脱・軟禁
施設から外に出て行ったよねさん(仮名)は、後を追う職員を振り払うように小走りで向かうのだが、その方向はよねさんにとって何がどう作用しているかはわからないが、常に同じ道でなくとも自宅のある方向である。
その時も、よねさんは必死の形相で、その方向に向かってひたすら歩いた。見失わないようについて行った職員も必至である。
ある場所へ辿り着いた時、ついて行った職員に向かって「あそこ(施設)には戻りたくない、家に帰りたいの」と言い放って泣きだしたのだ。
これにはついて行った職員もはち切れ、思わず声を出して一緒に泣いてしまった。
市民講座などで僕が参加者に聞く限り、特養・グループホーム・特定施設などの「ケア付き住宅」で暮らすことを願う人が増えてきたが、それでも最期まで自宅で暮らすことを願っている人が断然多い。
ところが、認知症という状態になると(以下、婆さん)、本人の意思とは無関係に自宅生活をはぎ取られてしまいやすく、特養、グループホーム、特定施設などの入居型施設に入っている婆さんの多くは、本人の意思によるものではなく、家族や行政関係者など、取り巻く連中の意思によって入居させられているのではないだろうか。
その時点で、「尊厳」も「人格」も「人権」もあったものではないが、キレイごとではすまないのも事実であり、よねさんのように意思に反して「軟禁状態」に置かれるのである。
辞書によると、軟禁とは「外出の自由を奪うものの、監禁のように被拘束者の行動の自由を完全に奪うものではないものをさす」「比較的ゆるやかな監禁。家または室内にとどめておき、外部との交渉・接触を自由にさせないこと」とある。
よねさんの場合は、自分が「帰りたい」という意思を行動に移すことができる=外出の自由がある施設に入居しているため、軟禁はされていないが「軟禁状態」にあるといえ、行動に移したくても移すことすら許さない「施錠施設」に比べると、軟禁されない僕らの状態に近いといえる。
罪をつぐなう刑務所や治療を施す病院のような特殊な場所では「軟禁・監禁」というのは致し方ないと誰もが思うだろう。でも、生活の場所である福祉施設が「軟禁状態」に置かれていることを「致し方ない」で済ませていいかということの国民的議論もなく、事業者の価値観だけで軟禁しているとしたら、それこそ介護保険法に謳われている「尊厳の保持」はお題目だけになってしまう。
人は誰もが「自分にとって意味や目的の重いほうに行動する」と僕は説き、家に帰ることよりも施設にとどまることに意味や目的を実感できるように支援する(手立てをとる)ことが大切だと投げかけている。
つまり、施錠して外出の自由を奪うのではなく、「外出に意味や目的を感じない=だから外出しない状態」をどう作り上げるかにこそ専門職の専門性があり、そこに何の手立ても講じず施錠するだけなら、素人でもできる手の打ち方だと言っているのだ。
著書『大逆転の痴呆ケア』でも書いたとおり、僕は「施錠しない施錠肯定派」で「施錠は絶対にダメ」だなんてまったく思っていない。
軟禁は、施錠してでも行動を制限せざるを得ないこの国の制度・仕組みの実情の反映であり、施錠する者にだけ課題があるわけではない。
ただ僕を突き進ませるのは、人として生きていけるように応援する専門職として、可能な限りの手立てを講じ、この国で暮らす人々に与えられている「外出の自由」を奪わないように力を尽くすことが仕事であり、そこが素人とは違うというプライドだ。
それは、とりもなおさず社会福祉施設(特養やグループホームなど)が生活の場=居宅(すごす場)であり、居宅はほぼ自宅(自分の家)と同じ概念にあると考えているからで、刑務所や病院のような特殊な場所と一線を画して思考・実践しているからに他ならない。
よく「和田さん、自宅でも外部からの脅威に対して鍵をかけて護るじゃないですか。それと同じじゃないですか」って言う人がいるが、「自宅に住む人が自分の意思で施錠しているのに玄関扉をがちゃがちゃさせて出て行こうとする人がいるか?」って聞き返すと、みんな「いない」って答える。
圧倒的多数の日本国民が自宅に軟禁されていないとしたら、それが「一般的な生きる姿」であり、介護保険法の目的に謳う「自立した日常生活を営むことができる姿」といえ、それが自分だけで成立できなくなった人が社会福祉施設に入居し、僕らの支援を受けるのだから、支援を受けたことによって「一般的な生きる姿がある」とならなければ、僕らの存在意味が問われかねない。
