悲しい笑顔
「手帳」
母が決して誰にも見せなかった
黒い鉛筆付きの手帳がある。
いつもバッグの底深く沈め
寝るときは枕元に置き
見張るように母は寝た。
その手帳が
今私の手の上に乗っている。
父の名前、兄の名前、私の名前。
手帳には、びっしりと
忘れてはならぬ名前が書いてある。
そして、手帳の最後には
自分自身の名前が、ふりがなを付けて
どの名前よりも大きく書いてあり
その名前の上には、何度も鉛筆でなぞった跡。
母は何度も何度も
自分の名前を覚え直しながら
これが本当に自分の名前なんだろうかと
薄れゆく自分の記憶に
ほとほといやになっていたに違いない。
母の名前の下には
鉛筆を拳(こぶし)で握って押しつけなければ
付かないような黒点が
二・三枚下の紙も凹ませるくらい
くっきりと残っている。
父・母・兄・私の四人で話をしていたとき
母は自分の話ばかりをした。
母は同じことばかりを繰り返し言った。
「同じ話ばかりするのは、やめてくれ」
と、私は母をにらみつけた。
病気とも知らず。
話について行けない母は
その場からいつの間にかいなくなっていた。
あまりに帰らないので
探しに行くと
三面鏡の前に母はいた。
自分の呼び名である「お母さん」を
何度も何度も何度も唱えていた。
記憶の中から消え去ろうとしている
自分の連れ合いの名前や
息子の名前を何度も唱え
必死に覚え直していた。
振り返った母の手には
手帳が乗っていた。
私に気づくと、母は
慌(あわ)ててカバンの中に
その手帳を押し込んだ。
その悲しい手帳が
今私の手の上に乗っている。
絵=藤川幸之助
『満月の夜、母を施設に置いて』(中央法規)に関連文
インターネットにブログを書くというのは、大海の波にのせて手紙入りの瓶を放つようなもの。一人でもいいから、どこかの浜辺で瓶を手に取り、私の文を読んで喜んでいてくれていると思わなくては、ブログなんて書けないとは思っているのだが、ブログへの読者の反応が気にかかる。一日に何度もこの「けあサポ」に来て、コメントがないかどうかを確かめる。本当に読者は面白いと思ってくれているのだろうか?とか、そもそも私のブログを読んでくれているのだろうか?とか、その反応ばかりが気にかかる。人の評価や反応ばかりが気にかかるときは、自分に自信がない時であり、自分は周りに受け入れられているかという不安があるときだ。
認知症になったばかりの母も、そうであった。いろんなことを忘れていく自分に自信がなく、不安そうな顔をしていた。自分は周りの人に受け入れられているのだろうかと、母はまわりの顔色ばかりを伺っていた。忘却の恐怖もあったろう。家族や周りの者が、自分を受け入れてくれない寂しさもあったろう。「同じことを何度も言うな」と言う息子の冷たい言葉も悲しかったろう。その行き場のない気持ちを表す言葉さえも、日を追って失っていく。意味の分からない会話にうなずくふりをしていた母。そんなあなたのことなんてほっといて、楽しい話題で笑っていると、母も一緒に笑っていた。私たちが笑うのにあわせて、意味も分からない話に、母は声を出して笑っていた。周りの顔色をうかがう目。悲しい笑顔が、未だに私には忘れられない。
同じ話ばかりする認知症のおばあちゃんがいた。家族はまた始まったと、嫌な顔をしたが、小学生の孫が「ばあちゃんの話は何回聞いても面白い」と言った。するとおばあちゃんは満面の笑みを浮かべたと。「お母さんの話は、何度聞いてもおもしろいなあ」と、母の手でも握ってあげていたら、悲しい笑顔を見ずにすんだかもしれない。満面の笑顔の母を見ることができたかもしれない。
認知症が進む中、言葉を失い、この社会から離れていく母。言いたいことや伝えたい思いをたくさんたくさん頭の中に抱えたまま、それを伝えられない自分とその自分を受け入れてくれない家族や社会に母はとまどっていたに違いない。この広い世界に、片言の言葉で向かい合っていく不安はいかばかりだったか。それこそ、片言の言葉を入れた瓶を波にのせるようなもの。際限なく広がる海を前に、母のとまどいは計り知れない。
幼い頃、こんがらがった私の話や言葉をうなずきながら笑顔で聞いてくれた母を思い出す。その笑顔が、愛された記憶として今でも私の中に残っている。内容ではない。言葉でもない。条件付きの愛でもない。母の柔らかい笑顔に、私は許され、愛され、無条件に受け入れられていた。言葉をなくした母の体の奥に、きっと母の思いは今でもうごめいている。その母の心に、言葉を越えて語りかける。「お母さん、ぼくがそばにいますよ。愛していますよ」と。幼い頃、母が私の話を聞いてくれた笑顔で母を見つめる。母の悲しい笑顔を打ち消すように、満面の笑顔で母を見つめる。
コメント
はじめまして。
藤川さんの講演を知り、『満月の夜、母を施設に置いて』を読ませていただきました。そのなかで一番心に残りましたのがこの「手帳」のことでした。お母様の忘れゆく記憶への不安や、忘れたくない忘れてはいけない思いが詰まった手帳を思うと、とても切なくなりました。
これから年老いてゆく親を、自分が親から受けた愛情のようにおかえしできる自分でいたいとは思っているのですが…。
5月24日札幌での講演を、今からとても楽しみにしております。
この詩を胸に、これからの父が待つ病院へ顔をだしに行ってきます。
詩集「マザー」以来の大ファンです。お母さんへの慈しみの思いにあふれていると同時に,お母さんを鑑にして自分の心を鋭く見つめる藤川さんの生きる姿勢にいつも心を打たれています。
私には,介護しなければならないような身内はおりませんが,学校に勤めているので,子どもたちが,育てたりお世話をしたりの対象です。彼らとともにあるとき,藤川さんの「支える側が,実は支えられている」という言葉の深い意味を実感します。
現代は,人を押しのけてまで,自分を生かそうとする風潮があるように思います。そんな時代だからこそ,「誰かのケアをさせてもらうことで,自分が存在している価値を見いだしたり,生きる意味を考えたりすることができる」という藤川さんの思潮が光るのではないでしょうか。
次の詩集を心待ちにしています。
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