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詩人 藤川幸之助の まなざし介護

人と人とのつながりを感じる

DSC_2178.JPG
写真=藤川幸之助

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「忘れていたんだと思う」

一つであったことを
忘れているんだと思う。
たとえば大きな海。
たった一つの海から
その波として
私たち一人一人は
生まれてくる。
そんな具合なんだろうと思う。

一つであったことを
忘れているんだと思う。
たとえば広がる空。
たった一つの空を
自分の小さい窓から
私たち一人一人は
自分の分だけの空を見上げている。
そんな具合なんだろうと思う。

だから
「さびしい さびしい」と叫ぶ
「人なんて もう信じない」と叫ぶ
叫んで叫んで叫びながら
消え入りそうな自分を見つめて
また一つになろうと
人を愛し
人を認め
人を信じようとする。
それが人の心の自然な姿なんだと…。

母と一つであったことを
忘れていたんだと思う。
青く広がった空の下
認知症の母が海を見つめて
大声を出して叫んだ。
大きな波が一つ陸に寄せて消えた。
海が青く青く光った。

長崎新聞2007年7月に加筆訂正


 「絆が深い」というのは、間違いのようだ。絆とは、もともと馬・犬・鷹などの動物をつなぎとめる綱のことを言うので、「絆が強い」というのが正確な言い方。その強い綱から、親子の絆だとか夫婦の絆だとか断ちがたい人と人との結びつきを意味するようになったのは容易に想像できるが、どうもこの「絆」という言葉が私は苦手だった。黒いTシャツの背中にでも金文字で書いてあったりすると、恐れ入って目を背けてしまっていた。絆というと、血のつながりのように選択の余地なく最初からつながった断つことの難しい関係、そんな感じがしていた。綱につながれて雁字搦(がんじがら)めにされて、束縛されているイメージが強かった。
 母が認知症になって、父が亡くなり母の介護を私がするようになった。母のおしめを替えながら、「何でおれが母の世話をしているのだろうか?」という疑問が湧いたときがあった。息子だからか? 父に頼まれたからか? 人の目が気になるからか? そん理由なんて全て無視して、私は母をほったらかすことはできるはずだ。施設や病院にお金だけ払いに行って、知らぬ振りもできるはずだ。そう思うけれど、母をほったらかすことはできなかった。まったく説明がつかないが、母の世話をせずにはいられない自分がいた。
 ホスピスで仕事をしたことのある友人からこんな話を聞いた。癌であと1週間か10日の命の人に、「何かしてほしいことはありませんか?」と尋ねると、「何もしてもらわなくてもいいです。ただ、家族の気配を感じたい。何もしゃべらなくても、ねてても、本を読んでいてもいい、ただ家族の気配を感じていたい。」と。この「家族の気配」こそ、母の世話をせずにはいられない理由ではないかと思った。愛を与えることができるように、人にはちゃんとその相手が用意されているんだと思うようになった。絆とは、地球に引力があるように、お互いに引き合う心のことではないかと。そう思ってから、「絆」は束縛するものではなくなった。
 そう思うようになって、母の介護をしながら、幼い頃の母とのことをいろいろと思い出すようになった。たいして仲のよい親子ではなかったけれど、こうして一人前になったのも母や父のおかげだと思えるようになった。認知症の母は、もう喋ることも、私を息子だと思うこともないが、母は屹度私の気配を感じている。その引き合う絆でつながっていると思うのだ。母の介護をしながら、母との絆の結び直しを、今私はやっている。母が認知症になって、父もまた夫婦の絆の結び直しをしたに違いない。愛を与える相手と手を取り合い、父はとても幸せそうだった。母もまた、父の愛を感じ、父に愛を与えていた。
 母を通して、私は多くの人と出会ってきた。母を介護してくださった施設の人たち、病院でお世話になってきたお医者さんや看護師さんたち、認知症の講演会で出会った人たち、病院や施設で出会ったおじいちゃんやおばあちゃんたち、そしてその方々を介護する人たち。母が認知症にならなかったら、こんなに多くの人と出会っただろうか。どの出会いも、私にとってはとても大切な出会い。みんな母が出会わせてくれた大切な人たち。その絆を大切にして、その人たちとのつながりを感じながら生きていこうと思うようになった。人と接するのが苦手だった私が、いつの間にか人と出会う楽しさを感じるようにもなったのだ。
 私が出会った一人一人もまた、その母とつながっている。そして、その母もまた母へとつながる連鎖。そう考え、さかのぼっていくと「母」を通して全ての人はつながっているのは当たり前の話なのだ。周りの人々とどこか遠くでつながり一つであることを、いつも海や空や母の瞳は思い出させてくれる。そういう意味では、「絆が深い」もまんざら間違いではないような気がする。

