春の色
「花見」
絵=藤川幸之助
たこ焼きとカンのお茶を買って
父と母と三人で花見をした
弁当屋から料理を買ってきて
花見をやればよかったねと言うと
弁当は食い飽きてね
と父が言った
母が認知症になり料理を作らなくなって
よく弁当屋に行くのだそうだ
弁当屋の小さなテーブルで
二人で並んで弁当を食べるのだそうだ
あの二人は仲のよかね
と病院中で評判になっているんだと
父は嬉しそうに話した
この歳になっても
誉められるのは嬉しかね
何もいらん
何もいらん
花のきれかね
よか春ね
母に言葉がいらなくなったように
父にも物や余分な飾りは
いらなくなってしまった
今年もカンのお茶とたこ焼きを買って
母と二人で花見をした
花のきれかね
よか春ね
と父の口真似をして言ってみる
独り言を言ってみる
母が高熱を出したので、今年の母との花見は見送った。せめてきれいな桜の写真を見せたいと、いろんなところで桜を撮って、病床の母に見せた。母に桜の写真を見せながら、父と母との三人での花見を思い出した。
母が認知症と診断され、母の介護は父に任せっきりだった。花見ぐらいは連れて行こうと思い立って、帰省した。桜の樹の下にブルーシートを敷いて、三人で花見をした。母が桜を見上げようともせず、脱いだ靴やたこ焼きばかり見ているので、「母さん、花見に来たんだから、花を見らんか」と桜の方を指さすと、今度は私の指ばかりを母は見た。たこ焼きを食べるとなると、いくつもいくつも口に入れようとするし、お茶を飲むと、のどに詰まらせて咳き込む始末。「これじゃ花見どころじゃないなあ」と、私がぼやくと、父が「何もいらん/何もいらん/花のきれかね/よか春ね」と、母を笑顔で見つめて言った。
父は認知症の母との介護の日々を通して、愛する者と手を取り合って生きることの幸せを、桜の下で深く感じていたに違いない。こんなに穏やかな父を見るのは久しぶりだった。私もまた、母とのドタバタの中でぼやきながらも、桜の下で父母との一時を楽しんでいたように思う。私たち三人の「たこ焼き花見」のまわりには、三々五々の花見客。花の下、桜はそっちのけで、酔っぱらい、手をたたき、歌を歌っていた。人が花見をするのは、桜を見るためではなく、淡い春の色に包まれて、人とのつながりを感じたいからではないかと思った。
その花見の帰り、父から弁当屋の話を聞いた。弁当屋の小さなテーブルに向かい合って座る認知症の母と老いた父。母が料理を作らなくなって、毎晩その窓際の小さなテーブルで食事をすると聞いた。父と母のことを思うと、今でも心の奥が強く締め付けられる。父は心臓病を患っていたが弱音を吐かなかった。私に手を貸せと一言も言わなかった。「お母さんは俺が幸せにする」父の口癖だった。桜の花びらの透けるような薄い春の色。何か悲しいような、懐かしいような、父の優しさのような、父の強さのような、そんな色。
私の街では、もう桜が散りはじた。私の歩く道が、その春の色でうっすらと色づいている。
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