ぺらぺら脳
「あごあげ係」
熱が上がり
母の意識がもうろうとしてくると
あごがストンと落ち
口がぽかんと開いたままになる
すると舌がノドに落ちて息が止まる
浅い浅いほんとに浅い息を
くっくっくと母は繰り返す
そして、もがく、大声をあげる
そんな時あごを上にあげてやると
鼻の穴から母の中に
この世の空気がスッと入っていく
私が手を放すと
またあごがストンと落ちて
ノドに舌がふたをする
母の真っ赤な舌が
あの世への扉に見える
また、もがく、大声をあげる
この繰り返し
だから、左手であごをあげたまま
右手でパンをかじる
右手で雑誌をめくる
右手で詩のメモを取る
左手であごをあげたまま
時には私は目を閉じて居眠りをする
そして、母の大声で目を覚ます
病室でこの繰り返し
これは立派な係だ
「あごあげ係」だ
舌がノドに落ちるのを
「舌根沈下」というのだと
夜勤の看護師さんが教えてくれた
「ゼッコンチンカ」へんてこなひびきだ
ゼッコンチンカゼッコンチンカ……
私の言葉の繰り返しを聞いて
母がカッカッカッカと笑った
自分を苦しめているものだとも知らないで
面会の時間が過ぎて病室を出る
階段を下りながら
小学生の夏休み
花壇の水かけ係をサボり花を枯らして
先生に大目玉を食らったことを思い出した
もがく母の大きな声が
静かな病棟にこだましている
明日、生きた母に会えるのだろうか?
ゼッコンチンカゼッコンチンカ…
不安をかき消すように
何度も何度も唱えながら病院を出た
詩「あごあげ係」を書いて、八年が経つ。相変わらず、母は舌根沈下を繰り返しているが、今回はあまりにその頻度が多く、おまけに息をしない時間が長い。血圧も急に下がったので、検査をした。検査が終わって、また相も変わらず、私は母の舌根沈下に付き合う。あごをあげると、すーっと母の肺に空気が入っていく。母がアルツハイマー型認知症と診断されて二十年。もうずいぶん母も頑張ったなあ、もう休ませてあげたいなあと、不意に思って、すぐに打ち消した。今日は、詩を一編。
「ぺらぺら脳」
舌根が落ち
息がうまくできない
苦しそうにしているかと思うと
今度は息をするのを
40秒もやめてしまう
そして、ふっと気がついて
激しい息をするや
脈拍が上がって
苦しそうにする
この繰り返し
検査をした
MRIで撮った
母の脳の画像を見た
母の大脳にはぽっかりと
大きな空洞ができていた
頭蓋骨と脳の間にも隙間があって
脳はぺらぺらだった
こんな状態の脳を見るのは初めてだ
と医師から聞いた
こんな状態で
感情を表す母は奇跡的だとも
母に頑張れ頑張れ
と、言えなくなってしまった
「母さん死んだらいけんよ
母さん行くなよ
どこにも行くなよ」
と、母の手をしっかりと握ったけれど
もうすぐ母は死んだ父の所へ
行ってしまうんだろうなあ
母はぺらぺらな脳で
この世のぼくの相手をし
脳の中の大きな空洞で
死んだ父と遊んでいるにちがいない
また舌根が落ちた
息ができなくて
母はうつろな目をして
もがき苦しむ
「もうよかよ
もうよかよ
今までようがんばったよ
母さんはようがんばったよ」
自分を励ますように
自分を説得するように
何度も何度も
母の手を握り言う
写真=藤川幸之助
コメント
藤川さん、こんばんは。
お母様の生きる力に心が打たれます。
生きること、生きぬくこと…お母様は懸命に今を生きておられるのですね。
藤川さんのお母さん、今日仕事で利用者様宅に訪問しましたら、玄関前にある桜の木がみごとなほどの満開で、とてもきれいでした。
数日前物凄い強風だったのですが、木って強いなぁとも思いながら眺めてました。藤川さんの手の温もりがお母様には春のような温もりなのかなと思いました。
今日 札幌へ職場の仲間が講演を聴きに行きました 私は行かれないので PCで拝見させて頂いてます
私の母は先日 短い入院生活を終え 天上へと旅立ち 藤川さんのお母様と重なり いつもウルウルしながら読んでおります
お母様も 藤川さんの優しさに包まれ 安心されている事と思います
藤川さん、講演大変お疲れ様でした。
心に響くとても良い講演でした。
参加できたことをとても幸運に思いました。
お母様の耳元で歌われる「旅愁」があんなにダイレクトにお母様の心に魂に響くのを目の当たりにし、脳が病気になろうとも心は魂はけして失われることなく、何があってもその人のものなのだということをしみじみと実感することができ、胸が熱くなりました。藤川さんが歌ってくださった「旅愁」にはつい拍手を忘れて聴き惚れてしまいました。実は2番も歌ってくれないかなと願いながらいたのですが…叶いませんでした(笑)
お母様のご状態がご心配ななかでの講演を本当にありがとうございました。
なんと言葉にしてよいのか正直分からないのですが、お母様と藤川さんの「愛」は永遠のものであって、そして何があっても変わることがないものだと思っております。最近、ようやくそういう大きな「愛」が少しずつですが気づけるようになれてきました。
またお会いできる日を楽しみにしております。
お母様にもよろしくお伝えください。
ありがとうございました。
札幌での講演会に参加させていただきました。
お話しになる言葉の一つひとつに、心を動かされました。
私が藤川さんと出会うことができたのは、きっとお母様のおかげなのだと考えながら講演のことを振り返っています。
藤川さんと、そしてお母様に心から感謝いたします。
昨日の札幌の講演ごありがとうございました。
前の席でつい自分の母と重なりウルウルしてました。私はケアマネージャーをしておりますが、自分の母が5~6年ほど前、認知症状が出始めた頃は受け入れられず優しい娘ではなかったと思います。父との2人暮らしでしたが、父が2年前に膵臓がんであっという間に亡くなり、病院やグループホームにお世話になっていました。その後誤嚥性肺炎になり胃婁になりました。今目が全く見えないので声で娘を認識してくれますが、わからなくなるのもそう長くはないように思います。「介護は最後の人間関係修復」という話しを聞いたことがあります。本当に実感します。今は母がいとおしくてなりません。そう私たちにも物語があったから…
藤川さんがお母様に寄り添っているすがた励みになりました。ありがとうございました
先日の札幌での講演お疲れ様でした。
サインもありがとうございました。
自分は特養で働かせていただいています。
そして家族、施設両方の側から藤川さんの詩を読ませていただいています。
藤川さんの詩は全編心に届きますが特に「扉」と「旨い物」は涙が止まりませんでした。
亡くなった祖母は美味しいものが大好きでした。
北京ダックをほおばりながら、「この歳で、こんなハイカラな物食べてるの私だけだね」と喜んでいた祖母も亡くなる間際には大好きだったプリンを「あとから」と残していながらも「にいちゃんが買ってくるものは全部美味しい」と言ってくれた事、忘れられない事があります。
入居者の方、自分の祖父母共に送りましたが、「これで充分だったのか」「もっと何かできたのでは」日々考える事があります。
明日も会える事を願いながら、それでも折れそうになりながらも、藤川さんの詩と言葉に初心を忘れずに行けると思います。
藤川さんの「上手な歌」がお母様の心に届きます様に。
また、札幌にいらしてください。
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