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詩人 藤川幸之助の まなざし介護

母という海

「静かな長い夜」

母に優しい言葉をかけても
ありがとうとも言わない。
ましてやいい息子だと
誰かに自慢するわけでもなく
ただにこりともしないで私を見つめる。

二時間もかかる母の食事に
苛立つ私を尻目に
母は静かに宙を見つめ
ゆっくりと食事をする。
「本当はこんなことしてる間に
 仕事したいんだよ」
母のウンコの臭いに
うんざりしている私の顔を
母は静かに見つめている。
「こんな臭いをなんで
 おれがかがなくちゃなんないんだ」

「お母さんはよく分かっているんだよ」
と他人(ひと)は言ってくれるけれど
何にも分かっちゃいないと思う。

夜、母から離れて独りぼっちになる。
私は母という凪(な)いだ海に映る自分の姿を
じっと見つめる。
人の目がなかったら
私はこんなに親身になって
母の世話をするのだろうか?
せめて私が母の側にいることを
母に分かっていてもらいたいと
ひたすら願う静かな長い夜が私にはある。
      『ライスカレーと母と海』(ポプラ社)に関連文


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                            写真=藤川幸之助

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 今日のブログは手間取った。書くのにではなく、探すのにだ。探せど探せど見つからない。書棚の中を2時間ちかく探してやっと見つけた。三好達治の詩集『測量船』だ。今日書くブログの資料にしようと先週から考えていて、今日ブログを書く前にちょいと書棚から取り出してと思っていた。しかし、探すのにブログを書き上げてしまうくらいの時間がかかってしまった。その『測量船』の中にとても有名な詩がある。

「雪」*1     三好達治
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。
 
 母性や愛をうまく表現した詩句だと私は常々思っている。こんな詩が一編でも書ければ、詩人は廃業しても良いとさえ思っている詩だ。幼少の頃、父や母に愛された感じというのはこういう感じだったような気がするのだ。冬に私は眠る。眠る私の上には温かい布団が掛けられ、その上には家庭という空間があり、それを守るように家がある。その屋根に雪は降り積もる。そして、その雪の降り積もる音にならない音が、幼少の私を眠らせていく。いろんなものに守られているという安堵感を感じながら深く眠っていく。
 こんな感じだろうか。私は、小学生の頃、台風が来るのが大好きだった。窓を叩く風の音や屋根を叩く激しい雨音。停電で真っ暗になる。ロウソクを灯す。側には父と母がいた。自分がしっかりと何かに守られている気がした。何かに守られていることを感じることができる台風が私は好きだった。その何かとは言い換えれば、愛なのかもしれない。降り積もる一片一片(ひとひらひとひら)の雪は、音にならない音で太郎と次郎の心を包み眠らせていき、その雪は積もりながら太郎と次郎の住む家をも包んでいく。この雪は、愛ではないかといつもこの詩を読んで思う。
 では、そんなに思い入れのある詩を、詩人たる者、諳んじてなくてどうすると言われそうだが、実はこの「雪」を探していたのではない。この『測量船』の中のこの詩を探していたのだ。

「海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がいる。そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。」*2

 詩「郷愁」の一節である。「海」という文字の中には、確かに「母」という文字が入っている。また、フランス語で、「母」はmère(メール)と表記し、「海」はmer(メール)と書く。同じ発音だというのも面白いが、mère(母)の「e」をとれば、mer(海)になる。つまり、日本語では海の中に母がいて、フランス語では母の中に海があると言うわけだ。
 静かにベッドに横たわる認知症の母を見ると、母は海のようだと思うときが私にもある。海にはもちろん言葉はない。しかし、私に多くのことを語ってくれる。母もまた言葉を失ってしまったが、言葉では伝わらないことをこの私に教えてくれている。この世のことに抗うことなく静かに私を見つめる母のヒトミを凪いだ海のようだと。波一つ立たない静かな凪いだ海には、この世の全てがくっきりと映る。空も山も雲も月も太陽もそしてこの私の顔もくっきりとそのまま映るのだ。認知症の母を前に、私はいつもじたばたしている。そんな私を、母は海のように静かに見つめている。言葉のない、動くことも少なくなった母。そんな凪いだ母を通して、自分の姿がくっきりと見えてくるのだ。
 そんな母の瞳を見ると、「海容」という言葉を思い出す。海のような広い心を以て、人を許すこと。広く物を容れる海の姿からできた言葉。許し合うことで、人は一つの海になっていくのかもしれない。海に真っ青な空がくっきりと映り、海と空とが一つに解け合う姿が目に浮かぶ。海容の「容」という字には、「受け入れる」という意味もあるらしい。母という海は、認知症という病気を受け入れ、できの悪い息子を受け入れて、ますますその生の青さを深くしている。言葉はなくても、人はその姿で人を育てていくこともできるのだと、母という海を見ていてそう思う。

