何となく
生きているといろんなものが目に入ってくる。
人間は自分の見ているものだけを脳で処理しているのではなく、目を通して入っていくる情報のすべてを無意識のうちに取り込んで処理しているようだ。
見たいと思って見たものではないが、何となく目にしたものに心動くときがたくさんある。
最近町の中でよく見かける光景が「がんばろう東北・日本」といった震災に関する励ましや決意の垂れ幕。
知らず知らずのうちに目に入る垂れ幕などは、無意識の意識化として効果があると脳研究者から聞いたことがある。
受験前に勉強部屋に貼る「めざせ!東大」や会社に掲げる「売上目標○○」などのスローガンも同じようなものだろう。
どんどん新しいビルに生まれ変わる都市部。都市部でなくても、昔ながらの瓦屋根の家、在来工法の日本家屋がどんどん姿を消している。北海道でも本土と変わらない街並みにとって代わられ、土地土地の風情を感じられなくなってきた。
そんな中にあってふと「昔のまんま」に出会うとホッとする。僕と同じ時代を過ごした人には共感してもらえるのではないか。
「かつを」なんて「を」を使った「かつお」という文字を見かけることもなくなったが、かつを節屋というのは皆無ではないか。これは奈良市で見かけた光景だが、バリバリの現役店である。
酒の量り売りをしている酒屋なんていうのも、僕が子どものころは当たり前に町の中に存在したが、今では超珍しい。これは200万都市名古屋市にある現役の酒屋だ。ここのキムチがうまい!
この写真を見て瞬間的に「なにこれ!」って違和感をもてる人はどれだけいるだろうか。
僕は助手席に乗っていたのだが、これには一瞬驚いた。
説明すると、交差点の向こう側の道は3車線の一方通行路ではなく、二車線道に右折道のある道である。僕らは青なので直進するのだが、左端の車は「違反車」で僕らの進行を妨害している光景なのだ。
でも、この町の雰囲気がなんとなく許せるのは、ドライバーは高齢者が多く、この車の方も高齢者だったからだろう。
どんまい、どんまい
信号待ちをしているとき、ふと視線を感じる時がある。この日も何となく視線を感じてあたりを見渡すと、なんとまぁ「ウルトラマンさん」が見つめているではないか。見守られているようで心強さを覚えたのは僕だけではないだろう。
逆に何気に足元に目をやるととても新鮮な光景を目にすることもある。僕は仕事の中で「きょろきょろ」が大切だと言っているが、きょろきょろとは情報収集ということだ。
無意識のうちには目に入らないものもある。自分の後ろ姿なんていうのは典型だ。
自分のつむじがどんなのかをまじまじと見たのはこれが初めてかもしれない。これを見るとちびっこの頭は「俺似」だと確信できた。連れあいも普段から「ちびっこの頭(頭の形、髪型、つむじの位置など)の変さ」に関心を寄せていただけに、写真を撮ってみて「僕との激似」に合点がいったようだ。
もひとつ言えば、僕の子だと証明されたようなもので、ちと嬉しかった。
生きていればいろんなことに出会う。
きっと僕が動けなくなってベッドの上で四六時中過ごすような状態になったら、動けないからこその今では得られないいろんなことに出会うのだろう。その時まで、楽しみにとっておきたい。
超速報
■2011年11月14日(月)午後。場所:名古屋市
長谷川和夫さん(医学博士、認知症介護・研究研修東京センター名誉センター長)の講演と「長谷川和夫with和田行男 笑劇トーク」が開催されます。
■2012年2月9日(木)午後。場所:名古屋市
池田学さん(医学博士・熊本大学教授)・町永俊雄さん(NHKエグゼクティブ・アナウンサー)と和田行男の催しが開催されます。内容等詳細は未定。
まだまだ先のことですが、予定して来てくだされば幸いです。決まりましたらブログで案内させていただきます。
コメント
さっきラジオで流れてた野球中継。ゲームの行方はいざ知らず…解説者の桑真さんのコメントが耳に留まりまして。これ
ピッチャーもキャッチャーも実はだいたいが失敗の連続。要所要所でそれを修正を(しようと)することができる者こそ、ベテランなんです。というようなこと。
コメント0もすっきりして良いけど、何となく埋めてしまおうかなあと、余計なお世話さまで書いちゃいました。
意識して考えまい、と思えば思うほど無意識に考える材料が飛び込んできて気に留めてしまう。
私だけ?
ziziさんへ
気を使っていただきありがとうございます。コメントゼロに、自分は何となく寂しさを感じてましたので、嬉しかったです。杯
それよりも野球選手の話がステキですね。僕もベテランというのは修正能力に有ると思います。
無意識という意識は面白いですよ。
またステキな話を聞かせてください。
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