揺れながらも収束していく心
「あざ」
寝かせるところがないので
立たせたまま母のおしめを換(か)えた
換えていると
タラーッとよだれが
しゃがんだ私の頭にたれてくる
次から次にたれてくる
こんな時よだれなんかたらすなよ
おれの母さんなんだろう
と母をにらみつけた
なぜか母はうろたえて
よだれをのどに詰まらせた
息の出来ない母
私もうろたえて
何度も何度も母の背中を叩(たた)いた
母の右腕を
私の右手で
ギュッと握って母を支え
背中を必死で叩いた
その夜は
寝る前布団に寝かせて体を拭(ふ)いた
たれたオッパイを持ち上げ
皺(しわ)をのばしながら拭く
両足いっぺんに持ち上げて
尻の近くの溝(みぞ)を
注意深くきれいに拭いた
右腕には青あざがある
私が必死に握った母の右腕に
青あざが
背中にもあるのかもしれない
背中は見ずに体を拭いて
母に軽く頭を下げた
母に布団を掛(か)けると
母は布団の中からスッと手を出し
私の手をしっかり握ると
安心したように
眠った
『手をつないで見上げた空は』(ポプラ社)より
介護の中の「幸せ」とは
「四つ葉の幸せ」
四つ葉のクローバーは
見つけると幸せが訪れるという。
小さい頃から
いくつもいくつも
四つ葉のクローバーを見つけては
母がしおりを作ってくれたが
幸せはそうやすやすとは訪れなかった。
幸せとは訪れるのではなく
心の中に見つけるものだ。
そう気づいて
四つ葉のクローバーを見つけるように
心の中に幸せを見つけ続けた。
認知症の母との一日一日の中でも。
クローバーについては続きの話がある。
五つ葉は金銭上の幸せ。
六つ葉は地位や名声を手に入れる幸せ。
七つ葉は九死に一生を得るといったような
最大の幸せを意味すると。
五つも六つも七つもいらないなあと思う。
四つ葉で十分だと思う。
母のしおりには言葉が添えられている
「四つ葉を手にすることより
四つ葉を見つけることを楽しみなさい」と。
「四つ葉」を「幸せ」と置き換えて
母の言葉を読んでみる。
『この手の空っぽは
きみのために空けてある』(PHP出版)
イラスト=藤川幸之助
ラムネの喜び
『ラムネ』
母はラムネの栓を
ポンと要領よく抜いて
泡が吹き出すラムネの瓶を
手渡してくれた。
知識をいっぱい身につけて
いっぱい覚えておくと
大人になってから
いいことがある
と言っていたのは母だった。
アルツハイマー‐びょう【―病】‥ビヤウ
老年痴呆の一型。初老期に始まり、記銘力の減退、知能の低下、高等な感情の鈍麻、欲望の自制不全、気分の異常、被害妄想、関係妄想などがあって、やがて高度の痴呆に陥り、全身衰弱で死亡する。脳に広範な萎縮と特異な変性が見られる。ドイツの神経病学者アルツハイマー(A.Alzheimer 1864-1915)がはじめて報告。
知識から
生まれてくるのは
不安だけじゃないか。
何の役にもたちゃしないぞ
母さん
知識なんて。
ラムネを飲み干して
空(から)になったラムネの瓶を
すかして空(そら)を見た。
「お母さん、瓶に青い空(そら)が入ったよ」
と、幼い私は言った。
今、記憶も何も入っていない
空っぽの母をすかして
この私がしっかりと見えている。
瓶の色で微妙に変わった
幼いときの空の青色を思い出す。
※引用は『広辞苑第四版』
詩・イラスト=藤川幸之助
手放しながら得る
「ひがん花」
あぜ道の
ひがん花よ
悔やむなよ
ここに出てきたことを
ここにその姿で
出なくてはいけなかったことを
たとえ今は葉がなくても
まわりの花もない名もない雑草が
葉になってくれているじゃないか
たとえ毒があるとののしられても
優しく手折り
胸に抱いてくれる
少女がいるではないか
黄緑色の
一筋の空への思い
秋の中
ひがん花
葉のない自分を
深く生きろよ
赤く生きろよ
ひがん花の
赤を生きぬけよ
赤・赤・赤
赤を生きぬけよ