ボランティアの受け入れ
【Q】
うちの事業所でも今後、ボランティアの人たちに来てもらい、交流を図ろうと考えています。その際、注意すべきことはありますか。
【A】
最近の介護現場には、「傾聴ボランティア」という人たちがいます。これは「その人の話に耳を傾け、悩みや想いを共有する」というボランティアです。しかし本来、「聴く」という行為は、毎日をともに過ごす職員が行うべきものであると思いませんか。
職員がその人の心の奥底に触れることなく介護をして、果たして良い介護を提供できるのでしょうか。言い知れぬ不安を抱えて歩きまわる行動の原点を探ろうとするとき、その人の歴史を知らずに対応することができるのでしょうか。
介護職が最初にするべきことは、「その人を知ること」です。その人の生きざまや想いを受け止めることです。そこから、その人に必要な介護のあり方が自然に見えてきます。「ただ話を聞くだけ」のボランティアは必要ありません。介護する専門職こそが、「その人と本気で向き合いお互いを知る」ことをしなければなりません。そうでなければ、「人」と「人」が向かい合う、本気の介護を放棄したことになります。
たとえば、歌を歌うのが好きな人がいるとします。それはそれでいいのです。しかし歌は、あくまでも自己満足の世界でしかありません。歌手のように誰もが感動するうまい歌を歌う、あるいは皆の心を自然に引き付けることができるすばらしい雰囲気を作り出すことができるのならまだしも、あまり上手でもない歌を長時間無理やり聞かされる利用者。ボランティアという名のもとに歌いにきた人だけが大満足。
「もう結構です」と言うこともできず、ひたすら聞き役に回らされている…だとしたら、利用者にとって難行苦行でしかありません。
利用者のなかには波長が合って楽しめた人がいるかもしれません。歌に合わせて手拍子を叩く人がいたかもしれません。その場にいた何人が楽しめたのか、かかわる職員は責任をもって把握する必要があります。
一方で、施設側にこうした押し付けボランティアを断れない事情があるかもしれません。外部からのボランティアを快く受け入れるべきだという思い込みや、こうした取り組みこそが「地域活動」「地域とつながること」という誤解にとらわれているのかもしれないからです。だとしたらなおのこと、「楽しくない時間」を押し付けられていることになります。
出典:安西順子編『気づいていますか 認知症ケアの落とし穴』中央法規出版、2012年