ページの先頭です。

ホーム >> 福祉専門職サポーターズ >> プロフェッショナルブログ
和田行男の「婆さんとともに」

人権侵害と人権支援

 和歌山県の介護施設で、入居者に「パンストを被せた」「アダルトビデオを見せた」ということがあり、高齢者虐待防止法に基づいて行政が調査に入ったとの報道がされた。
 詳細が明確でない段階でコメントしたくないと思ったが、思うところがあるので書かせてもらう。

続きを読む

 そもそも虐待の本質は「強要する」「略奪する」「放置する」といったように、支援を受ける者の生存権や人権が侵害されたことを指すはずで、「パンティーストッキングを被っている」とか「アダルトビデオを見ている」という現象だけでは虐待とは言えないのではないか。
 つまり、介護施設の利用者・入所者・入居者(以下「利用者」)には、「パンストを被る権利」や「アダルトビデオを見る権利」もあり、たとえ認知症があったとしても、そのことを「基から奪われるのは逆の意味での権利侵害であり虐待ではないか」と僕は考えている。

 僕の仲間がこの件を知ってすぐに、若年で認知症の状態にある方々を交えて話し合ったようで、当事者たちは「自分たちの希望でアダルトビデオを見て(支援を受けて)、3年後に自分は判断できなくなって、職員に迷惑がかかるのはしのびない。嫌がる(人に見せるのは)のはダメだけど。記事の書き方によって人の生活に規制がかかるようなことになってほしくない」「クリスマスで楽しんでストッキングを被ることもあるよ。みんなと楽しめたらいいのでは。おかしなことになっていかないかと心配」と危惧している。

 和歌山県の行政の人には、くれぐれも「現象に惑わされず」、職員が利用者に強制的にパンストを被らせたりアダルトビデオを見せたりしていないかという「強要」を追及してもらいたい。
 そうでないと介護施設の利用者は、「介護」がかかわったがために「人の生活に普通にあること」を奪われてしまいかねず、「尊厳の保持」だとか「その人らしく」なんていうのは絵空事になってしまう。
 ただし、僕らにとっても考えなくてはならないことがあることも忘れてはならない。
 それは、ともすると「楽しんでもらえれば何でもあり・何でもやらせる」という風潮である。
 和歌山県の介護施設の場合でいえば、「どういう理由で仮装をやることになったのか」やることになった上で「どういう理由でパンストが仮装の選択肢に入ったのか」などの説明をきちんとしてもらいたいし、その検証で「仮装大会」や「パンスト」が適切であったかどうかのジャッジをまずは自分たちですることが大事なのではないか。そこは腹をくくってきちんと正確に検証するべきである。
 結果的に不適切だとしても「お上がダメと言うからダメ」ということでは「生きることを支える専門職としてはだらしなさ過ぎ」で、それは逆の意味での役人による統制・虐待を見過ごしてしまいかねないからだ。
 僕らの仕事は、世間一般の人々の暮らしの様から「遠ざける」ことにあるのではなく「遠ざけない」ことにある。
 介護施設に入ったら「猥談もできやしない」「エロ本も見れやしない」「成人映画も見れやしない」「スナックやキャバレーに行けやしない」では、世間から遠くへ離れるばかりであり、人としての生きる力をも奪いかねない。
 いくつになろうが、要介護状態になろうが、どこで住まおうが、世間でタブー視されがちだが人として本質的な事象が「人として生きることの様のひとつ・人の欲のひとつである」以上、それをいつまでも廃用させないように支援していくことも、僕らの大事な仕事である。
 職員が「被らせる・見せるは強要で虐待」であり人権侵害だが、利用者が「被りたい・見たいの実現は支援」であり人権支援・権利擁護であることを考えると、常に両面から検証して取り組んでいく意識がこの仕事には欠かせないのだ。
 何でもかんでも虐待と同一にされないためにも、ただ「楽しけりゃいい」なんていう「浅はかさ」にならないよう、利用者を真ん中に置いて利用者とともに取り組んでいくことである。
 これから年末にかけて季節行事が取り組まれることだろうが、そもそも「何でクリスマスツリーを飾るのか」「何でクリスマス会をやるのか」「何で初詣に行くのか」ってことから議論してみてはどうだろう。多くの場合、支援者である職員の思いの実現になっていることに気づけるから。

