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詩人 藤川幸之助の まなざし介護

心を強く保つ

「おむつ」
  
認知症の母が車の中でウンコをした
臭(にお)いが車に充満した
おむつからしみ出て
車のシートにウンコが染み込んだ
急いでトイレを探し男子トイレで
尻の始末(しまつ)をした

母を立たせたまま
おむつを替える
狭(せま)い便所の中で
母のスカートをおろす
まだ母は恥ずかしがる
「おとなしくしとかんとだめよ」
母のお尻をポンポンとたたいてみた
子供の頃のお返しのようで
少し嬉(うれ)しくなった

母のお尻についたウンコを
ティッシュで何度も何度も拭(ふ)いてやる
かぶれないように拭いてやる
母が私のウンコを拭いてくれたように
私は母で
母は私で

母の死を私のものとして見つめる
私の死を母のものとして見つめてみる
母と一緒に死を見つめてみる
狭い棺桶(かんおけ)のような直方体の
白い便所の中で

鍵(かぎ)を開け母の手を引いて
便所から出る
そして
左手で母をつかまえたまま
私も便器に向かい
右の手で小便を済ませた

『満月の夜、母を施設に置いて』(中央法規)

flower.JPG
写真=藤川幸之助

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 先日JRに乗ったら、近くに座っている人の香水の匂いが鼻についた。気にならない人には気にならないだろうし、この匂いが好きな人にはたまらなくいい香りなのだろうが、匂いというのは一度気になるとどうにも心地悪くなる。音だったら、近くに行って静かにしてくれと言うこともできる。しかし、匂いだけは、「私にとっては嫌な匂いなので消してくれ」と言って、要求するのは無理難題というもの。匂いなんて容易には消せないし、嗜好も人それぞれ。JRの列車の中で、その香水の匂いを2時間我慢するしかなかった。
 ここまで書いて、それくらいのことで、「何を大げさなことを言っているんだ」と拙文を読みながら思っている読者がいるのが容易に想像がつく。つまり、匂いというものはどうにも容易に文字では伝えにくい。文字だけではなく、画像も映像もそうだ。花の写真を見ても色と形しか伝わってこないし、映画にはいつも匂いだけが欠けている。四年前、ジョニー・デップの『チャーリーとチョコレート工場』では、子ども達がチョコレートの滝を見学しているシーンでチョコレートの香りが映画館内で放出されて好評を博した。映像に加えて匂いが伝われば、見ている者は更にリアリティーを感じることになる。
 不快なくさみには「匂」よりも「臭」を使うことが多いが、臭いもまたそう。母の介護をするときのウンコやヨダレの臭いは凄(すさ)まじい。鼻が曲がるとはまさにこのこと。
 自分の母だから、この臭いは我慢できているんだといつも思う。だから、病院や施設などで、母の下の世話をしてくださった看護師や介護士の方々には心から申し訳ない気持ちになる。この「臭い」のリアリティーも、若い介護士の離職率の高さの一つの要因になっているのではないかと思うのだ。志を高くもって、人のために働こうと介護士になった若い人たちが、現場を目の当りにして、この「臭い」のリアリティーにその志が萎えるのではないかと、これからの介護の将来を危惧してしまう。
 私のような堪え性のない人間は、自分の母においてでさえこの臭いは我慢できなかった。この詩「おむつ」は、初めて母のおむつを替えたときの私の心を書いたもの。鍵をかけた狭い男子トイレの中で、母を立たせたままおむつを替えた。母が大声を出した。替えている側から、母はおしっこをした。ウンコの付いたお尻を触ろうとした。仕舞にはしゃがんでおしめを替えている私の頭に、母はヨダレを垂らした。「おれの母さんなんだろう」と、トイレの床にウンコの付いたおしめを叩きつけた。私のズボンは、跳ね返ったウンコで黄色い染みだらけになった。涙が止めどもなく流れた。「お父さん、なんで俺がこんなことをしなきゃならないんだ!」と死んだ父に恨み言のようなことを言い、泣きながら母のお尻を拭き、トイレの床を拭いた。母はじっと私のしていることを見つめていた。
 ある日、こんな話を聞いた。失禁が増え、母親が紙おむつを初めてはめた日、「こんなになってしまった」と息子の前で、その母親は泣き出したと。母にも、言葉があれば、同じことを言い、泣き出していたかもしれない。言葉がないというだけで、認知症の母の心を踏みにじってきたような気がする。母が、紙おむつを初めてつけた日、母は困った顔をしてカッカッカッと笑っていたのを覚えている。「母さん、しょうがないじゃないか。よく似合うよく似合う」と私もいっしょに笑った。おむつでつらい思いをしていたのは、私だけではなかったのだ。
 おむつは、漢字で「お襁褓」。この漢字を分解すると、衣偏に「強く保つ」と書く。元来、ウンコなどを漏らさず強く保つ布切れの意味。しかし、私には「心を強く保つ」と読める。いつも、「母のウンコの臭いに苛つかず、心を強く保つんだ」と自分に言い聞かせた。私が母の気持ちも考えないで、紙おむつをはかせた母への非礼をわびながら、これぐらい我慢できないでどうするといつもいつも自分に言い聞かせて臭いを我慢していた。そんな私も、10年近く母の側にいると、この臭いにもすっかり慣れた。薬局のポイント5倍の日をねらって、紙おむつや尿取りパッドを買う。両手いっぱいにおむつのパックを下げて母の許に行く。紙おむつや尿取りパッドを一つ一つ棚に並べながら、「今日もまた並べることができた」と、母が生きていることの喜びを感じる。紙おむつの両手いっぱいの重さも母のウンコの臭いも、母の生の尊さだと心から思えるようになった。

