月の介護
写真=藤川幸之助
「ただ月のように」
ただ月のように
そこにいてくれる
ただそれだけでいい
何かをするということではない
何かをしないということでもない
することとしないことの
ちょうど真ん中で
ただ月のように
見つめてくれる
ただそれだけでいい
認知症の母の病室の窓から、夕日が見える。母の病院は小高い丘の上にあって、その向かいの山の稜線に、真っ赤になって太陽は沈む。「今日も夕陽となり座つてゐる」尾崎放哉の俳句。この季節、私も放哉のように夕日としっかりと向きあって、母のベッドの横のイスに腰掛け、一日の終わりを迎える。母と二人の静かな一日の終わりだ。何もしないで、母の手を握り、夕日を見つめる。
夕日を見つめながら、その反対側から出てくる月のことを考えるようになった。まるで見えない心に思いを巡らすように、母の介護半ばに亡くなった父の母への思いを感じるように、月のことを考えるようになった。父はいつも母と手をつないでいた。母が認知症になってからは、いつもいつも母にまなざしを向けながら、母の手を握りしめていた。その姿を、追い求めるかのように、私も母と手をつなぐ。手をつなぎ、まなざしを向けながら、何もしないで母のそばにじっと寄りそう。自分を月のようだと思う。
太陽は、光を放ち、世界を照らし、生命を育てる。おしめを替えたり、食事をさせたり、お風呂に入れたり、口の中のケアをしたり、母が生きていくために何かをすることが太陽ならば、母の側にじっと座って、何にもしないで寄りそう私は、月。月の介護だ。人知れず静かに上り、太陽が沈むとふとその姿を現し、ただ見つめるだけの月。照らすわけでもなく、育てるわけでもなく、ただそこに静かにいて、淡い光で見つめ続ける月。手を握ること。まなざしを向けること。しないならしないで、母の命に関わることではない。しかし、母の命を静かに静かに慈しむ。母の手を握ると、ひんやりした母の手へ私の温かさが伝わる。そして、握りあった手はいつの間にか同じ温かさになり、どんどん温かくなっていく。手を握りあい、無限に出てくる温かさ。伝わっていくものがある。伝わってくるものがある。いつの間にか、私の命を、母の命が深く静かにいとおしむ。
母のために何かをすることが、母を幸せにすることだと思っていた。母のために何かしなければならないと、常に肩に力が入っていた。母のために何かをしながら、いつも小言ばかり言った。「母さん何でこんなことができんとね」とか、「頑張らんといかんよ」と。いつも苛立っていた。「おれの母さんだろう」というのが口癖だった。母は、いつも困った悲しい顔をしていた。
しかし、こんな私にも心の中に月が昇ってくれたおかげで、静かに母を見つめることができるようになった。介護だとか、認知症だとか、あまり大げさに考えなくなった。ただ年老いた母とそれを支える息子。普通にある当たり前のことをしているだけなのだ。月齢が一目で分かるカレンダーにした。ムーンフェイズ付きの時計に変えた。言葉をなくした母の命を感じるように、母の心を読み解くように、月のことを考えながら一日を過ごす。
写真=藤川幸之助
ぽんぽこぽんさん、みくさん、ブログへのコメントありがとうございます。先週の、ブログでコメントを催促したようで、恐縮です。5月24日札幌での講演では、「支える側が支えられるとき」という演題で話す予定です。認知症の母を、支えていると思っていた私が、実はその介護の経験を通して、精神的に母に育てられ、母に支えられていると感じる時があります。私のイメージ通りに動かない認知症の母に苛立ったり、悲しんだり、苦しんだりしていく中で、自らの精神が鍛えられ、少しはこの私も人として当たり前になっていっているのではなかろうかと思うときがあるのです。そんな思いを、詩の朗読や母との出来事、死ぬまで母を介護し続けた父の話を通して、23日東京と24日札幌では、お話ししたいと思っています。お会いするのを楽しみにしています。
コメント
こんばんは。
こちらこそコメントへのお返事をありがとうございました。
とても嬉しく拝見させていただきました。
5月24日の講演が益々楽しみになり、とても待ち遠しいです。
私は初めて介護の世界に飛び込んだのがグループホームでした。
入居者の方の優しさや素敵な笑顔に魅かれ、心が響き合える喜びも感じさせていただきました。
今は在宅支援をさせていただいておりますが、認知症に向き合うのではなく、その人自身に向き合うことの大切さを今更ながら気づきました。
恥ずかしい限りですが、気づけたことにほんのわずかですが自分自身、人としての成長を少しだけ感じたりしております。藤川さんの講演で沢山の事を感じ、これからも成長していきたく思っております。どうぞよろしくお願いいたします。
こんばんは
実は先週のブログをプリントアウトして、スタッフのみんなによんでみて…何かを感じ取ることが出来ればと机の上においています。
私自身、母が認知症になりだんだんと物忘れが多くなり、苛立つことも多くありました。
この「ただ月のように」は、今の私の気持ちそのままです。いてくれるだけでいいのです。生きている時にこの本に出会えたら、もっと優しくなれていただろうにと思います。
母を介護していた父には、少し優しくなれそうです。
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