DSC_5148.JPG
写真=藤川幸之助

◆「たっちゃん」というのがペンネームなら、「アグネスチャン」さんと言うように、「たっちゃん」さんというのが正しいのかなあと、今日は一日考えましたが、長くなるので「たっちゃん」でご勘弁ください。たっちゃんが書かれていた「一生懸命呼吸をして、生きている。そのベッドに横たわるお母さんが、藤川さんの言葉や声にならない言葉気持ちまでにも反応してくれている様子こそ、母性・母の子に対する深い無償の愛情を感じます。」この文をみてから、母が今までと違って見えました。母の必死で生きる姿が、私への愛。いい言葉をいただきました。たっちゃんありがとうございます。
◆N子さん、感想ありがとうございます。もっといいことを書いていただいているのですが、今日はN子さんのこっちの文にお答えします。「藤川さんは詩人なのですから、「女の子にもてたことがない」なんて言ってはいけませんヨ。でも「女の人にはもてる」のかもしれませんね」N子さん少し言い直させてください。「私は詩人なので、とてももてます。しかし、すぐ飽きられます。」これでどうでしょうか。ちなみに、一番寿命が短い職業は、詩人で、27才だとどこかで聞いたことがあります。私は47才。やはり私は本物の詩人じゃないようです。

◆編集部からのお知らせ◆
藤川さんの講演会が開催されます。
お近くの方は、是非ご参加ください。
【タイトル】「支える側が支えられるとき~認知症の母が教えてくれたこと~」
【日時】平成21年7月31日(金)14:20~16:30
【会場】横浜市 南公会堂
【定員】200名
【参加費】¥2000
【内容】アルツハイマー病の母の介護経験による詩と、認知症の介護を考える。
【申込・問い合わせ先】横浜市福祉サービス協会 人事課研修担当 TEL 045-262-7272
【ホームページ】http://www.hama-wel.or.jp


コメント


空母というイメージが今回の詩・写真を通して感じ取れました。青い空と青い海、太陽や月が昇りその光の影が水面に反射して滲んで映る。その人の心の状態でキラキラ輝く青い穏やかな水面に見える時もあれば、光すら感じない波立つ深青の海のすべてを飲み込んでしまう怖さを感じる時もある。そんなお互いが影響し合っている空と海に空母艦はお互いのちょうど真ん中にいつも存在する。空母から空に向かい飛び立ち、訓練を終えると空母めざし帰ってくる。まるで母と子の関係の様に。だから、どっしり空母はそこに居るだけで充分なのである。空母は決して自分の存在を前に押し出さない。あえて目立つ事をしなくても、いずれその存在の大きさに気がついてくれたら嬉しい。そんな無償の愛情で母はいつまでも、子供の心の一番深い所で存在するから、いくつになっても母の存在・温もりを感じると心が落ち着く。
見返りを求めない…ただそこに居て微笑んで居てくれる…それだけで元気になれる。母は強い。強いから優しくなれる・。心の深くに根を張る結びつき…これが絆なのかも…と感じた瞬間が、絆を固く結び直した瞬間だと感じた。


投稿者: たっちゃん | 2009年06月11日 03:57

 藤川さんこんにちわ。私は藤川さんが100歳になって書く詩を楽しみに待ってますヨ。海の写真とっても素敵ですね。私もこの景色を見てみたいと思いました。水曜日祖母が亡くなりました。何時も誰かの心配をして…料理上手な祖母でした。この間面会に行った時「豆パンが食べたい」と言うので買ってあげたら、喜んでくれて…今日棺の中にコンビニで買った豆パンをそっと入れました。この数年パンを焼く事に夢中になっているのに、何故祖母為に持って行かなかったのか悔やまれてなりません。今この海がとても見たいです。


投稿者: N子 | 2009年06月12日 20:35

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。なお頂いたコメントは、書籍発行の際に掲載させていただく場合があります。

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プロフィール
藤川幸之助

(ふじかわ こうのすけ)
詩人・児童文学作家。1962年、熊本県生まれ。小学校の教師を経て、詩作・文筆活動に専念。認知症の母親に寄り添いながら、命や認知症を題材に作品をつくり続ける。2000年に、認知症の母について綴った詩集『マザー』(ポプラ社、2008年改題『手をつないで見上げた空は』)を出版。現在、認知症の啓発などのため、全国各地で講演活動を行っている。著書に、『満月の夜、母を施設に置いて』(中央法規出版)、『ライスカレーと母と海』『君を失って、言葉が生まれた』(以上、ポプラ社)、『大好きだよ キヨちゃん』(クリエイツかもがわ)などがある。長崎市在住。
http://homepage2.nifty.com/
kokoro-index/


『満月の夜、母を施設に置いて』
著者:藤川幸之助
定価:¥1,575(税込)
発行:中央法規
ご注文はe-booksから
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