どこからが嗜癖?
【Q】
家族からの相談などを受け、依存症の疑われる人にかかわることがありますが、どこからが「依存」「嗜癖」といえるのか、迷うことがあります。どのように考えればよいのでしょうか?
【A】
嗜癖、アディクションというからには、以下のような条件を満たす必要があります。
一つは、その行為を通じて、“現在、本人ないしその周辺の人に大きな支障が出ていること”です。例えば、ジムのトレーニングに夢中なAさんであれば、ジムが好きなあまり仕事を放り出してしまうような状況、コレクターのBさんであれば、対象を手に入れるために返却できないほどの借金を抱えてしまうような状況、チョコレートが好きなCさんであれば、栄養のアンバランスから貧血になっても、チョコレート主体の昼食メニューを変えないような状況となれば、「嗜癖行動」と仮定できるかもしれません。
またもう一つの条件は、支障の有無にかかわらず、“本人がその行為を中止したり、頻度を少なくしたり、しばらく様子を見ることができない状態にある”ということです。その時の自分の状況にあわせて、「今日はやめておこう」「今週はこのくらいにしておこう」という調整ができない状態のことです。例えば、信仰心の篤いDさんであれば、風邪を引いた時や体調が優れない時に「布教活動はしばらくお休みしたほうがいいな」と判断し、実際に休むことができれば嗜癖行動にはなりません。カルチャースクールの好きなEさんも、仕事が忙しくて残業が多くなった時に「残業が多い週は欠席しよう」「月1日のコースに変更しよう」と、自分の生活や身体に負担がかからないよう選択肢を持てるのであれば、嗜癖には至りません。
逆に、対応の選択肢が少なくなればなるほど、「嗜癖」の世界に陥っているといえます。自分の嗜好性が自他の支障にならず、自分の生活全体から見てバランスが悪くなく、自分の意志でほどほどにコントロールできるならば問題はありません。自らが主体的にとっているコントロール可能な行動は、嗜癖行動には該当しないのです。そこには、「わかっているけれどもやめられない」といった緊迫感や、自他の支障になりつつもやめられないゆえに生じる自責感、罪悪感はありません。
出典:松下年子・吉岡幸子・小倉邦子編『事例から学ぶ アディクション・ナーシング―依存症・虐待・摂食障害などがある人への看護ケア』中央法規出版、2009年