願いの引き出しと実現
日常生活の中でふとしたときに聞こえる「願い」。
この「願い」を満たすことも僕らの大事な仕事だ。認知症の原因疾患は、「その人にある願い」を口に出すことさえも難しくさせてしまうが、そのために僕らがいる。
生きていく中でその推進力のひとつになっているのが「願い」ではないか。「ああしたい、こうしたい」である。
あれが食べたい
あそこへ行ってみたい
あれに乗ってみたい
あの人と知り合いになりたい
あの人と一緒になりたい
あれを身に着けたい など
「願い」は、その時々によって変化する。無限である。
グループホームでは、毎日3食を通して「何が食べたいですか」と個別に聞いていた。そのずっと前、デイサービスでも「複数のプログラム+何もしない」という選択肢を出して、利用者に選択してもらっていた。平成6年頃の話である。
朝食だけは、「ご飯にしますか、パンにしますか」「卵焼きにしますか、目玉焼きにしますか」と食材を限定させてもらっていたが、毎食「描くことを欠かさずにやる」ということだ。
最初は「何でもいい」「わからない」と言っていた婆さんたちだったが、段々と個々人の「願い」が出てくるようになる。
それは食べるものに限った“引き出し”ではない。
「もう、そろそろどうや」
入居直後、暗に「くたばりますか?」と投げかけると「そうね」と肯定していた婆さんが、翌年には「まだまだ」と笑い飛ばすようになり、その翌年には「何言ってるんですか」と怒るようにさえなっていった。そう、生きることに欲が出てきたのだ。
リビングでたわいもない話をする。僕にとっては単なる談話ではない。願いを窺っているのだ。もちろん、嘆きや不安も。
ある夜勤の明けの朝、朝食が終わり談話をしていると、季節の話になり、栗の話になり、栗が食べたいという話に展開。
だから日勤の職員が出勤してきたとたん「栗が食べたいらしいから、今から横浜に一緒に行ってきたら」と投げかけ、職員も心得ているのですぐに出発。
結果的には、バスと電車を乗り継いで横浜に行く旅程の途中、新宿に聳え立つ高層ビルを眺め「高いね、上ってみたいね」となり、高層ビル見学&昼食ツアーに様変わりして帰ってきたが、それも願いへの応じである。何が何でも栗を買いに行く必要はまったくないのだから。
あるときテレビを見ていると東京タワーが映り「あれ何? 見たことがあるわね」となったので「あれ、東京タワーですよ」と返すと「あれがそうなの、上ったことないわ」となり、「死ぬまでにのぼりたいわね」と展開。
東京に80年以上も住んでいて、そんなことはないはずだが「そりゃあかん。東京の人が東京タワーに上ったこともなくくたばったらバチが当たる」と、翌月には東京タワーへ。もちろん、そのような会話があったことは全く憶えていませんがね。
栗を買いにいくのと違って、東京タワーツアーのように特別な勤務を組む必要があることは、どうしても実現まで時差が生じる。これはしょうがない。
日常生活の中で「あそこへ行ってみたい」「こんなことがしたい」「あんなものが食べたい」…
そんな「願い」が出るようになれば、その姿は僕らに近い姿であり、その実現のために「風邪ひかないようにしようね、そのためには手洗いやうがいをきちんとしましょう」と言えば「はいよ」となるのも僕らと変わらぬ姿である。「願い」の実現のために努力する姿だ。
そんな視点から介護施設を眺めると、「願い」が自然に出てくるところまではいきつけないとしても、「願いの引き出し」を日常生活の中でどこまで意識した実践ができているだろうか。
職員が決めた食事を食べ、決められた時間に起こされ決められた時間に消灯され、職員が決めた服を着せられ、職員が決めたとこに連れて行かれ、職員が「何かしてあげたい」と思ってしてくれることを享受するなど、自分の「願い」とはほとんど無関係な毎日の暮らし。
「こんなとこはイヤだ!」
と「願い」を出して飛び出そうとしても鍵がかかっていて逃げ出すこともできず、四六時中監視下に置かれ、「願い」に基づいた行動をしようものなら、「わがまま」「共同生活になじまない」「徘徊・異常行動」などとレッテルをはられ、もう人でないかのように言われる婆さんたち。
