楽をしてはいけない
数年前から仲間と「下町三人衆」という名の「愉しむチーム」を結成して、年1・2回だが「酒のダシ」を見つけてきては、特別な呑み会を企画し集まっている。
その会を浅草でやり、昔500人・今じゃ全国に5人しかいない幇間(ほうかん たいこ)の芸を堪能させてもらったが、学ぶべきことがたっぷり詰まっていた。
幇間の「幇」とは「助ける」という意味で「間」は人と人の間、すなわち人間関係を表し意味で、人間関係を助けるという意味だそうだ。
幇間という職業は、接待する側と接待される側の間、客同士や客と芸者の間をつなぎ、場を盛り上げて愉しくする、正にプロの「遊び助っ人」である。
俗称「たいこもち」と言われているが、こちらの呼称のほうがピンとくるのではないか。
詳しいことは自分で調べてもらいたいが、僕は幇間さんの芸を見させてもらうのは四度目。毎回「プロの芸は凄い」と感心し、自分も「介護のプロ」と言うのなら「己を磨き続ける厳しさをもたないとダメ」だと教わるばかりである。
幇間はイヤとは言えない商売だと言いきる。
お客さんから依頼のあったことは、イヤだと言いたいことはあっても言ったらおしまいだと言いきる。もちろんそれにも限度ってもんがあるだろうが、そもそも幇間さんを招いて遊ぶことができる人たちはわきまえた人たちだろうからね。
あるとき「池に飛び込め」と言われたそうで、言われたままに池に飛び込んで上がってきたら、新着の着物が用意されていたそうだ。
そういう遊び心のある人の助っ人なんだろうが、それでも「イヤとは言わない・言えないプロ魂」で飛びこむ姿には感動する。
「手がかかるから受けたくない」「手がかかるから来ないでくれ」などと平気顔で困っている市民に対して言い放つ介護事業者・従事者がいる。
不満も言えずただ耐えている市民から相談を受けたりすると、同業者として腹が立つよりも悲しくなる。幇間のプロ魂を見習うべきだ。
幇間は自分が遊んじゃダメ。ダンナが遊べるようにするのが幇間だと言いきる。
僕も自分のところのデイサービスを見に行ったとき(正確にはわざわざ現場に言ったのではなく、目にしたというのが正しいが)、そこの責任者を呼んで「ここは楽しそうなデイサービスセンターやな、職員が」と言って立ち去ったことがある。
外出にしても外食にしてもパーティにしてもゲームなど何にしても、利用者・入居者たちが主人公になれるようにするのが僕らなのに、僕らが主人公になっている所や事が多すぎる感がある。
ほとんどのことが職員ペースで決められ・進められ、それをひたすら目にしているだけの利用者・入居者の姿は、職員のやりたいことを応援し盛り上げている利用者・入居者という構図である。これでは利用者・入居者にお金を払わねばならない。
どこまでも主は利用者・入居者にあり、ただ楽しければいい、盛り上がっていればいいということではなく、常に主は利用者・入居者にあることを忘れないということだ。楽しいは「ラク」とも読む。
2011年公開「ゲット・ラウド」。ジミー・ペイジ、ジ・エッジ、ジャック・ホワイトという三世代にまたがるエレクトリック・ギターのヒーローを描いた映画に「クリエイティブな世界で楽をしてはいけない」という言葉がでてくる。
そのとおりだと共感できたのは、僕らの仕事もクリエイティブな世界だと、僕は認識しているからだ。
楽をしてはいけないと改めて自分に言い聞かせた。
先日京都駅前で会った「愉快なひと」
おもしろもの見つけた!
って名古屋の街中を運転していた連れ合いが言うのでUターンしてよくよく見ると
おもしろ標識でした。35年以上車で走りまわってきたけど初めて見る標識。
コメント
デイサービスやデイケアは誰の為にあるのだろう?
有料老人ホームに勤めて、デイサービスの送り出しをしていると「1日中、椅子に座っている」という呟きを耳にします。
「○○さんが帰ると言っているので、(人手が足りないので)迎えに来て下さい」とデイサービスから電話がしばしばあります。
本当にディで利用者の心からの笑顔を見ることは数少ないと日頃から感じていました。たった8人ほどの利用なのに、全員が笑顔にはなりません。一人ひとり生まれも育つも生仕方が違うのですから当たり前と言えばそうですが・・・。スタッフが楽しそうにしていれば、それにつられて笑う。それもありかなと思う日々でもあります。何に対しても興味を示さない方に、どう喜びディ利用してよかったと思ってもらえるか考えていても答えが出ません。無力感を毎日味わってます。
ディ利用は家族の為と言う方が多い方々の中で、少しでも楽しかったと感じてほしいと思いますが・・・。
どなたか教えてください。
m(__)m
どう考えても想像してもわからないですこの標識
デイは何のためにあるかというと「自立した生活を取り戻すため」であって、楽しみのためにだけにあるのではないと思います。ましてや、○○さんのように「スタッフが楽しそうにしていれば、それにつられて笑う・・・」そんな笑いはどうでしょうか?
利用者が主体で何かをするのであれば、そこには笑顔ばかりではなく、「しんどい顔」「辛い顔」、あるいは、「争い等々」も当然でてくるのではないでしょうか?
デイサービスの目的は「自立した生活」を目指すことです。楽しみのためにではないはずです。
基本は利用者主体の活動。その結果として「しんどい顔」「辛い顔」「楽しい顔」「笑顔」など、様々な表情がでてくるはず。笑いのみを誘導するのは、そのことを最大目的化して全体が見えなくなります。
笑顔だけで満足していると、利用者の自立支援を奪ってしまうような気がします。
夜勤ヘルパーさんへ
標識は上と下を足せば、直進の標識になるでしょ。
きっとコンピュータかなんかの狂いで、とまる位置がずれたのでしょうね。ハハハ
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