交響交通
先日あるところで、特定施設やグループホームで外に出かけるときに「電車や路線バスなど公共交通機関を使う」と話すとびっくりされた。
公共交通機関の整っていない地域なら仕方なく自家用車になるだろうが、東京など都市部は公共交通機関が整備されており、市民生活には欠かせない。
市民生活の継続性を大事にするというなら、公共交通機関を使って外出するなんていうのは当たり前のことではないだろうかと逆に疑問をもってしまった。
僕が国鉄時代に携わっていた「障害者列車ひまわり号」という取り組みの原点は、1980年代初頭に東京のある病院がやっていた集い(今でいえばデイサービス)に来ていた障害のある高齢者が「一度でいいからもう一度列車に乗って旅がしたい」という切なる願いを言葉にしたことにあった。
僕もこの運動に携わってわかったことだが、障害のある人たちの移動手段に「公共交通機関」というのはなく、どこに行くにも自家用車だったようだ。
それは公共交通機関が使いにくかったこともあるが、支援の専門職たちの頭に、公共交通機関で目的地に向かうという極めて普通の感覚がなかったことも大いに影響していると思う。
だから特別養護老人ホームの人たちの外出も、バスや自家用車がほとんどで、路線バスや電車を使って移動するなんていうのは想定外なことなのだ。
介護保険前のデイケアで相談員をしていた時は、本人との会話の中で聞き洩らさなかった「また浅草に行きたいね」というのを「再び一人でバスに乗って浅草へ行けるように」という活動目標にして、自宅近くにある浅草行きのバス停までセンターの車で行き、そこからは路線バスで浅草まで出かけるなんていう取り組みをしていた(院長に陰で叱られたが。施設外は治療の場ではないと。でも本人はとても自信をとりもどしていた)。
東京都の社会復帰支援のための施設では「路線バス乗り方訓練」をしていたから、僕にとっては当たり前のように考えて取り組んでいたのだ。
もちろんグループホームの施設長時代は、自家用車での外出もしたが、公共交通機関(路線バス、電車)をたっぷり使って移動した。
自家用車は「閉鎖空間」だが、公共交通機関は「社会」そのものである。社会生活を営むことは介護保険法が謳う「自立した日常生活を営む」姿の重要な要素であり、公共交通機関による移動は社会生活には欠かせない。
あわせて婆さん達がいろんな人と出会う機会でもあり、逆に言えば市民が婆さんに触れる機会でもある。職員にとっては「認知症になっても市民生活を送ることができるように」の専門性を磨く貴重な時間である。
あるとき電車で移動中に、婆さんがいつもどおり大きな声で歌を歌い始めた(想定内)。付き添っていた職員はどうなるかと思ったようだが、周りにいた学生さん達が一緒に歌ってくれたそうだ。その時の職員の報告は「若い人は捨てたもんじゃないです」だった。
またあるときは、婆さん軍団におそれおののいたのか、若いやつらが一斉に席を譲ってくれたので、認知症のことをこそっと話すと、逆に婆さんが挨拶・言葉をもらった。
施設では大きな声を荒げる人の受診で路線バスに乗らざるを得なくなって心配したが、全く大きな声を出すこともなく車窓に見入っていたという話を聞いたこともある。
隣に座った人に事情を話すと「なんでそんな人が電車に乗っているの」とばかり最初は驚かれるが、そのうちちゃんと受け止めて話を聞いてくれたりする。まさに婆さんの外出は「出前サポーター養成講座」である。
1日に数本しか走らない鉄道路線の地域だって、時間をうまく設定して、ぜひ鉄道に乗って外出してみてほしい。路線バスに乗って移動してみてほしい。
遠方にしか買い物の場所がないところでも、近場の路線バスのバス停まで自家用車で行って、そこからは路線バスで買い物に出かけてみてほしい。婆さんへの説明はなんとでもなるだろう。
きっと普段では見せてもらえない婆さんの表情に出会え、市民との交流も芽生えることだろう。
そのときに「人が生きるうえで大切なこと」が見えたような気になり、人は響き合わせの生き物だということを感じられる、その大切な響き合わせを封じ込める今の支援策の恐ろしさに気づけるはずだから。
公共交通は「交響の宝山」である。どんどん活用を。
コメント
こんにちは。
ホントにそうだなぁ〜と思いつつ読みました。
入居者さんたちと公共交通機関であちこち出かけていてわかるのは、少しずつではあっても社会が変わっていっていることを実感できることです。
車椅子のひとがいると顕著ですが、認知症という状態にある方の対応もそうです。
少しずつ、少しずつですが、理解がされているように思います。
あちこち出歩いて、あまり迷惑がられることもなく、乗客の方達に席を譲られ、譲ってくださった方とうちの入居者さんとおしゃべりしつつ…
出歩くことで、この社会も変わっていくんですね。
がんばんなくちゃ。
一人であちこち出かけては道に迷い、何度も警察のお世話になって、という経緯でグループホームに入居された方がいました。入居後も「親戚の家に行く」と言うので、財布と携帯を渡して見送ると、道行く人に尋ねながら、バスと電車を乗り継いで、車内で席を譲られていたのか譲っていたのかはわかりませんが、となりのとなりのとなり町ぐらいの親戚の家になんとか辿りつきました。相手先にも事情はありますから、手前で職員が出現することにしたり、時には協力を(支え手の一員として)お願いして、先方の家でひとときを過ごし帰ってくることもありました。
前にお世話になっていたグループホームでの、「一人の人のある日の支援」にすぎないのですが、鍵をかけないことの意味や、徘徊などの周辺症状といわれて、ん?と考える時今もふと、思い起こす「一人の人のある日の姿」です。
今思えば、和田さんが出演されていたNHK「プロフェッショナル」でグループホームの方々が電車に乗って海に行かれていました。
その光景はあまりにも日常的で「当たり前」の姿で、気付かなかったのですが、公共交通機関を使って出掛けるってことは想定外なことだったのですね。
改めて振り返ると、私の勤務している施設のご利用者は自家用車で外出してました。バス停は門を出ると、見える所にあります。
私自身も車を運転しないので、買い物や旅行はバスや電車を利用します。
学生さん達に慰問に来てもらうことがあっても、こちらから運動会や文化祭を見に行くことはしない…。
自立支援、地域密着と言いつつも、考えがまだまだ教本を脱出してないなと思いました。
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