「ベルの会」との出会い
2009年02月12日 09:00
新聞で「協力して下さる方募集」という記事を見た。
その中の「弁当づくりと配達はボランティアの主婦がしています」と書いてあるのに安心して、早速鎌倉雪ノ下教会へ出かけた。
白井さんが何の審査もせず、その場で入会の手続きをしてくださった。平成3年3月13日のことである。
第1日目、新人の仕事としてお米洗いをした。他に何を手伝ったか覚えていないが、いつの間にかお昼ご飯も用意され、愉しくいただいたのを思い出す。
当時すでに40食も配達していて、スムーズに松花堂弁当が出来上がっていくのに感心した。
やがて設備の整った今の施設に移ると、有能な人がさらに集まってきて、料理教室の雰囲気となった。
私は、料理に全く自信がなかったので、お米洗いに甘んじていた。「まかない」(賄い)のお味噌汁でさえ躊躇していた。
ある日、宇田川さんに「昆布の佃煮を作って」と言われ、かなりドキッとした。わが家ではいつも買っていたからだ。誰かの助け舟で作ったと思うが、よく覚えていない。
ベルの会は有能な人が多く、お菓子などもたいていのものを作ってしまう。こちらはますます自信がなくなるけれど、助手なら喜んで引き受けたい。
恥ずべきことだが、最近になって昆布の佃煮が作れるようになった。宇田川さんに「あら、そうだったの」といわれそう! 自分の舌が物差しの佃煮はいかがなものか。
この頃では100食もつくるようになって、この台所も狭くなってきたと思っている。
(T.K)
※文章中に「宇田川さん」とあるのは、ベルのお弁当のすばらしい中心人物のことです。乳癌に倒れ、皆に惜しまれながら62歳で地上を去ってゆかれました。調理の歴史を語る際にはどうしても忘れてはならない、それは素敵なリーダーでした。
コメント
「求められたら、それが出来る事であれば、協力しましょう」
何処かに宇田川さんが書かれた言葉です。
そこにいらっしゃるだけでフワッと空気が変わりました。でも同時にピリッと電気も走りました。
もうじきご命日ですね。
ある日教会で「お台所お貸しするだけじゃなくて人手も」と呼びかけがあって「お料理を教えてもらえるゾ!」という下心で私は参加したのです。
皆があちこちから集まって来ましたね。会長の白井さんも、宇田川さんも皆若かった!そして私も若かった!「頑張って美味しいもの作りましょ・・・でも無理しないでね」と励ましてくれた宇田川さんのソフトな声が今でも聞こえるようです。Kさんも聞こえるのね?Kさんの炊くご飯、そして昆布の佃煮は当たり前に美味しいのにこんなお話が隠れていたなんて!!
私は、鎌倉市に引っ越し市役所でベルの会のパンフレットに出会いました。きっかけがなかなかつかめなかったが、結局ニューヨーク9・11の翌年に入会。お弁当作りのお仲間はみんな主婦のプロでそれぞれに素晴らしいスキルがあるのでビックリの連続!和やかに・さりげなく・楽しく…。私は「自分の出来る事を、出来る範囲で頑張る!」楽しんで長く続けたいので…私なりのモットーです(笑)
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