「軟禁」は、この国の福祉施策ならびに専門職の専門性の映り鏡であり、認知症になると自宅で暮らし続けたいと願っても思うようにいかない社会にあって、せめて「自宅風」くらいは感じてもらえる風を吹かせられる専門性をもちたい。
追伸
施錠して自由に外出できないようにしている施設を運営する事業者やそこに従事する職員は、「皆様方の安全が第一ですから」なんて言ってるところを考察すると、きっと自分たちが「入居者・入所者・利用者を軟禁している」とは思っていないはずだ。
でもそこにこそ、この国に根深い問題が潜んでいることに気づくべきで、もっと堂々と「軟禁して何が悪い」くらいに言える・意識できているほうが根は浅くていいのだが…。
コメント
玄関チャイムが鳴るたび、「○○さ〜んどこいく〜?」と、出ていく入居者を呼び止める職員さんがいました。
そこの施設は「入居者の行動を制限しない」を掲げ、職員にもその思いが強く、施錠はしていないという話でした。
職員が入居者を呼び止めていた行為はもしかすると、その時できる最善、だったのかもしれない。そう考えることはできても、それが「入居者の行動を制限しない行為」だとは思えず、施錠をしていないことだけしか伝えないのは、おかしいと思いました。
鍵を降ろす音が聞こえないだけに、罪の意識が薄れてしまう気がして恐いと思いました。
自分自身もそうだけど、プライドをもつことの前に、変なプライドを捨てることのほうが先決かなと思います。
和田先生、こんばんは。
そうですね…「家もいいけど、ここも好き」と入居者が思える場所がたくさんできるといいですね!
認定症の表れ方で環境を整える 見守りこえかけで 思いとどまって頂く あるいは軟禁状態も致し方ない。 その方バックグランドを探り スタッフ一同 考え 思考錯誤を繰り返しておられると思います。今の援助が正解なのか リーダーもわからないかもしれません。ご家族や会社の方針の縛りもあります。個々の関わりのなかでスルーされがちな事も拾っていく事がご本人の幸いにつながったりご家族や会社には迷惑だったり コーディネート大切 大変と感じてます。 ちなみに私は 一番下っぱですので 勝手な事 考えておりますが。
やまねこさんのコメントをみて ふと思いました。 婆さま達だってどうしていいのかわからないかもしれません。自宅に一度戻っても さぁ帰ろうかみたいな事もあります。居場所作り 大変な仕事と思い知らされます。
私が働いているグループホームでは
ドアを閉めると自動的に鍵が閉まる仕組みになっています。
正直、鍵が閉まる音を聞くと悲しい気持ちになります。外の世界との壁を感じます。
今、まだ私は19で経験も浅いので何もできないですが、いつか、施錠がないか1日のうち少しでも自由に出入りできるグループホームに変えていきたいです。
認知症になると、本人の意思とは無関係に自宅生活をはぎ取られてしまう。
特養、グループホーム、特定施設などの入居型施設に入っている人の多くは、
本人の意思によるものではなく、家族や行政関係者など、取り巻く連中の意思によって入居させられているのである。
その時点で、「尊厳」も「人格」も「人権」もあったものではないが、キレイごとではすまされないのも事実。本人の意思に反して「軟禁状態」に置かれているのである。(和田先生のコメントより、引用)
※夜勤のトイレ誘導時、職員の手を握って『家に帰りたい』『あんた、頼むね・・』と涙目で訴えられる度、胸が詰まり、家族はこの現実を知っているのか!!と
無常の寂寥感に捕らわれる。
【認知症グループホーム勤務 介護福祉士】
私の息子もヘルパー2級の資格を取り在る介護施設へ勤めましたが…和田さんと同じ様な思いを感じられたそうです。そして管理者の方から君には合わないといわれて3か月でクビになりましたが…そこの施設はリーダー以外3か月で辞めているとか…息子も和田さんの様な指導者の下で指導を受けたら…受ける事が出来たら良かったのにと番組を見て思いました。これからも頑張ってください
今夜深夜、たまたまNHKを見てたら、プロフェッショナルの再放送で、和田さんを見ました。
和田さんって、なあんて素敵な笑顔でパワフルなんだろうって感動!!!でした。
施設に入所しておられる方々の笑顔は、最高に可愛くて生きてるって感じの証しだと感じました。
私の母親も、今年2月からせん妄状態になり、心療内科へ入院しております。4月に母の介護をしていた父を突然亡くし、いま、介護休暇を取り、母の介護をしています!!
