのか?
過去の苦い経験を思い起こしながら、当時の心境はこういった感覚だったのかな?・・・と、考えました。
揺れとは不安なのかもしれないと、今回感じました。
未知の領域に自分の心が持って行かれる時の不安。
もとの位置に戻って来れるのか?
これまで通りの生活に戻れるのか?
しかし、その領域に踏み込み、受け入れる勇気さえあれば、きっと揺れが収まった時に、もとの位置よりちょっとズレていようが、大きく離れていようが、その位置を肯定的に見る事ができるのかもしれないと思いました。
これからも僕は色々な揺れに遭遇すると思います。
そしてそれが収束した時に自分が立っている位置が少しでも高いところであればいいなと思いました。
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