松花堂弁当にまつわる思い出
べルの会で使用しているお弁当箱は「松花堂弁当」(しょうかどう)です。
その名称の由来とは?
私にはちょっとこれにまつわる思い出があります。
日本美術の鑑賞を趣味としていた母は、講師を招いて美術の話を聞き、その後、ちょっとおいしいものを食べる、今で言うカルチャーとグルメを楽しむような会に入っていました。
リウマチを患って、遠出のできない母にとって、月一度のこの会は楽しみなものでした。私も学校が休みの時、母の付き添いで(食事の楽しみもありましたが)同席したことがありました。
しろうとばかりの集まりとはいえ、先生は熱心に美術の奥深いお話をされていましたが、内容はすっかり忘れてしまっています。ただ、「寛永の三筆」(注)の話から、松花堂昭乗(しょうかどう・しょうじょう)という書家の名前をあげられ、「松花堂弁当はこの人の名前から付けられたのです」と言われたことだけは、ずっと記憶に残っていました。
お弁当と江戸時代の高名な文人の取り合わせに意外性を感じたからでしょう。
その後結婚してから購読していた家庭雑誌で、某有名料亭のご主人の記事に、「松花堂弁当は私が名づけました」とあるのを読みました。
松花堂昭乗は京都・岩清水八幡宮の学僧でもありました。当時、周辺の農家が種入れとして使用していた正方形で中を十文字に仕切った箱を、昭乗は絵の具箱にして使ったそうです。
大正時代、先述のご主人が、昭乗遺愛の絵の具箱を見て「これに料理を盛り付けたらどうか」と思い至ったとのこと。仕切りがあるため盛り付けしやすく、それぞれの料理の味や臭いが移りにくい、また仕切りが額縁の役目を果たし料理が引き立つことから、「松花堂弁当」は全国的に広まりました。
くだんの料亭は超一流、ご主人は美術品の目利きとしても高名な方で、「さすが目のつけどころが違う」とその才覚に感心し、母と共にした美術史の会のことも思いつつ読んでいました。
さて、何年か経ち、子育てもひと段落。
何かしようとベルの会を見学した時、会の方から「お弁当は松花堂弁当です」との説明を受けました。
あの松花堂!
また昔の事柄がにわかに思い出されました。母が背後で「入んなさいよ」と後押ししているような思いにもなりました。
それから十数年。毎週、松花堂弁当(ベルの会で使用しているものは工夫を加えて、少し変形されています)と向かい合っています。
興味深い歴史があるこのお弁当箱にふさわしい、利用される方に喜んでいただける上質なお弁当を作っているかしら?
改めて反省し、精進せねばと思っているところです。
余談ながら、某料亭、昨今一族がマスコミを賑わしたところであり、ほんとうにご先祖様に申し訳ないことをしていると思います。
(注)寛永の三筆:近衛信尹(このえ・のぶただ)・本阿弥光悦(ほんあみ・こうえつ)・松花堂昭乗(しょうかどう・しょうじょう)の三文人。書道に優れ、のちに「寛永の三筆」の名で並び称されることとなった。
コメント
なんだかホロリとしたり、目からウロコが落ちたり、中身の濃いお話でした。今、当たり前に「松花堂弁当」と言っている、あの四角く区切られたお弁当箱には、そういう物語があったのですね。お肉、お魚、煮物、ごはん等、4つの(真中にデンと甘味のスペースが加わっているけれど)ブロック・・・なんて必然的に?盛り付ていたかも知れない!このお話を胸に、さらに心を込めてお弁当と向き合おうと思いました。ありがとうございます。
※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。