追記
 今日から、株式会社波の女主催「介護市民相談会」が始まります。詳細は波の女のホームページでご覧いただければと思いますが、株式会社波の女が運営する「滝子通一丁目福祉施設」(名古屋市昭和区)の近隣地域数か所のコミュニティーセンターで開催します。
 今年3月に続いて2回目の取り組みですが、予約なしで自由に参加できますし、前回は介護職員の方も何人か来られました。
 お気軽にお越しください。


コメント


 確かに可能性としては在りえるでしょうけど、クリスマスのとんがり帽子ならまだしも、自分から「パンストを被りたい」なんて事があるでしょうか?

 行政の調べで『事の詳細』が分かるとも思えないし、やはり「職員が被せた」と見るのが妥当だと思いますね。

 施設長のコメントでも「たいした事じゃない」みたいなコメントでしたし・・・。

※「アダルトビデオ」については時と場合を考慮すれば在りだと思いますが。


投稿者: 通りすがり | 2012年11月26日 18:43

妥当、ですか。
真実を知ろうとすることや、見つめようということから、目を反らしているような印象を受けました。
今回の事の真実はどうであれ、人として人と生きる限り、追求し続ける大切なことがあることは、忘れないでいきたいと改めて思いました。
これは在り、これは無しと、決めて図るものではないようにわたしは思います。
でも、わたしがもしその場にいたなら、間違えてかぶらないようにするか、いっしょにかぶると思います。


投稿者: ねむりねこ | 2012年11月27日 16:21

通りすがりさんへ

 自分からパンストを被ると言って手にしたものを被れるようにお手伝いしていたとしたらOKでしょうか。
 それとも、そもそもパンストを被り物の選択肢に入れたこと事態が不適切とお考えでしょうか。
 どこかのタイミングで議論していかねばならない重要なテーマだと僕は思っていますが、いかがお考えでしょうか。
 通りすがりにコメントをしていただいたにも関わらず深めてごめんなさい。でも大事なことなので聞いてみました。


投稿者: わだゆきお | 2012年11月27日 19:36

似たような事を何年も前に併設の施設で聞いた事があります。その時はクリスマス会で、認知症である利用者に動物の被り物(帽子)を職員が被せた。そして、一緒に笑ってた。これは、虐待ではないのか?と後で議論したそうです。
物がパンストであれ動物の可愛い物であれ、本質は何ら変わらないと思います。認知症という状態である事は、その場の空気にそぐわない行動を時には起こします。それを良しとするのか?悪とするのか?それの基準をどこにおくかで、支援内容が変わるのは、おかしいと思いませんか?
パンストだから悪、可愛い動物ならOK。なんだか変ですよね。
パンストであれ、動物であれ、その人の意に反した行動を無理強いするのは、虐待か?まずは、ここを議論してみませんか?
逆に、認知症の人を笑わせるために職員がパンストを被った。これはどう考えましょうか?もし、認知症の人が同じ思いを持っていて同じ行動を起こしたら・・・それは、虐待でしょうか?
私達、自称「専門職」がいつも考えなければいけないのは、自分がその立場に立った際に、自分ならどうするか?自分が認知症になった時に、同じ場面に出くわしたら、どう行動するのか?すべての始まりはそこからと思いますが。
なんか、和田さんをさしおいて、偉そうに書きました。すいません。
追伸
和田さんへ
お陰様で、一時、和田語に頼っていた自分に気づいてキャラバンメイトを自粛していましたが、今は、自分自身の過去の経験値から、様々なネタ(表現が適切ではありませんが)を引っ張りだして、喋っています。明日も高校に行って、認知症って何だ?について喋ってきます。


投稿者: 博一 | 2012年11月28日 16:31

 「自分からパンストを被ると言って手にしたものを被れるようにお手伝いしていたとしたらOKでしょうか」

 それならOKだと考えます。 でも「利用者が自分で選択出来る様な状況だったのか?」が分からないので(そもそも選択肢があったのか?)後半の質問には答えられませんが。

 和田さん、ねむりねこさん、両者の言わんとする事も重々分かっています。

 ただ、この手の報道って「実際はどうだったのか?」が最後まであやふやな事が多くありませんか?