その同じ口から、「尊厳」「人として」「その人らしく」だなどと美しい言葉が出てくることに疑問ももてないとしたら…。
本人の「願い」に基づくだけの生活を支援するのが僕らの仕事ではないと僕は思っているが、本人の「願い」を引き出す方向で支援しているとは言えない現状にあるのも事実ではないか。
僕がこの仕事について26年。
介護施設に転居させられた後、職員さんに連れられてではあるが、居酒屋で飲み食いしている姿、喫茶店でコーヒーを飲む姿、映画館で映画を見る姿、衣料品屋で服を買う姿、犬の散歩をする姿、魚屋で値切る姿、畑を耕す姿、ディズニーランドでミッキーといる姿、考えられないような姿は増えたが、その姿そのものを作り出すことが目的ではない。
それが目的になると「できた」のではなく「やらされた」になってしまいかねない。
しっかりと婆さんに向き合い、常にアンテナを高くして「願い」をキャッチし、その「願い」を実現するためにどうしたらいいか。合わせて、婆さんと関わっている人たちが「願い」をキャッチしたときに、即実行に移せる仕組みにしてドラマチックな日常生活を営めるように支援していければそれにこしたことはない。
はや師走。
婆さんに残された時間は確実に減っていくのだから。
コメント
飲み会に出たいから、がんばって速く(仕事)終わらせよう
○○さんに頼んだら、手伝ってくれるかな
カレンダーに旅行の日を記し、予算を決め、宿の予約、荷物の準備、友人と打ち合わせて計画し…
その日を待つ楽しみ、実現するためにがんばったり、実現するために企んだり、人と絡んだり
願いは無限で、その願いを自分の力で実現するために、いろんな力や心身の動きが発生するんだと思いました。
その人がその時持ってる力を見極め、このことと掛け合わせると、応援の仕方も無限にあるなあと思いました。
願いがあるから、力が沸いてくる。
でも、いつでもどこでも誰かが叶えてくれる思い通りになる環境では、「〜したい」という気持ちが逆に失せてしまわないかぁとも、思うし、施設に入ったら無理・諦めようということもそうだけど、願いを引き出すことと同時に、願いを失せさせていないか、しょっちゅう振り返らなくてはと思いました。
よく働きよく遊んだ私の祖父はさすがに90歳を越えたころには旅行も日常も、家族の力をかりなければ
実行できないことが増えてきました。
ある時近所の人から「こんなに家族によくみてもらって幸せね」って言われた祖父がぼそっとひとこと
「幸せの幅を広げたい」と真に迫る言葉を返し、家族をぎゃふんと言わせていました!
認知症を抱える入居者さんと目的もなく町を歩いてた時、昼間なのにスナックからカラオケの大音量が聞こえてきた。
その人、スナックを指差し「入ってみた〜い」
私「げっ」
結局その人の足のむくまま突入し一曲歌って拍手をあびて「またおいで〜」と見送られ店をでる
また他の人
「ちょっと立ち読みしてこうよ」
他の人
「あの電車に乗ってトンヅラしたりして〜」
目的のない歩き回りから、ふと願いが飛び出して目的が即興的に発生することって結構あるなと思いました。
旦那さんと二人暮らしのある要介護の方は、病気の状態により入浴も外に出ることも、一人ではできません。
やっとの思いで、重たく感じる受話器を持ち上げ学生時代からの友達とおしゃべりすることが楽しみで
年に2回くらい友達3人と自宅で女子会を開くことが恒例になっているそうです。
そこに呼んでもらえるうちの一人が私の親なんですが、かつては料理もファッションセンスも抜群だったその友達に
「料理、やりたいでしょ?」
「外に出たいでしょ?」
「買い物にも行きたいでしょ?」
「自分で服みて選びたいでしょ?」
と聞くと
「やりたい。でも一人じゃどうにもできないし」とかえってくるそうです。
人づての話なので、その情報の中で考えることにすぎないのですが
旦那さんの介護の他に、その方にはすでにケアマネがつき、ヘルパーやデイサービスを利用していることを考えると
やってみたい(しかも自分のことは自分で…を)と思っても「できないことは、できないまんま」の現状は、そこに介護職としての仕事が存在してるのかなぁと考えこんでしまいます。
