幼い頃の思い出と包丁研ぎ
ベルの会にお世話になってから、いつの間にか7年が経ちました。
料理のお手伝いはもちろんのこと、長い間の経験を生かし、経理事務などをさせていただいています。
入会当初からごく自然なかたちで、毎回30分ほど早出し、使われる包丁12丁ほどを研ぎ澄まし、調理のみなさんの到着をお待ちするのが私の喜びとなりました。
時に感謝され、時に切れすぎるので「研ぐのは隔週にして下さい」などと、思いもよらない言葉をいただいたりもしました。
なぜ私がこのような包丁研ぎに興味をもったのか、自分自身も不思議になり、よくよく思いをめぐらしてみるとルーツは遥か、昔の小学生時代にさかのぼりました。
貧しい農家に生まれた私の小学時代は、終戦直後の食糧難時代の真っ盛り。人間様の食べ物はおろか、家族同様な働き手である牛や馬にあげる穀類などの餌もなく、もっぱら山野に行って草を刈り、米を取った稲わらを細かく切ってこれに米ぬかを混ぜて食べさせ、農耕の重労働の担い手として活躍してもらったものでした。
このような状況でしたので、春は田んぼ一面のレンゲ草を刈り、夏は毎朝早く起きて学校に行く前、朝露のあるうちに山野に出かけ草を刈り、かご1杯(約15kgほど)にして、お腹を空かして待ち受けている牛馬にやったものです。
こんなとき、いつも一緒に草の刈り方や鎌の研ぎ方など優しく教えてくれたのが母親でした。
鎌(かま)がよく切れないと牛馬に喜んでもらえるおいしい草も刈れないし、そのうえ大変疲れます。
“牛馬に食べやすく喜ばれるような草を刈るためには、常に鎌は良く研いで切れ味を保ち、切り口が揃った草が刈れるように”が母の教えでした。
山に行くにも、片手は砥石用の水をバケツに下げ、片手に砥石、背中に籠を背負って毎日新鮮な空気を胸いっぱいに草刈りに通ったものでした。
籠いっぱいの新鮮な青草を牛馬の小屋の前にどっこいしょと降ろすと、お腹を空かして待ちわびていましたとばかり、牛は長い舌に青草をたくさん巻き込み、馬は大きな口と鼻を思いっきり開いておいしそうに食べてくれたあの光景が、いまこうして包丁を研ぐ度に、とても懐かしく思い出されます。
遠く遥かな、包丁研ぎのルーツでした。
コメント
給食センターの包丁はよく切れます。いつもせっせと研いで下さっているのは分かっていましたが、こういう背景があったとは。こんな御歳になられても(失礼!)お母様の言葉を思い出して、それに素直に従おうとするKさんの心があったとは、有り難いことです。「よく切れすぎる」というのは、私は煮付け用カボチャの面取りを100個分してから右手の親指が痛いなぁ、と思ったらやはり小さな傷ができていました。我が家の包丁ではそんな風になりませんから、やはりよく切れるのでしょう。でも切れ味は全ての材料が美味しく
調理される為の大切な要素です。大量の素材が色々な形に姿を変えてそれぞれ製品になってゆくための貴重な第一歩。目を細めて美味しく藁や草を咀嚼する牛や馬を眺めるKさんのお母様のまなざしで私もお弁当の材料を見つめようと思いました。
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