「死」とはその時まで生きること
「薬」
母は可愛そうだという
子どもも育て上げ
今からゆっくりしようというときに
可愛そうだとみんながいう
いや母は今が一番幸せな気もする
本当の母がここにはいる
いつも周りを気に掛けていた母
自分自身をすり減らして
本当の自分を押し殺して
母の体の中で
本当の母はいつも
小さく小さく小さくなって
息を潜めていた
心の襞(ひだ)の陰に隠れていた
本当の母の姿がここにはある
自分の思うままに生きる
天衣無縫の母がいる
父が用意した
病気を進まなくするだろう薬がある
病気がよくなるかもしれないという薬がある
その薬は
母にとって良いか悪いか
その薬を飲むとき
決まって母は
一瞬
いやな顔を見せる
誰のために生きているのか
母さん
おれのためだけに
生きているなら
もう大丈夫だ
写真=藤川幸之助
「結婚式より葬式の方が好きだ。葬式には未来がなくて過去しかないから気楽である。結婚式には過去がなく未来ばかりがあるから、気の休まるひまがない。」*1と谷川俊太郎さんは言ったが、葬式の後の四十九日、一年忌、三年忌と、私にとってこちらも気の休まるひまがない。だから、それより自分が死んだ時の方が気楽なような気がする。自分の大切な人を亡くすとなると、深い悲しみにうちひしがれることになるが、自分の場合は自分が死ぬんだから悲しまなくてすむし、その上、葬式の手配や煩わしいことは残された者がみんなやってくれる。こんな気楽なことはない。
私がこんなふうに思うのは、父の死や連れ合いの死を経験し、その間もずっと生き続けている母の死に向かい合ってきたからかもしれない。母が熱を出して入院すると、今度こそ死ぬのではないかと心が沈んで、不安で涙がでそうになった。何度入院を繰り返しても、母が死ぬのではないかと不安で不安でしょうがなかった。認知症の症状が悪くなれば、病気が進まないようにと薬を探した。食事ができなくなれば、何も分からなくなった母に無断で母の胃に穴を開け、胃瘻(いろう)から食事を入れた。母が死ぬその日を、母から遠ざけることばかり考えていた。母を死なせるわけにはいかないと必死になった。「死」という点を遠ざけることばかり考えていた。「死」にばかりとらわれていた。
「死ぬとは、その時まで生きること。」旅先でふとこの言葉に出会った。死を恐れるあまり、生きることを私はおろそかにしている。母が死なないということより、母がその生を全うすることの方が大切だ。そう思った。死のその瞬間が訪れるまで、母とどう生きるか。目の前に横になっている今の母を、しっかりと見つめようと思った。目の前に広がっている「今」という自分の人生をしっかりと見つめて生きていこうとも思うようになった。先日、病院から外出する認知症のおばあちゃんに、看護師さんが「これからどこに行くの?」と尋ねていた。「お墓まで行きます」とおばあちゃんは笑って答えた。私もいっしょに笑った。そう、そのおばあちゃんだけではなく、母も私もお墓に向かって生きているのだ。死は母にも、もちろん私にもいつか訪れる。人はいつかは死ぬ。その時問われるのは、どのように死んだかではなく、どう生きたかだ。
医師から母の病状を聞いた。母は、アルツハイマー型認知症のターミナル(終末)期だと。相も変わらず心が沈んで、不安で涙がでそうになった。話を聞いた後、母の手をとり歌を歌った。母が好きだった歌を。天国の父が、生前毎日母に歌ってあげていた旅愁という歌を。父が死んで12年、母も父もお互いに会いたいだろうなあとも思った。歌を歌っていると、また母の呼吸が止まった。「母さん息ぐらいせんと、生きとるとはいえんぞ!」
母は驚いたように大きくスーッと息を吸った。と、舌根が落ちてまた。必死に息をする母の姿を見て、大きな命の流れが母の体に流れているのを感じた。息をしようと、精いっぱい生きる母の姿に私は圧倒され、母の命にへりくだる。「母さん本当によくがんばっとるね。偉いぞ母さん。」と、まるで子どもを励ますように言った。
