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詩人 藤川幸之助の まなざし介護

母を捨てた罪悪感

「旨いものを食べると」
  
旨いものを食べると
病院に入ったまんま死んだ父が
フッと私のそばにやってくる
食わせたかったなあ
あの時無理をしても
鰻(うなぎ)を買ってきて食わせてやればよかった
病院の食事なんて今日は残していいさ
なんて言ってやって
早く出て母の世話をと焦(あせ)ったあまり
症状を隠(かく)して
死んでいった父

自分が大声を出して笑っていると
今老人ホームにおいたままの
母がフッと私のそばにやってくる
いっしょに笑いたいなあ
自分だけ楽しんで
母さんごめんねと
笑い声に
ザバンと水がかかる
ジュッと
いつもの私に戻る

三日前私は
食堂で百五十円やすい
コロッケ定食にした
昨日は
バラエティー番組の笑い声を聞いて
不機嫌にテレビのスイッチを切った
今日も
缶ビールを飲むのをやめた
5ヶ月前に買った缶ビールが
冷蔵庫の中で
飲まれる明日を待っている

     『満月の夜、母を施設に置いて』(中央法規)

DSC_5681.JPG
写真=藤川幸之助

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 父の好物は鰻丼だった。何かおめでたいことや嬉しいことがあれば、決まって鰻を食べに連れて行ってくれた。幼い頃は、鰻なんてちっとも旨いとは思わなかったが、長年父の嬉しそうな顔とともに食べていれば美味しく感じるようになってくるもの。今では、私の好物も鰻丼だ。何かおめでたいことや嬉しいことがあればいつも食べに行く。下戸の父と違うのは、鰻丼を食べる前に鰻の白焼(しらや)きで一杯やることだ。たれを付けて鰻を焼く臭いを嗅ぎ一杯やると、旨そうに鰻を食べていた父の顔を思い出す。丼を手に、父はいつも喜色満面だった。
 父は嬉しかったのだろう。私が帰省したときはいつも鰻だった。私が久しぶりに帰省したその日も鰻屋で三人で食事をした。嬉しそうに鰻を食べながら、父はなかなか食べようとしない母に鰻を小さく切って食べさせていた。「死んだらお母さんも一緒に連れて行きたいなあ。お父さんが死んだら、お母さん独りでかわいそうかけんね」と、父は言った。「息子の俺がおるけん、大丈夫」と、言って母の方を見ると母は父の顔を見て笑っていた。母が父に支えられ、助けられているように見えるけれど、実際は父こそ母に生かされていた。父は、残された人生の進む道を母に指し示してもらっているように見えた。父は自分の使命を母に手渡されていたようにさえ見えた。その次の日だった。父は家で心臓の痛みを訴えた。心臓のバイパス手術をして10年目。心臓は予想以上に弱っていた。父を入院させ、その足で母を病院の横の老人保健施設に入れた。
 「お母さんに会いたい」「お母さんは俺のこと忘れてないだろうか」「早く退院して家でお母さんと暮らしたい」病室での父の口癖だった。しかし、薬石効なく父は亡くなった。心臓発作だった。病院の父の許に行くと、父はすでに亡くなっていた。前日まで元気だった父が、目の前で横になって動かなかった。死が父の生をこの地球から引っこ抜いていった。そんな感じだった。私の心の中にぽっかり穴が空いた。父は亡くなっても、母を連れて行くことはなかったが、私も母を連れて家に帰ることはできなかった。家族のことがある。仕事のことがある。母を熊本の施設に独りぼっちにして、私は長崎へ帰った。
 父に息子らしいことを何らしてあげることができなかった。その上、母を施設に捨ててきたと、いつも罪悪感を感じて、自分を責め続けた。1ヶ月に1回、熊本の施設に母に会いに行くのが精一杯だった。母を独りぼっちにするこんな私を、父は許してくれているだろうか。独りで寂しそうにしている母の姿をイメージするだけで辛くなった。父がいなくなった寂しさと母を独りにしている罪悪感、認知症の母の世話をしていかなければならない不安がごっちゃになって私の頭の中をぐるぐると回っていた。
 講演会の最後に私への質問の時間があるときがある。その時に、こんな質問をもらったことがある。詩「旨いものを食べると」の中に出てくる、5ヶ月前に買った冷蔵庫の中の缶ビールはどうなったのですか?という質問。母に何かあったら夜中でもすぐに熊本に車で向かわなければならないと、好きなビールが飲めなくなった。全くアルコールを飲まなかった。ビールにも賞味期限があって、この詩に書いたビールは、結局飲まずに捨てたのを覚えている。

