住民のいち員として
いつもご近所にご迷惑をおかけしている、グループホーム在住のおよねさん(仮名)。
どんなことかといえば、敷地に勝手に入り込む、育てた花をひきちがる、お宅のものを勝手に持ってくる、皿などを他人の敷地に放り込む、道端で排せつをする、町中をパジャマ姿で歩いたりスリッパで歩く、いきなり人さまを突き飛ばすなど、ご迷惑この上ない棒弱無人ぶり。
そのおよねさん、外に出ることは止めないばかりか「職員が付き添わない支援」に切り替えて、1年ぶりに行方がわからなくなった。
1年前にある大きな出来事があった。
このブログや株式会社波の女のブログに書かせてもらったが、グループホームから1日に何十回と外に出て、外をぶらつくおよねさん。
そのおよねさんに付き添った職員を振り切るように駆け出し、六車線の大通りの信号を無視して渡ってしまったのだ。
およねさんの他人への言動は急変する。
いきなり怒りだしたり、急にハグしたり、次の瞬間無視したり。出会って2年、今のところ、所かまわず、誰に対してもである。だから、付き添っている職員のかかわり方が云々の話ではない。
そこで家族と協議して「つかない支援」を始めた。
それから1年、よねさんの「フリー行動」(ルールもよねさんルールなので、まさにフリー)を受け止めてきたが、それがいっそう「大迷惑」の原因ともなっている。
つまり、何をしても誰も止める人がいないのだ。
そのおよねさんがふらっと出たまま30分帰ってこなかった。そんなことは、「つかない支援」をしてから、逆に一度もなかったことである。
騒々しくなる職員たち、その騒々しさに「どうしたの」と関心を寄せてくれる近隣住民の方々、家族もかけつけ、職員、近隣住民、家族、そして警察官も加わっての大捜索である。
今日言いたいのは、およねさんの話でも捜索の話でもない。近隣住民の皆さんのことだ。
静かに暮らしていた“おらが地域”に、自分たちの意思とは無関係に介護施設(グループホーム+小規模多機能型居宅介護)ができることになった。
もちろん、事情がよくわからず「介護施設」と言われれば、「いつかは自分も」の気持ちも働いて反対するわけもなく(この地域の人たちは特にかな)、住民にしてみれば「こんなはずじゃなかった」ってことで、まさか認知症という状態にある人が街中をぶらつくとは想像もしてなかったことだろう。
そう思わせている張本人がおよねさんである。
近隣住民の皆さんを思えば、およねさんの行方が分からなくなったのを知ったとしても「知らん顔をする」か「あわよくばこのまま戻ってこなければ」と思われたとしても不思議ではない。
なのに近隣の皆さんは共に心配し、共に捜索行動をとってくれたのだ。これには、ほんとに頭が下がったし、とっても嬉しかった。
およねさんは「大迷惑」を通して、近隣住民の皆さんと僕らをつなげてくれているのではないかとさえ思うほどだ。
もちろん家族も、近隣住民の皆さんの言動に感動され感謝された。
杖をつきながら一生けん命探し回ってくれた方の様子を知り、涙されていた。
およねさんは、ぼくらにいろんなことを教えてくれるし気づかせてくれる。まさに恩師である。
金をもらって教えてもらうのは気が引けるが、“婆さんに学び婆さんに還す”である。こうした経験は、いくら金を積んでも買えないのだ。
一夜明けた今日も、近隣の方、運営推進会議に出てくれている方、新聞配達の方、よく行く近くの喫茶店の方から、「およねさん、見つかってよかったね」「いつも見る顔がいないと淋しいがね、よかったわ」「他人様のおうちに入ってくれてよかったね。そうでもしなきゃ見つかんなかったわよ」なんて声をかけてもらえた。
保護してくれた警察官に噛み付いて抵抗したそうだが、警察官からは「また来てね」と言ってもらえたようで、ぼくは、およねさんがこの街の一員に加えてもらえたことを確信している。
ステキな人々に囲まれた僕ら、ステキな人に囲まれていると思ってもらえるようにせねばである。
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