専門のおとなの目
被災体験や長引く避難所生活で、子どもたちの心に大きな変化が起こり、これまでになかった「乱暴なふるまい」や「すぐにカッとなる」という小中学生が増えているという新聞記事を見た。
子どもがけんかをするようになったり、言葉が荒くなる行動変化は阪神大震災後にもみられたようで、幾重にも重なり合うストレスが子どもの心を追い詰めているようだ。
こんな記事を読めば大人は「そりゃそうだよね」となるはずなのだが、これが認知症=婆さんだと「問題行動が出現した」となるから不思議である。
こうした子どもたちに対して「このような状況下で不安定になることは自然であり、湧きあがる感情を認め、受け止める時間が必要」(中日新聞4月30日付朝刊より)と、教育の専門職である教師・おとなは言っている。この教師の言っていることに異論を唱える人はいないだろう。
状況を鑑みて、不安定になることを「自然なこと」ととらえ、様々に出現する「できごと」を「受け止めることが必要だ」と言っているのだが、これは婆さん支援も同じである。
ところが婆さんの世界になると、こうはいかず、天地がひっくり返るから不思議だ。
自分にとっては身に覚えのない場所に連れてこられた婆さんは、特養・グループホーム・デイサービスなど介護保険事業所にはたくさんいて、何がなんだかちっともわからない中、周りからあれこれ言われたり・やられたりして怒りまくる婆さんたちがいる。
そんな環境に放り込まれた婆さんが、震災後の子どもたちにみられるように、自分に攻撃的な職員に粗暴な言動をふりまいたり、終始いらいらした言動をとることがあるのだが、婆さんの場合は「問題行動出現」ととらえられ、「問題行動だ!」ととらえる側が市民権を得、婆さんが悪者にされてしまうから怖い。
「暴力をふるう」「暴言をはく」「大声で叫ぶ」「介護に抵抗する」など、支援者の理屈で言いたい放題・やりたい放題にさらし、挙句の果て、まるで「狂人扱い」し、「閉じ込める」「縛る」「薬に漬け込む」など非人間扱いをふつうにしでかす。しかも、それが専門職のやることとばかり、非人間扱いする者が胸を張って何とか会で発表していたりするから始末におけない。
認知症のある人たちへの支援を専門の職とする僕らが「置かれた状況を鑑み、湧きあがる感情を認め、受け止めるために時間をかけることができない」としたら、僕らの専門性はゼロに等しく、そのために身に付けた専門性が発揮できないとしたら、実は口ほどに専門性が身についていないからとしか思えない。
子どもたちの心の奥底に目をやろうとする専門の目をもった大人たちのことを「育みの専門職」と呼ぶなら、婆さんの心の奥底に目をやろうとする専門の目をもった大人になれてこそ「生きることを支える専門職」といえるのではないか。
こんな時だからこそ子どもたちにはより専門の目が必要であり、こんな時でなくても認知症にはより専門の目が必要だということを、こんなときにこそ見つめなおすことが大事ではないか。
コメント
毎年花粉症の時期が終わるころに症状悪化していた。今年は確信した!症状悪化の大きな要因は黄砂!!!
そして毎年診てもらうじいちゃん先生が倒れた。。。肩書きのある医者や若い医者、果ては専門職まで、時代遅れで効率悪い医者と言っていた。私は大好き。どんな医者もよう診察しなかった認知症にかかったじいさんもへっちゃらで診てくれた。認知症が分からないと私に頭を下げて教えてくれと言った。専門外のケースは、ためらいなく若い専門医にSOS出した。
じいちゃん先生、カムバック!
まだまだじいちゃん先生に色々教えてもらいたい!
介護認定の項目に、徘徊・介護への抵抗・暴言暴力等当然のように入っている。国が公の事柄として扱っている。修正するにはどうしたらよいか。
新人たちは楽しい。提出書類をデスクの上に置いておくのは失礼であると先輩が注意。が、提出場所は決めておらず。どこに出せばいいの?と聞いたら先輩答えられず。先輩さんもがんばれ。
日曜日の勉強会、参加させていただきます。もう一人のまんまるいのと楽しみにしています。
よろしくお願いします。
日々の記録を書いていて思いました。
○時にトイレに入る。○○さんとこんな会話を交わしている。
書かれているのが自分だったら・・・
こんなことが許されるのは間違いなく、この人の役に立つと信頼されている専門職、だからであって、この人を管理するための専門職、だからではないはず。
記録を書くための目ではなく、ましてや都合よく管理するための目でもなく、必ずこの人の役に立つ、有り難い目をもっていたい。
私の中にも悪い目があることを時々自覚させられます。
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