身に覚えのない話で責められたら?
【Q】
A子さんはデイサービスに勤続3年目です。仕事にも慣れて、利用者からの信頼も得ているという自負も生まれてきました。
利用者Bさんは、下半身が不自由で認知症が進んだ80歳の女性です。A子さんが初めて担当した利用者がBさんだったことから、自分の祖母のように親近感をもって世話してきたつもりでした。
ある日、所長から呼び出されたA子さんは、Bさんの家族から抗議がきていることを知らされました。A子さんが、他の利用者にBさんの悪口を言いふらしているというのです。
A子さんには身に覚えのない話です。Bさんは今日も穏やかに、孫の結婚話をしてくれたばかりです。さらに残念なことに、所長から「あなたにも責任がある」と言われました。
A子さんはこの事態をどのようにとらえ、解決すればよいのでしょうか?
【A】
A子さんに心当たりがないのであれば、「A子さんからの悪口」はBさんの妄想によるものか、Bさんの家族がA子さんに対して抱いていた不信を「悪口」と決めつけたことが原因ではないかと想像できます。
ところがA子さんは、そうした客観的な推測ができないほど混乱しています。事実ではない批判に毅然としていられず、むしろ自責の念にとらわれてしまうのは、他者からどう思われているかが気になるタイプによるものです。
しかも、所長の「あなたにも責任がある」という言葉を、「あなたのほうが悪い」ととらえ、「上司からの信頼も失ってしまった」という二重の失格の烙印を押されたようなダメージを受けています。
こうした自己否定に陥る認知パターンがA子さんの特徴です。他者の目が気になる性格は、高い評価を得ようと頑張るので、よい結果が出ているときは向上心というエネルギーを生み出します。しかし、いったん悪い評価が気になると、悪循環が起こりストレスを増幅させます。
考え方の癖は長い間にできあがったものなので、一朝一夕には改善できません。しかし、なす術がないわけではありません。多くのストレスは、同じ思考パターンをなぞります。確かめもせずに取り越し苦労を繰り返すことによって、雪だるま式に膨らんでいくのです。ですから、「本当にそうなのか」「それとも思い込みに過ぎないのか」という確認の作業を行います。
(1)…まず「いつものパターンに陥っているな」と気づくことです。そうすることで、周囲が気になって仕方がないという関心の向きを、自分自身に向けることができます。
(2)…次に、思い込みで悪い方向に考えてしまう「悪循環」の終着点を、言葉にすることです。悪循環する思考が向かっていく先は「利用者や上司から誤解されて、信用を失ってしまった」という言葉です。
(3)…状況を客観的に把握するための問いを、自分に投げかけます。「私に対する評価は、もうゼロになったのだろうか」と自問してみます。「ちょっと待てよ。他の利用者とは円満に過ごせている。それに、Bさんの一件以降、上司や同僚の私への接し方が変わったわけでもない」と現場検証をしていくと、「信頼や評価が完全になくなったとはいえない。今回のようなケースは例外的なのかもしれない」という答えにたどり着きます。つまり、悪循環にブレーキがかかるわけです。
あるいは、実際に聞いていない他者からの評価を勝手に想像するのではなく、「私ならば、『自分』をどう評価するだろうか」と自問してみます。「『私』はよく頑張ってきた。Bさんのことを大切に思ってきたのは『私』。悪口を言う動機がない」。つまり「私は潔白。疑われる理由など微塵もない」という事情聴取の結論が出ます。これもまた、自分を客観的に把握する試みです。
A子さんの場合、当惑や怒りを表現する適切な場をもつ必要があります。
自分の考えを誰かに聞いてもらうことは、単に愚痴を言えばストレスを発散できるという消極的な理由ではなく、言葉にすることで自分の否定的な思考パターンに気づくなど、積極的な変容へのきっかけとなります。
所長の『あなたにも責任がある』という言葉の真意は聞けませんでしたが、実は所長は、A子さんに「Bさん家族とのコミュニケーションを密にとりなさい」と言いたかったそうです。
今回の抗議は、Bさんから直接訴えられたものではありません。家族から「A子さんは、そんな悪意に満ちたことをするはずがない」という信頼を得ていれば、身に覚えのない抗議を受けることもなかったでしょう。
人は、見た目の印象で他人を決めつけやすいものです。若いA子さんですが、熱意や真面目さを利用者家族に知ってもらえれば信頼を得られると所長は思っていたようです。しかしA子さんは「悪いのは私」と思い込んでしまいました。
A子さんは、同僚にも相談ができなかったそうです。「忙しそうだったから」と言いますが、忙しくないときを待って相談しようとまでは思わなかったのでしょう。それは、A子さんが「一人で解決しようとする対処行動パターン」をもっているためです。
責任感の強さからですが、自分の考え方の枠を越えることができず、ますます苦しくなっていったのです。ソーシャル・サポートを得ることは、依存心の強さからくる「甘え」ではありません。他者の見方を借りれば葛藤からの出口が見つかったり、自分で自分を縛っている決めつけから解き放たれるものです。そのためのソーシャル・サポートです。
出典:『こころもからだもスッキリ! 一人でできる介護のストレス解消法』中央法規出版、2008年