僕らの仕事
夏の暑い日。状態が下がった「おつたさん(仮名)の身体を拭いてあげたいな」と考えたが、職員は僕ひとり。
おつたさんの身体を拭くことにとりかかると、おつたさんにかかりっきりにならないといけなくなり、他の入居者をほったらかしにしてしまわざるを得なくなる。そこで考えた。
「およねさん(仮名)、お願いがあるんやけど」
「なんですか」
「一緒に来ていただいていいですか」
「いいわよ」
と言って、おつたさんの部屋におよねさんに一緒に入っていただいた。
「あれ、どうしたの」
「およねさん、この方、ご存知ですか」
「見たことのあるおばあちゃんね」
「この方、おつたさんって言うんだけど、動けなくなっちゃったんです」
「あらぁ」
「およねさん、暑くなってきたやろ。身体が汗まみれになっていて何とかしてあげたいんだけど…」
「身体拭いてあげようか」
「ほんま、お願いしてもいい」
「いいわよ」
ってことになり、そうなることを期待して(予想して)あらかじめ準備していた道具にお湯を入れ
「お願いします」
とその場を離れた。
もちろん「お任せ」にはできないので、他の入居者のことを支援しながら、こまめにおつたさんの部屋を覗きにいく。
すると、およねさんはおつたさんに言葉をかけながら丁寧に身体を拭いてくれていた。
良かったぁ。
ここで、なぜおよねさんなのかである。
およねさんは、入居した直後から、ことあるごとに「私は旦那を5年間も看てきたのよ」と話してくれていた。
しかも、とても世話焼きだということがわかったため、およねさんなら、寝た状態にあり言葉も少ないおつたさんを見れば、何とか力になりたいと思ってくれるのではないか、身体を拭くことを経験しているのではないかと考えたからで、その情報と予想どおり、ものの見事におつたさんの清拭をやり遂げてくれた。
入居者に入居者の世話をさせるなんてもっての外。
入居者にやらせるなんてリスクが高すぎる。
そう考えがちだが、そもそも人は互いの関係の中で助け合って生きる生き物であり、およねさんの能力はおおむね把握できていたことから、ときどき確認にいけばリスクヘッジできるとの判断である。
これは、何も僕の手間を入居者に押し付けて、自分の時間をつくることが獲得目標ではない。
一番考えていたことは、入居者同士の関係づくり。
もともと言葉の少ないおつたさんは、性格的にも入居者同士の関係に入っていくことが難しい方だったが、状態が下がってなお難しくなった。
自分の意思とは無関係に嫌もおうもなく放り込まれた介護施設で、自分の意に添わない人とさえ、ほぼ死ぬまで一緒に暮らしていかなければならない入居者。逃げ出すことさえ許されない。
僕らが「仕事」をしなければ、そのまま死ぬまで、人間関係の希薄な環境・嫌な環境で過ごすしかなくなる。
となれば僕らの「仕事」とは…。
オフ
久しぶりに「オフタイム」を「実感」させてもらった。
同業者プラスその友人で車好きの連中だけと、1泊2日クルマ漬けの旅。
会ってからサヨナラするまで数時間にわたって車の話題だけ。超久しぶりに「オフ」を堪能させてもらった。
クルマ雑誌両手両足に囲炉裏を囲んでのまさに「囲炉裏端会議」。
愛車1968年製46歳のパブリカちゃん、快調でした。往復500キロの旅。人も機械も動いてなんぼやね。
僕が58歳、車と運転手で104歳やわ。ハハハ
しかも、八ヶ岳麓や木曽路の紅葉、南アルプスの山々まで全景見ることができて大はしゃぎ。空全体がピンクに染まった中にそびえたつ富士山も素晴らしかったです。
お礼
僕も出演させていただいた11月23日放送のNHKスペシャルを見ていただいた方々から、たくさんのメールをいただきました。みなさんで一緒に考える題材になればと思いご案内させていただきましたが、たくさんの方々に見ていただき、いろいろな想いをもっていただけたようなので、良かったです。
コメント
初めまして。
介護職10年めを迎えます。