毎日、母へ会いに行きますが、母はまったく笑いません。笑顔がないんです。。。
いつも、ぶっすぅ~としています!!!
なあんで、私はいつも笑顔で母に話しかけています。でも、母は「なにがおかしいかね。笑ってばっか」と言ってきます。でも、私はいつも笑顔です!!!
なにがあっても、笑顔です。
今夜、和田さんを見てて、あっ!!このまま笑顔で母に向き合えば大丈夫だと感じました。
素敵な笑顔をありがとうございました!!!
はじめまして。プロフェッショナルを見て、このブログにやってきました。私も介護の仕事をして10年ほどになります。和田さんの信念にとても共感しました。私にも、今強い信念があります。デイで勤めているのですが、人として当たり前の生活を送ってもらう。そのための、サポートをしたい!だからこそ、出来ることを奪わない。この信念の下、日々頑張っています。認知症であっても、人であることにはかわりない。誰かに、扉の鍵を閉められてしまうなんて、普通ではない。私は、そう思います。日々、悩み、自分に自問自答して進みたいと思います。頑張りましょうね!!
はじめまして。
僕は人の心を守る仕事が介護福祉士の仕事だと考えケアにあたってきました。
自分の周囲でも軟禁にあたる状態、見方次第では監禁にあたるような環境が多く存在します。
怪我をさせないが先行して介護福祉士の一番の業務目的の様に掲げられ、「人権」や「尊厳」などは勉強会などで聞くだけの言葉でしか無くなってしまっているような状態です。
お手本や見本のない介護の世界で、それでも和田先生の言葉は背中を押してくれる力になります。
こんにちは。NHKの番組を見て、数年前に京都の宇治で和田先生の講演を聞いたことを思い出しました。話の内容も、とても印象に残っていますが何より先生のユニークな人柄が忘れられません。先生と一緒に仕事ができたらきっと、もっと介護の仕事が好きになって、やりがいを持ってできるだろうなーって思います。訳あって今は無職ですが、再就職するなら、また絶対グループホームで和田先生の様な信念をもってケアしている所がいいと考えています。それか自分自身でそれを目指せる介護士になりたいです。
はじめまして。ホームヘルパー、二つのグループホーム勤務を経て現在は居宅介護支援事業所勤務です。プロフェッショナルを観て、現場を思い出しながらこのサイトにやってきました。初めてのグループホーム勤務で認知症介護の魅力に魅せられ、認知症ケア専門士の資格をとりました。認知症ケアも認知症の方も大好きです。認知症の方のケアには、いくら机上の勉強をしても認知症の方への愛情を持った視点がないと理解していることと実際のケアに乖離が出てしまいます。グループホームでの施錠の是非がよく論議されますが、要は介護者の目配りが疎かになることが問題なのだと思います。施錠することで介護者が安心するから…。私が今、一番心配なことは、大手企業がチェーン展開しているグループホームについてです。和田先生が運営されるようなグループホームばかりならよいのですが、ホームヘルパーの資格も持たず、何の研修も受けず、認知症ケアの理解がない人達が勤務するグループホームもたくさん存在します。一般の人は「グループホーム」というと、テレビで紹介されているような素晴らしい施設をイメージしてしまいます。これからは、ケアする人が、自分の親や自分が年老いて認知症になった時に入居したい施設を増やしていく必要があると感じています。
和田さん初めまして
今 介護職員基礎研修を受講しているものです。
夜中に 授業のレポートをまとめているとき
何気なくつけたテレビで
和田さんをしりました。
昨年3月 認知症だった父を亡くしました。
認知症と診断されて5年
あっという間に父の病状は進み 寝たきりになり誰にも看取られることなく 病院で 他界しました。
私たち家族は 認知症に対する知識が全くなかった事も 父をこのような形で亡くす原因だったとは思います。
暴力、徘徊
世間で言われる問題行動が現れはじめ
父は 近所やディケアの厄介者になってしまいました
「気持ちが悪いから、家から出さないでください」
「ディケアの利用者の迷惑になるから、利用しないでください」
ケアマネージャーから 心療内科で安定剤を処方してもらってください
と提案され
心療内科で処方された薬が強すぎて ある日目覚めなくなり 救急車で運ばれ 入院。
褥瘡ができ 病院で治療
亡くなるまでに 病院を3つ変わり
2つ目の病院では 自分で食事をとれ(口から)てたのにもかかわらず
3つ目病院で 半年後 他界
自分が勉強していくなかで、介護者は 利用者の問題点を見つけ… と教えられる中で
矛盾を感じる私です
何度 ケアマネさんに 泣き泣き相談に行ったことか。
