ぶらり長野界隈
長野県は南北方向に広く県内移動に時間を要するところだが、僕の住まいから長野市まで、東京経由の新幹線でも、中央線で中央突破しても4時間コースである。
長野県内、いろんなところへ20歳代からよく行かせてもらっているが、ホントいい街ばかり。最近もお邪魔してきたので、気軽にご紹介します。
これは、お招きただいた会場傍にあった桜の木。大木って逞しさや優しさ、力強さに脆さなど、僕にとって永遠にわからないであろうことを悟してくれるようで好きだ。
これは、街の人々に情報や何かを伝えてくれる櫓だそうで、いわば街の人々にとっての「かわら版」かな。
実は、東京都内でも荒川区では、夕方になると「ごじです。良い子はおうちにかえりましょう」とか「どこどこでひったくり事件が発生しました。気をつけてください。」といった「かわら版的放送」が流れている。
そういった「街の目」があることもあってか、ある調査では都内でも有数の犯罪が少ない街なのだ。
長野市といえば善光寺とトウガラシかな?!
でも僕にとっての長野市のシンボルは何と言っても国鉄長野駅だった。この姿を見て「ながのにきたぁ」って。
これはネットから引用させてもらった写真だが、まさしく僕の知る長野駅である。奈良駅も同じような社構えの駅舎であった。
1970年代、僕が全国を鉄道で旅していたときは、駅舎で「○○に着いたぁ」って思えたもの。それほど駅舎に特徴があった。
それが今は・・・
駅舎を壊して建て替えるにあたって、いろいろな意見があったとは思うが、これでいいのかねェ。
しかも僕が思うのは、あの駅舎を壊して近代的にするにはそれなりの考えがあってのことだと思うが、その割には、なんで社構えの駅舎を壊しておいて、わざわざ燈籠をつくって置くのかね。
しかも駅前をビルだらけにしてこれやもんなぁー。どうせなら懐古的なことはやめて、まったく新しい発想でこれも造ればいいのに。
どう思う?
いつものように街中をぶらぶらすると理容室に出会った。
もうすぐテレビの収録があるんで時間もあるし「ちょうどええわ」と思って入ったら、聞いてびっくり、創業120年!!!
もっと驚いたのは長野市内で100年以上続いている床屋が3件もあるとか。
僕の入ったお店は四代続いており、僕の頭をカットしてくれたのは三代目。お客さんたちが店主と一緒につくったとてもステキな空間(鉄道模型が走り、絵や写真がたくさん飾ってあり、天井にはでっかい世界地図)で楽しいひとときを過ごさせてもらった。
ありがとうございました。
頭がスッキリしたあとは「珈琲や!」とばかり行動開始。
いつものことだが、どこぞに古くからやってる「珈琲屋」(喫茶店ではない)がないかと通りを覗いて歩くと「あるやんけ、ばっちり!」
おなかが空いたのでビーフシチューを御馳走になり、おいしい珈琲も。珈琲好きの僕にとって大満足の時間である。
しかも、珈琲との組み合わせで欲しくなるものは「これ」だが、これもあった。
じゃーん、映画館。
どこに行っても、街中の映画館が閉店に追い込まれている。ここは長野駅すぐの裏通りだが、立派に映画館として営業していた。残念ながら映画を見る時間はなかったのだが、今度行ったときは必ず映画を見ることを密かに誓って後にした。
ビル化がすすむ駅前にあって、善光寺長野のステキな味わいを残す老舗の味噌屋。ここにも立ち寄る時間がなかったが、また今度来た時は必ず立ち寄りたい。
会場に連れて行ってもらう車中から見た夕景はきれいやったわ。とにかく長野は空が低いし雲が手にとれる感じやね。
僕は高知県出身やから高地県の長野から感じることが多いのかも。
じゃーん、58歳の誕生日を北海道の人たちが祝ってくれた。
照れくさいけど、いくつになっても嬉しいね、ケーキ・ろうそく・ほのかな炎・はっぴバースデー、それに「おめでとう」の言葉と拍手(嬉し泣き)。
追伸
おかげさまをもちまして「大逆転の痴呆ケア」(2003年中央法規)が増刷を重ねて15回目となりました。
いつまでも愛されてありがたいし嬉しくはありますが、未だに読まれる状況に哀しさをそれ以上に感じています。
もう大逆転に書いてあることが当たり前過ぎて誰も相手にしなくなる時を心待ちにしているのですが・・・。
コメント
おめでとうございます。
嬉しさにも色々な感情がありますね。
支援させていただいている利用者さんからの「ありがとう」も、やるせなさや後ろめたさなどの思いが入っているかもしれない、ということを忘れず、
できるならそんな「ありがとう」を言われないような存在になり、お互いに「ありがとう」な関係になりたいと思います。
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