施設内で車椅子に座らされ(私たちに)テレビの前で1日を過ごされる入居者さんに申し訳ないと思いながらも何も動けていない自分にモンモンとしながら過ごしています。
和田さんのような発想力が乏しいのだと実感しています。何か行動にうつせるヒントになればと思うので、またブログにお邪魔させていただきます。
ありがとうございました。
病院勤務から特老勤務へ変わり一ヶ月半です。なかなかギャップに戸惑い困惑していたところNHKの番組拝見しました。田舎のことですから中央のケア施設とはほど遠い感じで愕然とするところもありましたが頑張っていい施設になれるようにしたいです。いい施設で人生の最後を過ごせたと行ってもらえるようにしたいです。とてもいい励みになった番組でした。入居者さんにあのお母様のような笑顔でいてもらえるようにしたいです。看護師としてケア施設では新米ですからたくさん勉強します
初めてのコメントさせていただきます。
介護は100人100通りですと感じていますが、入居者同士の関わりをこのような形で実践するなんて・・・
一人ひとりの生活の快適さを追及していく大切さを感じます。
またブログ拝見に来させていただきます。
傷をつくった入居者さんと、近所の医院に行こうとしたら、その傷を見たもう一人の入居者さんが「私も!」…と
いてもたってもいられず、付き添いをかってでてきた。
名前を呼ばれたことを察し、先頭をきって診察室に飛び込んだのは、付き添いのほうのおばあちゃんで「せんせ。助けてください。この人大変なんです」
と、自分の知る限りの状況(事実ではないが)を説明していました。
職員が、先生に目で合図をすると先生は、最後まで真剣に、ばあちゃんの話を聞いていました。
(職員からはあとでこっそり改めて…)
行き先が病院なので、健康診断や予防接種以外は「さあ、みんなでいきましょ〜」とは言えないけど、この日このばあちゃんの
「してあげたい」を丁重にお断りしないでよかったと、いろんな意味で思えました。
外出の機会、入居者同士の関係づくり、役割づくり、主体性を大切にする、地域の人と関わる機会、社会の理解を得る、他多職種との連携。。。
どれだけ考えても、時間や機会やアイデアの捻出に苦労し、なかなかできたという実感も少ないのに、そんなこんなも含めてこの日は「仕事をした〜」という実感がなんとなくありありました。
関係づくり、役割づくりなど数々の立派な目標について、本当に真に自分は理解しているのだろうか?と考えさせられたりも。
このばあちゃんから「付き添う」という言葉が出たのは、日々一緒に料理をしたり、買い物に行き、荷物を分けあい、そっちのが重い軽い!で助けたり喧嘩したりの積み重ね(日々の仕事)の表れだとも思いました。
「そこに仕事は在りますか〜!」
みたいな合言葉がとびかってた頃がなつかしい。今まで出会った人とのエピソードや挑戦を思いだし、改めて今「仕事とは」を考えています。
わがままで、まわりに迷惑ばかりですが、どの出会いにも、感謝しています。
一人の入居者さんと外出しました。公共のスペースで待っていると、いろんな視線や眼差しを感じました。
笑顔を向ける人、不思議そうに見てる人、うんざり顔、目をそらす人、席を外す人、席を譲ってくれる人、職員に質問してくる人、顔を見合せニヤッとしてる人達……
入居者さんが隣に座った人に、とっても親しげに話かけ始めました。
私はその人に、「オネガイっ!」と拝みのポーズをこっそりむけていて
そしたらその人も、笑ってうんうん頷いて、自分の歳をもうすぐ40だと言う入居者さんに「どうみても、はたちにしか見えませんよ〜 ワッハッハー」と返し、今誕生したこのコンビに、先程と同じではない色々な視線をまた感じました。
辛いこともあるけど、必ず一緒に受け止めるから
外にでなくては。と強く思いました。
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