月日の流れを超えて
春もたけなわのある日。
家のポストに、私宛ての1通の茶封筒が届いていました。
近頃めずらしい、濃淡のある達筆の墨書です。裏を返してみると、「横浜市磯子区…」。
思い当たるものがなく、とりあえず封を切りました。
今度は万年筆の文字で「拝啓」に始まり、2枚の原稿用紙にびっしりと文章が書かれてありました。
古い手紙の整理をしていたら、私からの「温かな心のこもったお便りが出てきました」とあり、「懐かしくてもう一度読んで」みたら当時を思い出して、「ヘルパーさんにはたくさんお世話になりました。心よりお礼を申し上げます」と書かれていました。
これでベルの会のヘルパーがうかがっていた方とわかりました。
でも、私にはお名前がすぐには思い出せず、記録を調べてもらうと、ご住所と担当ヘルパーの名前がわかり、「あ、あの方!」と記憶がよみがえりました。
おひとり暮らしでお元気でしたが、横浜のご子息と暮らすことになり、仲良しだったヘルパーがお引越しのお手伝いをして、涙ながらに住みなれた鎌倉を離れて行かれたのです。
当時の私は、ヘルパー会計を引き受けていました。
毎月の利用料を請求する役目でもあるのですが、お顔も知らない利用者の方に請求書と振込用紙だけ送るのでは味気ない気がして、季節のごあいさつと少しばかり応援の気持ちを書き添えていました。
それを大切にとっておいてくださり、いま10年余の時を経てお返事を下さったのです。
「80歳を過ぎて」もなお、身の回りのことなどお出来になり、このように達筆なお便りでヘルパーさんに「感謝のほかはありません」と書いてこられたことを、早速担当のヘルパーに手紙で知らせました。
その人はさすがによく覚えていて、今でも「階段をたくさん上った高台のお家」の下を通ると、この方を思い出していたそうです。
とにかく「お元気でよかった」と喜ぶ絵葉書が、私のポストに届きました。
そこで今度は私から…。仲良しのヘルパーさんに感謝のお言葉を伝えたことと、応援の気持ちをまた少し書き添えて。いただいたお手紙への返事を差し上げました。
どうかよい日々を!と、心から祈りながら。
コメント
会計の事務的な手続きだけに終わらず、一言添えておられたことが、長い年月を経てもベルの会のことをわすれず、繋がりが保たれていたのですね。この気持ちと行動ベルの会を支えていくものだと思います。
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