◆たっちゃんさん、先週は感想をありがとうございました。京都での講演でした。京都の夏と言えば、鱧(はも)。鱧を食べて、一日休みを取って保津川下りをしてきました。「忙しいとか時間が無いとか、ケアする人の都合で振り回されてしまう患者さんの現実があることを反省しました。」現在、母は病院に入院しているのですが、医療現場は忙しい。その忙しさの中でも、患者さん一人一人に声をかけて、医療現場の医師や看護師は本当に頑張っていると思います。たっちゃんさんが書かれているように、日々反省しながら患者さんの心を見つめていくこともとても大事だと思いますが、「忙しいとか時間が無いとか」いう問題を、法律や医療のシステムにおいて解決していくことも大切だと思います。例えば、看護師の数を増やし、一人一人の責任を軽減して、看護師の心にゆとりを持たせることも大切だと思います。精神論的にどうにもならないことというものはあると思います。命に寄り添っているのですから心のゆとりはとても大事だと思うのです。


コメント


 藤川さんこんにちわ。この写真も穏やかな優しい海ですね。私が住んでいる所は海水浴場が近くに有るのですが、海の波が怖くて泳いだ事がありません。プールならいくら水が顔にかかっても平気なのに・・・父が亡くなって3年が過ぎ、この頃になって思う事があります。父の好物や趣味が意外と私と同じかもって。晩年の父は腎臓を患って透析治療をしていた為、食事や水分の制限を受けてましたので本人としては辛い日だったと思います。今朝は職場のフリーマーッケットに出品するつもりのバナナケーキとクッキーを試作したので父の写真の前に備えました。旅行も好きで良く旅番組を一緒に見てました。そして私が旅行に行くと言うと「その国のタバコを買ってきてくれ」とたのまれ何をどう買って良いのかも分からず、取り合えず免税店で一番高そうなタバコを1箱とその町で買えたタバコ1、2個をお土産にしていました。
高そうなタバコは大切に外出ようにしていた事が
私には可笑しくて母と笑っていました。9月に旅行をする予定なので父にタバコを1個買ってこようかなぁと藤川さんの今日のブログを見て思いました。


投稿者: N子 | 2009年08月28日 09:44

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。なお頂いたコメントは、書籍発行の際に掲載させていただく場合があります。

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プロフィール
藤川幸之助

(ふじかわ こうのすけ)
詩人・児童文学作家。1962年、熊本県生まれ。小学校の教師を経て、詩作・文筆活動に専念。認知症の母親に寄り添いながら、命や認知症を題材に作品をつくり続ける。2000年に、認知症の母について綴った詩集『マザー』(ポプラ社、2008年改題『手をつないで見上げた空は』)を出版。現在、認知症の啓発などのため、全国各地で講演活動を行っている。著書に、『満月の夜、母を施設に置いて』(中央法規出版)、『ライスカレーと母と海』『君を失って、言葉が生まれた』(以上、ポプラ社)、『大好きだよ キヨちゃん』(クリエイツかもがわ)などがある。長崎市在住。
http://homepage2.nifty.com/
kokoro-index/


『満月の夜、母を施設に置いて』
著者:藤川幸之助
定価:¥1,575(税込)
発行:中央法規
ご注文はe-booksから
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