「徘徊する父に、どんな風に 接したらいいですか?近所の方に理解していただける方法はないでしょうか?」
そのケアマネさんは
「もう時期 寝たきりになりますから それまでの辛抱です」
と言いました。
あの頃 私に もっと認知症に対する知識があれば
父はもっと笑顔でいられたのかも。
私たち家族は色々な選択を間違って 父にしてきました。
今になって解るなんて
後悔しても始まりませんが
縁あって 介護の勉強をする事になった私
父の様な経験をされる方がいないよう 願い
研修後 介護職に従事したいと思います。
長々と書きましたが
私も 和田さんのような考えを持って介護に従事して行きたいと思います。
和田さんに出会えたことに感謝しています
尊敬する和田さんですが、考え方がすごい〜!なんて思ったことは一度もありません。だけど
当たり前のことが当たり前のこととして通らない世界に「当たり前が通らないなんておかしい!」
って、はっきり言えちゃうところは雲の上!これからも尊敬できる「介護の世界」の壊し屋さんでいてください。
歩みは遅いけど、私達も自分の頭で考え、やってみて振り返りまた考え…最後には和田さんの謳ってることと同じだったよって思えたらうれしいです。和田さんの考えはマニュアル本としてじゃなく、参考書として大事に活用させていただきます。
教えて下さい。
うちの事業所も、施錠せず、行動を制止しない方針で日々居心地の良い居場所作りに努めています。
ですが、常にリスクは高く、転倒や事業所外へ出られることも有るので…
家族様には口頭で出来る限りの事はしますが、何が起きてもご了承下さいとお伝えし、今のところ苦情はでていませんが、口頭での約束だけでは、いつ家族様が変わるかが心配です。
文章での誓約書を交わしておいた方が良いのでしょうか?
内容はどんな文章がよいのでしょうか?
和田さん、初めまして。
プロフェッショナルを拝見し、大変に共感いたしました。大いに感動しました!
私はボランティアで、病院附属の老人ホームのお手伝いをしたことがあります。
その施設内には、利用者の共用スペースは廊下しかなく、職員の詰所の横に置いてあるテレビを、廊下のイスに座って視聴するだけしか、利用者の自由はありません。(畳敷きのスペースは皆無です。)
しかも、各入所者の個人スペースは、フローリングの床の上に据え置かれたベッドと、その脇のユニット家具の周囲のみです。
食事は食事専用の階で給食が出て、レクリエーションはやはり専用階で行われ、各階の移動など、全て管理されています。個人の自由は全くありません。
率直に感じたのは、「ここに入れば誰だって痴呆が進む…」ということです。私の家族には、絶対に入って欲しくない施設です。
それに対して、和田さんの施設では、入所者が自分を取り戻せる時間とスペースが確保されています。
私は、入所者の方々の表情が生き生きと冴える様子に、大変驚き、感心しました。
このような施設があったのだ!!と感動しました。
和田さんは和田さんの信念で進まれることを、心より応援しております。
和田さんの真摯な姿勢に、神様を見た気持ちです。
和田さんの取組みを拝見できたこと、本当にありがとうございました。
お久しぶりです。チョット介護とは何かまたまた悩みにふけてました。仕事となると、法律やら難しい事が多く、また介護だけじゃないスタッフの意識改善や課せられる問題に自問自答しておりました。施錠の問題はあたしも施錠しないことに賛成です。働きに来てる自分達も、仕事なら当たり前なのかもしれませんが、閉じ込められてる感を凄く感じる時があります。自分の意思で入所してない人がいるのも事実。そんな事を考えてたら、少しこれは本当に良いのだろうか、と自問自答になり、これまた何かに縛られてる気がして何だか気分が落ちてしまいます。年寄りが自分らしく、自分の今までのスタイルで過ごせる事が出来たら凄く楽しいだろーなと思います
福祉施設によって考え方が様々ある中で先生の考え方、生き様をTVで拝見し、とても参考になりました。自分や家族が将来、施設で生活をする事になったらと言う視点で見させて頂きました。この様な対応をしていただけると思うと温かい気持ちになりました。「自分が思った事を行動に移せる事って素敵 」って言うフレーズに感銘を受けました。私の職場はグループホームでは無いけれど創設者の方の方針で、家庭的な温かみのある雰囲気を…の考えで食事での食器は陶器にこだわっていたり、私が知っている他の施設より、根本的に温かみがある施設と感じています。番組を見て感じた事を私自身も言動に繋げて行きたいです。
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