■参考文献 *1*2
『測量船』三好達治・講談社文芸文庫

■たっちゃんさんとぷーさんのお二人のコメントに共通している話題がありました。「忙しい・・・は心を亡くしている状態。」とたっちゃんさん。「「忙しい」は心が亡くなるとかきます」とぷーさん。確かに「忙」という漢字を分ければ、心が亡いとなりますが、「落ち着いた心」が亡いという意味でお二人は使ってらっしゃるのだと思います。この漢字から分かるのは、心とは元々「落ち着いたもの」だという考えがあることが分かります。なかなか心の落ち着かない私がこんな言葉の解説をしても、説得力はありませんが、辞書的にはそのようです。

◆たっちゃんさん、いつも心のこもったコメントありがとうございます。たっちゃんさんのコメントを読むと、私のブログより面白いのではないかと思うときがあります。本当にいつもありがとうございます。
◆ぷーさん、コメントありがとうございます。
「ナースコールがなっても心穏やかでありたいなと思っています。」母の病室にいて、付き添いの私でもナースコールが続くと苛つきます。現場の看護師さんは、本当に大変なお仕事だと思います。無理なさいませんように。


コメント


子供の頃、兄弟が多く家業で忙しくしていた両親を見て育った私は、母の代わりに幼い兄弟を世話したり、家事を手伝ったりして母の代理も出来る子でした。幼い兄弟の手前素直に母に甘えることが出来ず子供ながらに寂しい思いを隠しながら過ごしてました。けど、唯一具合いが悪い時にだけ母を独り占めできた記憶が今回の詩とブログを読みながら蘇ってきました。具合いが悪くなると仕事中の母は父に怒られても仕事をする手を止めて一緒にお布団に入り背中をさすり早くよくなる様に・・・と、眠りに付くまで添い寝をしてくれました。その背中をさする手は一年中手荒れでガサガサしてたけど、なんとも落ち着く母の温もりを感じる手でした。「凪いだ母を通して」・・・風が止んで水面が静かになり、自分の姿がくっきりと見える。今、自分も母になり心穏やかな日には、子供は体を自然に寄せてきます。至福の時間です。逆に、カリカリしてると子供は近くには絶対に来ません。
子供は大きく穏やかな海・・の様な母が居るからこそ安心して育って行くんだと思います。教科書なんか要らないです。


投稿者: たっちゃん | 2009年09月21日 23:07

人の目って時々つらい時があります。私も近所に方に「お母さんは安心だね。あなたがこのような仕事(介護)をしているから」と言われたことがあります。しかし自宅に居る時は、一人の家族・娘だったんです。自宅では仕事としての介護は出来ません。ものすごいプレッシャーでした。
仕事・母・妻・嫁etcをこなしてきた母のようには出来ませんが、近づくようにしていきたいなぁと思うこのごろです。


投稿者: ぷー | 2009年09月29日 23:40

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。なお頂いたコメントは、書籍発行の際に掲載させていただく場合があります。

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プロフィール
藤川幸之助

(ふじかわ こうのすけ)
詩人・児童文学作家。1962年、熊本県生まれ。小学校の教師を経て、詩作・文筆活動に専念。認知症の母親に寄り添いながら、命や認知症を題材に作品をつくり続ける。2000年に、認知症の母について綴った詩集『マザー』(ポプラ社、2008年改題『手をつないで見上げた空は』)を出版。現在、認知症の啓発などのため、全国各地で講演活動を行っている。著書に、『満月の夜、母を施設に置いて』(中央法規出版)、『ライスカレーと母と海』『君を失って、言葉が生まれた』(以上、ポプラ社)、『大好きだよ キヨちゃん』(クリエイツかもがわ)などがある。長崎市在住。
http://homepage2.nifty.com/
kokoro-index/


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著者:藤川幸之助
定価:¥1,575(税込)
発行:中央法規
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