江戸時代の鎌倉~英勝寺
英勝寺仏殿の天井絵
北鎌倉からのトンネルを抜けると、右手に最初に見えるお寺は鎌倉唯一の尼寺、英勝寺(えいしょうじ)です。
ここは江戸城を築いた大田道灌(おおた・どうかん)の邸跡でしたが、その地に徳川家康の側室である、お勝の方が尼寺を創建しました。
家康の女性の好みは、容姿よりも、高貴な出か才知があるかに重きがおかれたようで、お勝の方は後者。非常に賢い女性だったそうです。
彼女は大田道灌の子孫であり、元は「お梶」という名でした。
ところが、彼女の助言に従うと必ず戦に勝つので、家康は「お勝」と呼ぶようになったそうです。
水戸徳川家、水戸頼房(みと・よりふさ)の養母にもなりましたが、家康亡き後、尼となり「英勝院」を名乗り、先祖のゆかりの地に英勝寺を創建しました。
それから代々、水戸家の姫君が住職を務め、姫君のおられる寺として崇められていました。近隣の人々はお寺の前をひれ伏して通っていたそうです。
このように英勝寺は、道灌と家康に縁ある寺。通用門の門扉には、大田家の桔梗紋と徳川家の三葉葵紋が施され、裏山には大田道灌の供養塔があります。
現存する鎌倉の寺院の多くは戦火や天災により消失・崩壊し、新たに再建されたものですが、英勝寺の建物は創建された江戸初期の建築そのままの状態で残っています。
仏殿の軒には十二支の彫刻が施され、内部の天井絵は色彩豊かに天女が描かれています(写真)。 また、英勝院が祀られている祠堂の内部は金箔が貼られ、華やかな装飾が施されています。
いずれも外観は優美で、内部は華やかさに満ちています。鐘楼には寛永20年銘の梵鐘があります。
境内には四季折々の花が咲きます。水仙、梅、椿、しだれ桜、藤、山吹(山吹と言えば、道灌の逸話がありますね)、桔梗、彼岸花、秋明菊など絶えることがありません。楓、銀杏の紅葉も見事です。
楚々とした侘助(わびすけ)椿は市指定天然記念物です。
英勝寺の侘助椿
現在、境内(けいだい)の一部にプレハブ小屋が建って、山門工事中になっています。山門は関東大震災で倒れ、一民間人に売却されて、鎌倉市内の某所に移築されていました。7年前、80年ぶりに買い戻すことができ、その移築工事をしています。
完成写真によると、日光東照宮の山門を思わせる手のこんだ装飾が全体に施された豪華なものです。白地の地味な築地塀と華奢な通用門に慣れ親しんだ目には意表を付くかもしれませんが、再建されると、徳川家ゆかりの寺としての存在を示すことになるでしょう。
鎌倉といえば頼朝、北条家の鎌倉時代だけを思いがちですが、英勝寺には江戸時代の鎌倉があります。道灌、家康ゆかりの寺。この地が今の、首都東京の原点ではないかと思っています。
コメント
鎌倉に数あるお寺の中でも英勝寺は稀有な尼寺。確かにひっそりとした中に多くの草木や花たちが
さりげなく手入れされてあり、鎌倉に来た友達は何か見つけ物をしたように喜ぶ隠れた名所ではあります。目立ちませんでしたものねえ。そこに東照宮の山門?! 一気にメジャーになりそうな予感が…でもそんな山門が鎌倉市の某所って、いったい何処にあったのかしら? これはもう「みのひとつだに…」なんて言っていられませんね。今年篤姫を毎週見てしまった者としては「徳川ゆかりの」というこのお寺を改めて見に参らなくてはなりませぬな、喜扇どの!
開山尼英勝院がお局さまだったころのお話 木耳社発行の「日本の味」御所見直好著を思い出す。 *調理の知恵として 家康が諸候を前に「世の中で一番美味いものは何か?」と問うと諸候は首をひねるだけ。横にいるお勝に問うと「世の中で一番美味しいものは、お塩でございます。」と…では、一番不味いものはとの問いにも塩とお勝つは答える。 現在の調味塩梅では、塩は食材全量の0.6%〜0.8%が良いようです。
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