同じものが違って見える
「こんな所」
始終口を開けヨダレを垂れ流し、息子におしめを替えられる身体の動かない母親。大声を出して娘をしかりつけ拳で殴りつける呆けた父親。行く場所も帰る場所も忘れ去って延々と歩き続ける老女。鏡に向かって叫び続け、しまいには自分の顔におこりツバを吐きかける男。うろつき他人の病室に入り、しかられ子供のようにビクビクして、うなだれる老人。
父が入院したので、認知症の母を病院の隣にある施設に連れて行った。「こんな所」へ母を入れるのかと思った。そう思ってもどうしてやることもできず、母をおいて帰った。兄と私が帰ろうとするといっしょに帰るものだと思っていて、施設の人の静止を振り切って出口まで私たちといっしょに歩いた。施設の人の静止をどうしても振り切ろうとする母は数人の施設の人に連れて行かれ、私たち家族は別れた。こんな中で母は今日は眠ることができるのか。こんな中で母は大丈夫か。とめどなく涙が流れた。月のきれいな夜だった。真っ黒い自分の影をじっと見つめた。
それから母にも私にも時は流れ、母は始終口を開けヨダレを垂れ流し、息子におしめを替えられ、大声を出し、行く場所も帰る場所も忘れ去って延々と歩き続け、鏡に向かって叫びはしなかったが、うろつき他人の病室に入り、しかられ子供のようにうなだれもした。「こんな所」と思った私も、同じ情景を母の中に見ながら「こんな母」なんて決して思わなくなった。「こんな所」を見ても、今は決して奇妙には見えない、老人達の必死に生きる姿に見える。
日に一度は海を見に行く。海を見ていて知り合いに会うと、「何をしに海に来ているのか?」と聞かれるときがよくある。説明するのが面倒なので、「近くまで用事で来たので」とお茶を濁すことが多い。海を見るだけのために海に来ているのが不思議らしい。ただ海を見るためだけに海に行く。ただじっと座って海を見つめる。朝の海。昼の海。夕陽に赤く染まった海。闇の中の海。雨の日の海。晴れの日の海。いつも眺めるのは同じ海だけれど、一日たりとも同じ海はない。それどころか、私には悲しいときに泣きながら見る海、嬉しいときに見る海、怒って苛ついているときににらみつける海もあって、心の状態でも海の姿は普段と違って見える。
このように、全く同じものが環境や心の状態で全く違って見えることがある。私の場合、紙おむつがいい例だ。母が認知症になって、母の世話をするようになった頃は紙おむつを見ると「この介護がいつまで続くのか」と、いつもいつも不安になっていた。おむつ替えに慣れていないということもあって、母のおむつの臭いや涎の臭いに辟易としながら、幾度となく入院を繰り返す母の入院費やおむつ代が心配になった。母の介護が延々と続き、自分の自由が奪われてしまうような気になって、紙おむつを見ると絶望に近い思いを抱いていた。しかし、今はこの同じ紙おむつに希望を抱いている。買ってきた紙おむつを棚に並べながら、今日も母は生きていたと感謝する。明日もこの紙おむつを並べるこの時がありますようにと祈るように思う。紙おむつを見ながら母との坦々とした日々が永遠に続きますようにとひたすら願うのだ。今では、私にとって紙おむつは絶望ではなく希望になった。
経験というトンネルをくぐることで、同じ月でも違って見えるものだと、今になって思う。その真っ暗な経験というトンネルを、手探りでくぐっていくうちに絶望が希望に変わり、自分のことを中心に考えていた私が、母に思いが及ぶようになった。介護という体験は、自分自身だけに向けていた視線を、母という他者にも向けるように変えてくれた。そして、母という他者を通して自分自身をも見るようにもなった。母はこんな思いをしているのに、これぐらいで挫けちゃダメだと、母の存在が自分自身への励ましになった。また、どうやっても私のイメージ通りに動かない母に出会い、周りをかえることより自分自身が変わっていくことの方が簡単だと思えるようになった。母を無条件に受け入れた。苛立ち、悲しみ、叫びながらも、自分の力ではどうすることもできない人生の流れから逃げずに、それをしっかりと受け止めた。そして、臍(ほぞ)を固めて人生の局面を乗り越えたとき、見たこともない新しい自分に出会った。そこから進む道も、明確に見えた。自分や自分の人生がかけがえのないものに見えてきた。
