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詩人 藤川幸之助の まなざし介護

母の日記

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「母の日記」

 認知症が進む中でも、
 母は日記を書き続けていた。
 日記は、毎日同じ文面で始まり、
 幾行かの出来事が書いてあって、
 毎日同じ文面で終わっていた。
 時には前の日の日記を
 そのまま写しているときもあった。

 「知っているんだけど」と前置きしながら、
簡単な字を何度も何度も聞く母。
 優しく教える父。
私が日記をのぞくと
 母は怒ったように
 書くのをやめてしまっていた。

 日がたつにつれて、
 字のふるえがひどくなり、
 誤字や脱字が目立ち、
 意味不明の文が増えていく。

もう日記なんて書かなくなった母。
 私はそんな母の日記をくりながら、
 自分の名前の書いてある箇所だけを探す。
 どんなにか母に心配をかけてたことにも、
 ひどく母と言い争ったことにも、
 私の部分には、
 「あの子はやさしい子だから」と
 書き添えてある。
 いつか私が母の日記を読む日が
 来るのを知っていたかのように
 「あの子はやさしい子だから」と
 必ず書き添えてある。
  『ライスカレーと母と海』(ポプラ社)を加筆訂正

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写真=藤川幸之助

 「日記買う」は冬の季語だ。新しい日記を買って、新年を迎える。そして、その日記を使い始める「日記始」は新年の季語。幾度となく日記を買い、日記を書き始めた覚えはあるが、日記はなかなか続かない。一日にあったことを、もう一度頭の中で反復して言葉にする。頭の体操にはなるが、二度も同じ人生を経験するのはご免だ。だから、その日にやった仕事や出した手紙等の記録になってくる。それならば、スケジュール帳で充分だと思い始め、日記を手放す。この繰り返し。なかなか日記は続かない。
 子供はこんな風だが、その母は毎日日記をつけていた。父が亡くなり、数年して母を私の住む長崎に連れてきた時、荷物の整理をしていて、その20数年書き続けた何十冊もの母の日記帳を見つけた。ごく普通の大学ノート。その表紙には、名前と日記の通し番号が書かれていた。大学ノート1ページに、1日分の日記が書かれていて、表紙の裏にはそれを書き始めた日付と「思いのままに記す」という標題がつけられていた。
 父と母は、決まった時間にテーブルにつき、一日のことを二人で話しながら、日記を書いていた。認知症が進むと、母は日記をなかなか書こうとしなかったが、父は「お母さんは、作文の上手ね」と母をおだてながら、毎日一緒に並んで日記を書いていた。母が漢字が分からないと言えば、優しく父は教え、母がその日にしたことをすっかり忘れているときには、父は母と一緒に一日をゆっくり振り返った。そうやって20数年の間、母の日記は続いていた。
 その20数年間の母の日記を私は読みたくなった。母はまだ生きているので、母の日記は決して読んではいけないというのは分かっていたが、母の日記を無性に読みたくなった。私と同じ年の時、母はどんなことを考えて生きていたのか?とか、母は私のことをどんな風に思っていたのか?とか無性に知りたくなった。私は自分の名前の書いてある箇所だけを探しながら、母の日記を読み進めた。
 私は高校の頃、父に反発をした。良い大学に入って、学歴を積んで、人の上に立つ人になれといつも父は言っていた。大学や学歴なんてどうでもいいと私は思っていた。そういうもので説明のつくような人間にはなりたくないと思っていた。いつもいつも父に反発をした。勉強なんて全くしないどころか、教科書も買わなかった。授業をサボることと、大学や学歴と全く関係ないことばかりをやった。学校の規則にも触れ、無期停学の処分も食らった。父に注意されると、大嫌いだと家を飛び出した。母にもきつく当たった。
 そんなことが詳細に母の日記に書かれていた。どんなにか母に心配をかけていたことにも、ひどく母と言い争い、母を罵ったことにも、私の部分には必ず「あの子は優しい子だから大丈夫」と母は書いていた。この言葉が、希望のように輝き、今でも私を力強く導いてくれる。あんな私であっても愛してくれて人がいる。それでもなお信じてくれる人がいた。母に感謝した。表面で反応し蠢く私ではなく、自分自身の中で静かに世界を見ている本当の私を見つめて、信じてくれる母がいた。分かることではない、信じることなんだ。理解することではない、感じることなんだと、母は教えてくれた。
 そして、母の日記の最後のページに行き着く。その最後のページ、三月五日の日記は次のように書かれている。
「主人に私は勉強を教えていただいてとても うれしかった。主人が教えてとてもうれし かった。私がよかった。私が大正琴をゆっ くりして稽古をしてうれしかった。とても うれしかった。主人がてれびをゆっくりし てみたみたうれしかった。私もてれびをゆ っくりしてみてからうれしかった。」
 日記を書いた最後の日にこんなに嬉しかったことがいっぱいあって、よかった。母が私を愛し、信じてくれていたように、父もまた母を愛し、母を信じていた。認知症で自分でも見失ってしまいそうな自分自身を、しっかり見つめ、信じてくれる父のいる幸せを、母はしっかりとかみしめていたに違いない。
 「日記買ふその一冊を心とし」道山昭爾の句だ*1。何にも書かれていない日記を買う。その真っ新(さら)で、真っ白な日記こそ、人の心のそのものなのだ。その真っ白な心の上にいろんな思いやいろんな出来事が行き交い、いろんな出来事や心が書き込まれていく。時間が経ち、書き込まれて、見えなくなっていく自分の本当の心。自分でさえも見失ってしまいそうなその心を、信じてくれている人がいる幸せ。母が私を信じてくれていたように、私もまた認知症の母を信じ、日々母を受け入れていく。毎年日記を買うも、大部分真っ白なまま終わる私の日記も悪くはないなあと思う。でも、実は日記が続かない言い訳がこんな所に転がっているとは思わなかったというのが、私の心の本当のところなのだ。
*1『合本 俳句歳時記第3版』角川書店

■今回は講演で京都に来ています。そのため、感想へのコメントを書けず、申し訳ありません。来週、まとめて感想へのコメントを書かせてもらいます。


※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。なお頂いたコメントは、書籍発行の際に掲載させていただく場合があります。

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プロフィール
藤川幸之助

(ふじかわ こうのすけ)
詩人・児童文学作家。1962年、熊本県生まれ。小学校の教師を経て、詩作・文筆活動に専念。認知症の母親に寄り添いながら、命や認知症を題材に作品をつくり続ける。2000年に、認知症の母について綴った詩集『マザー』(ポプラ社、2008年改題『手をつないで見上げた空は』)を出版。現在、認知症の啓発などのため、全国各地で講演活動を行っている。著書に、『満月の夜、母を施設に置いて』(中央法規出版)、『ライスカレーと母と海』『君を失って、言葉が生まれた』(以上、ポプラ社)、『大好きだよ キヨちゃん』(クリエイツかもがわ)などがある。長崎市在住。
http://homepage2.nifty.com/
kokoro-index/


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著者:藤川幸之助
定価:¥1,575(税込)
発行:中央法規
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