 以前老健であった「携帯で写メを撮って・・・」の時も結局行政からの処分は無く、当事者も「不適切な行為だが虐待ではない」とのコメントでした。

 「限りなく黒に近いけどまだグレーだから」と猶予を与えているうちにうやむやになったり、「親しみを込めてやった」のであれば許される、なんて事にならないか?を危惧しての発言でした。


投稿者: 立ち止まり | 2012年11月29日 01:14

グループホームからディサービスへ 転職一年が後2ヶ月で過ぎようとしてます。在宅から施設の変換の間で利用者 ご家族の苦しみの間で援助させて頂いています。 私の母自身施設で お世話をお願いしています。とにかく、ご家族のご理解 スタッフのひたむきさが 同じ目線にたてた時 利用者様の幸せが拓けるような気がします。という私は日々のレクの支度に追われてますが


投稿者: マメ | 2012年11月29日 20:29

先日、東京都福祉財団主催の高齢者虐待・権利擁護等の研修がありました。その時やはりこのことを、講師の方が取り上げ《あなたは親に同じことを出来るか、と言い虐待ですよと話した》言われました。私はこれを聞いてなぜか?と思い「そうだそうだ」と思えませんでしたが、和田さんのブログを読み、納得できました。本人が嫌がっているのを強制していたならば、虐待なんだ、と思います。私は職員でもかぶりたくないです。いくら仕事でも断る。これは私の権利だと考えていますから。精神的な虐待も考えなくてはいけないけれど、まだまだたくさんの施設で行われている、安全のため、家族に了解を得ている等で行われている身体拘束何とかならないのでしょうか?


投稿者: kagayakiフクダ | 2012年11月30日 19:07

このテーマで「朝まで討論会」できそう。
企画しませんか!


投稿者: 夜勤ヘルパー | 2012年12月02日 00:30

博一さんのコメントは私に対しての物ですよね?

>逆に、認知症の人を笑わせるために職員がパンストを被った。これはどう考えましょうか?もし、認知症の人が同じ思いを持っていて同じ行動を起こしたら・・・それは、虐待でしょうか?

 職員が笑いを取るために自分から行動したのであれば何も問題無いでしょうね。(私ならやりませんが)

 そして後半の部分についても「問題無い」とは思いますが、仰っているように「本人が主体的に起こした行動なのか?」を現場にいなかった私たちがニュースから見聞きする情報だけで判断するのは非常に難しいでしょう。(当然、当該職員たちは「自分で被ったんだ」と言うでしょうし・・・)

 加えて「笑いを取るためにパンストを被る」と言った場合、帽子の様にかぶるのではなく、顔全部に被って潰れた変な表情を笑っている、と想像して不快感を持ちました。

 確かに「本人が希望し自分で被った(被るのを手伝った)」というケースも全く有り得ない訳ではありませんね。   でも、こうして疑われる様な事の無いように、『李下に冠を正さず』といった意識も必要なんじゃないか?と考えます。