母の介護をするまでは、理想の自分を掲げて、その理想とのギャップに私は苦しんでいた。しかし、母を通して苛立つ自分、悲しむ自分、喜んでいる自分など、いろんな姿の自分に出会って、私には本当の自分が見えてきたような気がする。つまり、母との関係性の中で私は生き、生かされて、目路が広がってきたような感じがするのだ。冒頭の詩「こんな所」の中の私の変化はまさにそのことだ。母を施設に入れた頃は、まだ母は少しばかり話し、歩くこともできた。他のお年寄りと比べて、まだ母の方がましだと思っていた。母は認知症じゃないと、どこかでまだ母の病気さえも受け入れることができなかったのだ。満月の夜には、母を施設へ置いて帰った日のことを思い出す。あの時とは全く違う自分を、あの時と全く同じ月が淡く照らす。そして、あの時と全く同じ黒い影が、私をじっと見つめている。
◆還暦姉ちゃんさん、コメントありがとうございます。「今は亡夫の両親と同居し義父は、認知症を患っています。」とのこと。私などには到底知悉することのできない経験や思いを、日々されているのだと思います。「まだ私は(知悉)迄に至ってないようですが、少し近づけるようになりたいものです。」と、還暦姉ちゃんさん。生きることは、生き続けることでしか答えが出ないのだと思います。いや、答えはなく、生きることそのものが答えなのかもしれないと思うのです。水平線にたどり着いたと思うと、その向こうにはまた水平線があるようなもの。介護も生きることもそういうものなのだと、人生の先輩である(還暦とペンネームに付いてますのでたぶん)還暦姉ちゃんさんのコメントを拝見して思いました。
◆たっちゃんさん、コメントありがとうございます。「藤川さんがなぜ、現在の多岐にわたる活動をされているのか、なにを感じ取って欲しいのか、ナースだから分かるのではなく、一人の人間として愛する家族がある身として学び取り考えて」と、たっちゃんさん。ナース(nurse)という言葉。たっちゃんさんはご存じだと思いますが、動詞で使うと「愛情深く抱きしめる」という意味があります。これこそ一人の人間として家族を愛するように看護する、そのことだと思います。また、「細心の注意を払う」という意味もあり、ナースというお仕事の大変さも、言葉の中に伺えますが、「酒などをちびちび味わう」という意味もあり、たっちゃんさん毎日大変なお仕事でしょうが、たまには仕事がオフの時などは、気を緩めてゆっくりしてください。
コメント
藤川さんこんにちわ。どの写真も素敵ですが、私は藤川さんの海の写真が大好きです。私自身は海が苦手なのに不思議ですねぇ???この写真も「外海」というところですか?先月悲しい事があった時ブログの写真を見てたら涙が溢れて文字が見えなくなってしまって。今日は疲れた一日だったのですが、この写真に癒されました。ありがとうございます。
毎回のコメントありがとうございます。人それぞれ異なる認知症を通して、色々な考え、色々な生き様が有ると毎回ながら想わされます。私の家は海が目の前に在りますので、毎日夕日と出逢っています。藤川さんの海の風景はいつものことながら、いつか見た懐かしい風景だと思い、私も嫁に来て30年間見続けた海に似ていて、(詩)と同じく益々心穏やかにさせてくれます。私も写真が趣味で20歳から下手の横好きで、被写体は歳と共に変わってきて、今は海と花とペット、近くの風景が殆どです。毎日決して同じでない入日の様に、濃いオレンジ色から、薄紫に変わっていくグラデーションの如く、人それぞれの生き方と重なって見えるのは、私だけでしょうか。
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