◆松楠甲斐さん、感想ありがとうございます。認知症と思われる御両親との毎日、大変だと思います。微力ではありますが、私のブログが松楠甲斐さんのお役に立ててとても嬉しいです。「無理なさらず、息の長い活動を願っています。」と、松楠甲斐さん。「無理なさらず」と書かれると、私は堪え性がないので、本来ならすぐにブログを止めてしまう弱い性格です。しかし、松楠甲斐さんのように、私のブログを待ってくださっている方が1人でもいると思うと頑張れる気になってきました。後9か月頑張ります。ご期待ください。

◆ぷーさん、拙著『満月の夜、母を施設に置いて』を読んでいただき、ありがとうございます。亡くなられたお母さんと「もう少し話をしておけばよかったと。」とぷーさん。この感想を読んで、今日は母にいっぱい話しかけてきました。今日は、ぷーさんのおかげで母をしっかり見つめたような気がします。ありがとうございました。

◆たっちゃんさん、いつも感想ありがとうございます。「今回の写真も素敵です。」と、たっちゃんさん。今まで、私は詩でほめられたことはあまりありませんが、この頃写真をよくほめられます。写真をほめられるととても嬉しいです。たっちゃんさん、ありがとうございます。しかし、写真は一瞬だし、詩もプロなのでそう時間をかけずに書けるのです。だから、本当のことを言うと、一番時間をかけて書いているブログのエッセーの方をほめてもらいたいと思っていたら、ブログ担当の編集者が昨日メールでほめてくれました。


コメント


 藤川さんこんにちわ。教えて頂いた「沈黙」を読んでいます。私はエリザベスアーデンのコロンをつけ、髪をしばり、一呼吸してから勤務に入りますが、人様の迷惑にならないよう気をつけなければと…薬局のポイント5倍ディーのお買い物が長く、長く続きます事を願っております。


投稿者: N子 | 2009年06月26日 16:51

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。なお頂いたコメントは、書籍発行の際に掲載させていただく場合があります。

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プロフィール
藤川幸之助

(ふじかわ こうのすけ)
詩人・児童文学作家。1962年、熊本県生まれ。小学校の教師を経て、詩作・文筆活動に専念。認知症の母親に寄り添いながら、命や認知症を題材に作品をつくり続ける。2000年に、認知症の母について綴った詩集『マザー』(ポプラ社、2008年改題『手をつないで見上げた空は』)を出版。現在、認知症の啓発などのため、全国各地で講演活動を行っている。著書に、『満月の夜、母を施設に置いて』(中央法規出版)、『ライスカレーと母と海』『君を失って、言葉が生まれた』(以上、ポプラ社)、『大好きだよ キヨちゃん』(クリエイツかもがわ)などがある。長崎市在住。
http://homepage2.nifty.com/
kokoro-index/


『満月の夜、母を施設に置いて』
著者:藤川幸之助
定価:¥1,575(税込)
発行:中央法規
ご注文はe-booksから
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