来る者拒まず・最期まで
知人の医師と、住まいから100キロ離れた地域に出かけた。高速道路を使って1時間半はかかる場所である。
目的は、その医師の子どもの晴れ舞台(球場でプロ野球の合間に子どもミュージカルを披露)を見に行くためである。
認知症と炎
僕らにとって、目に入る情報はとても大事である。
目に映らなければ「思い描く・察する」しかないのだが、知識や経験がないと描くことも察することもできず「思いもしなかった」となる。
今の時代を生きる高齢者にとって、炎がなくても湯を沸かすことができるIHコンロはまさに「思いもしない道具」であり「?」の連続となってもおかしくないのだ。
魔の手
婆さんの暮らしが脅かされている。
認知症という状態にあっても地域社会で暮らしていけるようにと願って様々なことが考えられ実践されているが、その陰で確実に「認知症をターゲットにした魔の手」も伸びており、魔の手は「いわゆるプロの詐欺師」だけではなく「善意の仮面を被った普通よりいい人」だったりするから、厄介である。
モーリさんのコメントに寄せて
「家やグループホームに帰り最期を迎えることも選択肢のひとつですよって言えなかった私は間違っていますか?」
今朝読ませていただいたモーリさんからの重いコメント。
先に書きかけていた原稿をそでにして、このことについて書かせていただくことにする。
国民に応えない職員にカツ!
介護保険法には「サービス提供拒否の禁止」という条項があり、事業者の都合でサービスの提供を拒否することに歯止めをかけている。
でも、実際には「この状態ではお受けできない」とか「こうなったので出てください」というように、いろいろな理屈をこねてはサービスの提供を拒む事業者が後を絶たないのではないか。
そもそも困っている人がいるから飯が食えていることを忘れた話で、困っている人を無下にしても飯が食えるからこそのおごりに腹が立つし、介護業界のだらしなさを嘆くばかりであるが、逆に筋の通った人たちの話を聞くとものすごく嬉しくなり、励みになる。