モーリさんのコメントに寄せて
「家やグループホームに帰り最期を迎えることも選択肢のひとつですよって言えなかった私は間違っていますか?」
今朝読ませていただいたモーリさんからの重いコメント。
先に書きかけていた原稿をそでにして、このことについて書かせていただくことにする。
医療職の配置が義務付けされていないグループホームにおいて、「胃ろう状態」になると、それに応じられなくなる。
そのため、いくら本人や家族が願おうが、いくら職員がその気になろうが「戻っておいで」とは言えない。
つまりモーリさんが言う「選択肢を示せる」っていうことは、「胃ろう状態」にあっても、それに応じることができる条件が揃っていなければならないということだ。
その条件もなく、職員の想いだけで選択肢に入れたのでは大変なことになりかねない。
僕のところでも保険者に申し入れたところ「現行法規では何かあったときに介護職を護ることができないので諦めてください」と言われたことがあるが、真っ当な話である。
では、その条件とは何か。
これは単純明快で、胃ろうで「必要なことに手をくだせる人がいるかどうか」である。
この条件を満たすことができず、涙をのんで「退居」をやむなく飲み込んだ人が、本人・家族、事業者・従業者、そして条件を組み立てている行政マンまで含めて、多数いるのではないか。僕が所属する法人のグループホームでも例外にもれず、である。
ただ、同じグループホームでもおかれている状況が違うため、グループホーム=条件を満たさないという単純な図式にはならない。
僕のところでも、前述のグループホームとは違って「胃ろう状態」になってそのまま暮らし続けることを支援しているグループホームもある。
それは何が違うかと言えば、大きくは「医療職の有無」であり、「有無」はグループホームに看護師が毎日配置されているという単純なことではなく「胃ろう状態への支援体制の有無」である。
例えば、主治医がフットワークの軽い人で「僕が行くよ」と言ってくれるなら何ら問題なく条件を満たせるし、家族が「私たちがやります」と言ってくれれば何とかなる。
さて、そういうように整理してモーリさんの「間違っていますか?」について考えると、単純に「正誤のジャッジ」ができるものではないが、少なくとも、ここに書いたようなことを家族と話すことがあったら「帰れへんかったねえ」の言葉が繰り返し聞こえることはなかったのではないだろうかとは思った。
家族懇談会や運営推進会議など、家族が交わって話すときに、こうした制度上の課題や家族のエゴなどタブーにしてしまいがちなことまで投げかけて、常々話し合っておくことの大切さを改めて感じたモーリさんからのコメントでもあった。
※写真は「在りし日のぼく」です。
コメント
「帰りたかった」と思ってもらえるグループホーム…私の施設では、そう思ってくれるようなケアや接し方をしているだろうかと、振り返りました。
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