豊かにできてこそ専門職…かな
「気持ちが楽になりました」
そう言ってもらったときが「自分の仕事ができたなぁ」と思える瞬間である。
認知症になった母親の面倒をひとりでみてきた一人娘。娘といえども、60歳になろうかという歳である。
一生懸命本人ためにと思ってやっても「こんなもんが食えるか」なんて叱られ、挙句の果てには「私のお金を盗んだ」なんて泥棒呼ばわりされ、叩かれたこともあった。
「なんで私がこんな目にあわなきゃならないの」と母親を恨み、他人には言えなかったが、叩かれて叩き返したこともあったと娘が語ってくれた。
「母親は認知症なんだから」と思ってはいても言動は伴わず、またそのことで自分を責めてしまい滅入っていた娘。
断腸の思いで24時間型入居施設を申し込み、後ろ髪を引かれながらも入居させることを決心したのだ。
「お金を盗んだって言われるのは堪えるでしょ」
「もうそれが一番いやでした」
「でもよく考えてみるとわかるんですが…」
お金を中心に生きていかざるを得ない社会構造のなかで、人は知らず知らずのうちにお金を常に気にして生きている。
気にしているからお金は大事にするし、大事にするから「しまう=人目を避ける」という行動を起こす。
人目を避ける=自分の目からもお金が消えるが、脳が壊れていないうちは、目の情報に入ってこなくても脳のストック情報に入っているので「ない」とはならず、騒ぐこともない。
ところが目にも入ってこないし脳の情報にもないとなると「ない」ということになり、探しはじめ、探しても「ない」となると他人を疑い始める。という構図は普通のことであり、母ちゃんは脳が壊れて「しまったことを忘れている」が、「ない」から大騒ぎし、挙句に他人を疑い出すのは脳が壊れていないふつうの人と同じ行動だ。
娘は母親の認知症を理解するため勉強会にもよく顔を出していたようだが、こうした行動を「被害妄想=行動異常」と教わっていたようで、自分の母親が異常な行動をとると思うだけでつらかったようである。
でも、僕の話を聞いて「母親の行動が自分と変わらない行動だなんて思いもしませんでした。そう思えば、なんか気が楽になりました」とほほ笑んでくれた。嬉しかったね。
追伸1
写真は、北海道のある会館の「誰でもトイレ」を表す「サイン」ですが、何とも微笑ましいでしょ。人の気持ちを「ほわーっ」と瞬間的に豊かにするってアートですよね。
僕もアーティストになりたいと思ってるんですが、なかなか道険しですね。
追伸2
長野県佐久市事業者連絡会主催の研修会にお招きいただいていたにもかかわらず、主催者事務局との意思疎通がうまくとれず、230名もの方々にお集まりいただいておきながら出席できない事態が発生しましたこと、この場をお借りしてお詫び申し上げます。本当に申し訳ないです。必ずやお返しに行かせていただきます。
追伸3
今日から新年度。この春学校を卒業して介護の世界に飛び込んでくれた人たちがたくさんいます。
僕のボスが言っていた「履歴書の一番目に書かれる法人としての責務をしっかりと果たしていこう」をこの季節になると思い返します。
中央法規出版が刊行している雑誌「おはよう21」2013年4月号の特集記事にも書かせていただきましたが、介護の世界に来てくれた新しい仲間たちは「国民の宝」です。
この業界の先輩として暖かく迎え入れるということに留まるのではなく、国民生活に不可欠の仕事を選択してくれた、いわば国民からの預かりの者を、国民生活に還していける専門職に導くのは僕らに課せられた社会的な責務です。
先輩風を吹かせるのではなく、「讃え合う風」「労い合う風「感謝し合う風」を吹かせられる先輩になりましょう。
ぜひとも「おはよう21」4月号を読んでみてください。
コメント
病気に伴う気持ちを知ること。
気持ちは失われない。(普通のこと)
目からウロコです。
学びは真似ること。真似します。
ブログを読むたび、相手の気持ちを無視した支援は
出来ないことを学んでいます。介護全般について根拠ある道筋を示してくれて
いつもありがとうございます。
履歴書の一番最初にある施設では、五感すべてで介護の基本を教えてもらいました。
今でも当時の上司への感謝と、その志の高さを忘れず、介護職を続けています。
年数を重ねていくにつれ、慣れが生じ、画一化合理化した介助介護に傾いてしまいます。
和田さんのブログを拝見すると、常に振り返る、向きを変える、リセットする、新しい発見をする、動き出す…専門職であることの誇りと責任を感じます。
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