また、ショートステイの利用理由が介護計画書の中に「介護者の介護負担の軽減」と書いてあることに哀しみを感じているそうで…
自宅での生活を継続できることは、もちろん大事なことなんだけど、それは
生活をする場所が、自宅であればそれでいいってことではない気がするんです。
自暴自棄な言動がみられ眠れない日も多い、目の不自由なお婆さんに、一晩かけて一冊の小説を読み続けていた施設の職員がいました
なぜ一気に読むのかというと、長い休憩をいれたり、続きは明日。にするとそれまでのストーリーを忘れてしまうからです。
もともと読み物が好きだったようで、ユーモアのある言い回しにくすっと笑ったり、感動のラストでは涙をぬぐっていました。
私もその職員を真似るのですが、読めない漢字が多すぎて、朗読者としては失格。
読めない漢字にぶつかると、その字を分解して(辺とつくりみたいに)伝えてみると「それは○○だよ」と教えてくれて、お互いに支援しあって楽しんでいました。
(カセットテープやCDなどプロの朗読にはできない支援ができてるぞっという自信あり!)
「読みたい」…今でも。
光すら感知することができない絶望感の中、自分でも忘れていたそんな願いを想像できたこと
今発している言葉だけでなく、過去の趣味嗜好思考だけでもなく
言葉の裏側、今おかれている状態やその状態のせいで、本人すらも描けない願い。
こちらが本気で想像の力をはたらかせること。その継続が、願いへの支援につながるのかなと思います。
グループホームでのことです。リモコンを操作し借りてきたビデオを観賞している男の入居者さんがいました。
ある時ビデオ観賞中に昼食ができあがると、自分でリモコンを使い一時停止させてテーブルにつきます。そして
昼食が終わり再びソファへ戻りリモコンで再生ボタンを押したとき、私達は自分の目を疑いました。
確かにスタートボタンや一時停止や再生ボタンを押すことは、その都度伝えてきました。がそれはあくまでも
「今観たい」「今トイレ行くから一度止めたい」などの「今○○したい」の瞬間瞬間に応じていただけで、
一時停止したことを記憶し再び続きをみようと思って再生ボタンを押すことはまでは、予測も期待もしていなかったからです。
よっぽど面白い内容だったんでしょうか?
入居した時には、願いはおろか、自分の力で一歩を踏み出すこともその気力も見られませんでした。
私達もはじめは「この人はどう生きたいか?」なんてふうには考えられず、それでも
今この瞬間、これとあれのどっちを選ぶだろうか?
今、帰ると言って出ていくからそっとついていこう
今、「これは嫌だ」というから、嫌だと思わない手立てを何としても考えよう
今、ビデオを観たいたいと言うから…
本人の「今、こうしたい。」をなんとか尊重することを続けました。(当たり前のことだと思うかも・だけど、やろうと思わないと意外とできないです)
この瞬間瞬間の・小さな・当たり前の・積み重ね・が、もしかすると脳の力も蘇らせたのかなって思います。
「声なき声を届けることが自分の使命だ」と言っていたアナウンサーがいます。
介護職も然り…と思いました。
介護負担の軽減を切に願う家族。その横には必ず
人の手を借りなければ日常を送ることができない、一番辛い人が存在すること。
その人にも願いはあるということ。
施設の中では外出先や食事メニューを決める時。
口に出すことや描くことが出来ない人がいて、そこに専門職としての仕事が必要ということ。
最近「ニーズに対応という理由で特養多床室を増やそう」とする声があるという記事を読みました。
また、徘徊する認知症患者を見る家族は大変だから、施設を増やそうとテレビで提案してる人がいて、聞きようでは、収容施設を増やそう、に聞こえてしまい、それが声なき声を考えたきっかけです。
声なき声を拾い上げる努力、引き出す努力
気になった記事や発言は
そんな介護職としての役割がまだまだ果たせていないことの表れかなぁと感じました。
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