kagayakiフクダさんのコメントにもありますが

>本人が嫌がっているのを強制していたならば、虐待なんだ、と思います。

 認知症の為にやらされている事に対して「嫌だ!」という意思表示が出来ない方もいる事を考慮していたのだろうか?と思ってしまいます。


投稿者: 立ち止まり | 2012年12月02日 02:31

すみません。何も分からないのに、自分はこう対応するなど、言うものではありませんでした。
取消ではなく、想像上で考え出した対応の一部であることを、付け加えさせてください。
「自分からパンストを被ると言って手にしたものを被れるようにお手伝いしていたとしたらOKでしょうか」
わたしはOKだとは、言い切れないと思います。
被りたいと言うのは、その方のその場での気持ち(衝動?)なので、それが本人の、本当の本意なのか、知る必要があると思います。
日頃からその方のいちばん近くにいるのが介護者だからこそ、本人が何を望んでいるか、どう感じるのか、分かるはずなんです。
パンストはOKか、OKじゃないかを議論することや、何も知らない外部が判断することは、既に本人の気持ちから離れてしまっているなと感じました。
被らせるか、被らせないか、ではなくて、本意に添う、または、本意を汲み取るにはどういう行動が自分に求められているのかを、常に考えることが大切かなと思います。
わたしは、介護職は、望みを叶えることが仕事ではないと思うんです。
規制するのとは違いますが、結果的に本人のためにならないことは、止めてもらうようにするとか、嫌でもやってもらえるようにするのも、その方の生活のために必要ということもあると思います。
もちろんその方の、本意に添った生活を維持できるためのことだと思うからです。
ただ、この件は様々な視点で、いろんな点を議論する必要があると思います。たくさんありすぎて分解も難しいです。


投稿者: ねむりねこ | 2012年12月02日 07:59

人が生きることを支える。これを考え続け少しは物事の善悪がわかった気がします。
人がもっている権利を奪う悪、侵害する悪、物事を追及しない悪…そうと気づきながら、通り過ごす悪。
善悪を知るということは、悪を悪に見せない術も備わってしまうわけで…律していかなければと強く思います。


投稿者: ばーばら | 2012年12月02日 08:12

「李下に冠を正さず」という意識が必要…このコメントに挙手させてください!

これは「職員が疑われない様にするため=職員を中心に考えた結果、パンストを被る利用者の権利を奪う」を意味しているのでは。

支援の根拠はいつ何どきも、きちんと説明できるものでなくてはと思うのです。説明もしない・できない。だから疑われるから支援もしない…は職務の怠慢による、介護職自らが手をそめる、人権侵害ではないかと思えるのですが。どう思われますか?


投稿者: すみこ | 2012年12月03日 00:21

議論だいじ…と思う。
密室でなく、外に公開されてることや、中味が残るということも、よいことに思える。なんでだろう。。。?!


投稿者: 夜勤ヘルパー | 2012年12月04日 10:05

その場の雰囲気もありますし、現場を見てもいない第三者がこういった事件に対してそれほど考えても仕方がないのでは・・・


投稿者: ぼうかんしゃ | 2013年02月21日 15:23

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。

コメントを投稿する




ページトップへ
プロフィール
和田 行男
(わだ ゆきお)
高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は大起エンゼルヘルプでグループホーム・デイサービス・小規模多機能ホームなどを統括。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。

【ブログ発!書籍のご案内】
new!
和田行男さんのブログ発第2弾『認知症開花支援』が刊行されました。前作『認知症になる僕たちへ』から2年半――。パワーアップした和田行男のメッセージにご期待ください。
定価:¥1,680円(税込)、10月20刊行
→電子ブックで内容見本をご覧いただくことができます
→ご注文はe-booksから
wadaprof3.jpg

和田行男さんのブログ「婆さんとともに」をまとめた書籍が刊行されました。
タイトル:『認知症になる僕たちへ』
著者:和田行男
定価:¥1,470(税込)
発行:中央法規
→ご注文はe-booksから
wadaprof2.jpg

メニュー
バックナンバー
その他のブログ

文字の拡大
災害情報
おすすめコンテンツ
福祉資格受験サポーターズ 3福祉士・ケアマネジャー 受験対策講座・今日の一問一答 実施中
福祉専門職サポーターズ 和田行男の「婆さんとともに」
家庭介護サポーターズ 野田明宏の「俺流オトコの介護」
アクティブシニアサポーターズ 立川談慶の「談論慶発」
アクティブシニアサポーターズ 金哲彦の「50代からのジョギング入門」
誰でもできるらくらく相続シミュレーション
e-books