「お母さんは最終的には息をしなくなって、老衰ということに」と、医師が付け加えた。私は、老衰と聞いて、なんだかとても気が楽になった。母が天寿を全うするかのように思えた。母の命を全うさせてやることができるかもしれないと。私がこの世に生まれて、立って歩こうとしたとき、母が私の手をとり少しずつ歩かせてくれたように、私も母の手をとり母の魂を父のいるあの世へ少しずつ歩かせて、父へ母を手渡してあげたいと思うのだ。私が歩けたとき、父と母が手をたたいて喜び、何よりも嬉しいことだったと母から聞いたことがある。子どもを励ますように私も母の魂の手を引き、少しずつ母の命を全うさせる。その命の全うを、私は泣きながらでも寿(ことほ)ぐことができるかもしれないと今は思えるようになったのだ。
*1『谷川俊太郎の問う言葉答える言葉』谷川俊太郎 イーストプレス 2008年
◆先週のブログは、講演会といろんな原稿が重なっていて、期日も遅れ、文章もとてもねじれていました。後でブログを書き直していますので、お時間があるときご覧ください(というほど変わってないのですが)。
◆N子さん、コメントありがとうございます。「どうやったら男の子にもてるか?」という関心事をもってらっしゃる姪御さんの誕生日に、絵本『大好きだよ、キヨちゃん。』をプレゼントされたとのこと。著者の私としては、とても嬉しいのですが、その関心事の答えになったかどうか、とても不安です。それは、著者の私が今まで女の子にもてたことがないからです。ですから、N子さんに歌をほめられると、もてていると勘違いをしてしまいます。講演会参加、ありがとうございました。心から感謝しています。
◆たっちゃん、コメントありがとうございます。たっちゃんが書かれた「読み解く作業自体が、愛情の行為だと感じます。」という言葉。痛感します。読み解くことはできないかもしれないけれど、母の心を少しでも読み解こうとするとき、確かに母親への愛情がその起点になっているのを感じます。私にとって、読み解くこと自体が重要ではなく、「読み解こうとすること」そのこと自体がとても重要です。水平線を追いかけて、たどり着いたと思うと、そこにはまた水平線が見えていて。「読み解こうとしていること」は実を結ばなくても、決して無駄なことではなく、そのことが自体が愛情を向けることと同義であることだと、たっちゃんの言葉に学びました。ありがとうございました。
◆編集部からのお知らせ◆
藤川さんの講演会が開催されます。
お近くの方は、是非ご参加ください。
【タイトル】「支える側が支えられるとき~認知症の母が教えてくれたこと~」
【日時】平成21年7月31日(金)14:20~16:30
【会場】横浜市 南公会堂
【定員】200名
【参加費】2000円
【内容】アルツハイマー病の母の介護経験による詩と、認知症の介護を考える。
【申込・問い合わせ先】横浜市福祉サービス協会 人事課研修担当 TEL 045-262-7272
【ホームページ】http://www.hama-wel.or.jp
コメント
一生懸命呼吸をして、生きている。そのベッドに横たわるお母さんが、藤川さんの言葉や声にならない言葉気持ちまでにも反応してくれている様子こそ、母性・母の子に対する深い無償の愛情を感じます。存在を無視される事ほど、生きていて辛い事はないと思います。どんな時も、会話が成立する・しないとは関係ない心が通じ合う瞬間、相手が自分の存在を大切に扱ってくれて、ましてや好きだというオーラを感じることが出来る自分、「しなやかな心を持っている自分」に気が付いたとき、「生きる事は、お互い支えって成り立つのだな」と感じます。
お母さんを安心させるために発する「大丈夫」
の言葉は藤川さん自身の厳しい現実を受け止め、それでも尚あなたの事を支えていきますよ…「だから大丈夫だ」という言葉になると感じました。お母さんは病気になる前も、なった後も常に回りの人から色んな愛情を感じ取り過ごしてこられてると思うので、幸せな人生を生きている道のりの途中だと思います。天寿を全うする…そのゴールに向かうマラソンランナーです。
藤川さんこんにちわ。藤川さんは詩人なのですから、「女の子にもてたことがない」なんて言ってはいけませんヨ。でも「女の人にはもてる」のかもしれませんね…母親が子供を想う気持ちというのは、家庭や子供をもった事の無い私には計り知れないものとは思いますが、お母さまの頑張りに藤川さんへの深い愛情を感じ、心が締め付けられるようです。お母さまと藤川さんに安らぎが与えられますよう心から願っております。
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