詩「まなざし」
まなざし
ただの視線ではない
まなざしには
その視線をおくる者の
心がうつしだされている
まなざし
向ける者と向けられる者
向けられる者と向ける者
母と子のように
微笑みでありたい
空と海のように
澄んでいたい
まなざし
言葉をこえて
意味をこえて
見つめることで
静かに愛しあいたい
まなざし
人の体さえもこえて
■まなざし
母は、80歳。アルツハイマー型認知症と診断されて20年近くになる。今は、歩くことも、喋ることも、食べることもない。ただ静かにベッドに横たわっている。この母のことや母を支えた父のこと、それを継いで母の介護をする私のことを、ブログ「まなざし介護」で書いていこうと思っている。
このブログのタイトルは、最初「まなざしの介護」としていた。「の」を取った方がステキです、と女性の編集者に言われたので、一も二もなく「まなざし介護」にした。私は、若い頃からもてた経験がなく、「ステキ」と女性に言われると、主義主張やイデオロギーをこえて首を縦に振ってしまうところがある。しかし、私にも三文文士のプライドがあるので、没になってしまった「の」説明をすると、「鉄の扉」のように、ものの性質を表す格助詞の「の」で使った。つまり、その「の」の前にある「まなざし」は私の介護の本質を表す言葉なのだ。
心臓病を抱えながらも、父は黙々と母の介護をした。その合間合間に見せる母への父のまなざし。優しく抱きしめるように、父は母を笑顔で見つめていた。父が亡くなってから、母の介護を私が引き継いだ。父が生きているときは、母の介護は任せっきりだったので、介護の方法なんて何にも分からなかった。この父の「まなざし」だけが頼りだった。介護なんて何にもできないけど、母を優しく見つめることだけは忘れまいと思った。
辞書によると、この「まなざし」という言葉は単なる視線ではない。その視線で物を見るときの、その人の目の表情という意味をも含んでいる。つまり、視線にその視線をおくる者の心をこめることができるのが、この「まなざし」という言葉。ということは、「まなざし」にも冷たいものがあるのだろうが、父が母を見つめる優しい笑顔と重なり、私にとって「まなざし」という言葉はいつも温かい。
コメント
以前、藤川さんの「満月の夜、母を施設に置いて」を読ませて頂きました。言葉ではうまく表現できないような感動を覚えました。これから、藤川さんのブログが始まるようでとても楽しみにしています。タイトルの「まなざし介護」も素敵です。温かいまなざしを向けられる人に…私もなりたいなと思います。
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