ときの流れ
僕がこの業界に身を置かせてもらってから23年の月日が経った。時の流れを感じることはいろいろある。
ひとつには婆さんたちの生年月日から「明治」が消えてきたこと。先日も101歳の方が亡くなられたが、1910年明治43年生まれであった。
明治生まれの人は総人口の0.2%で約21万人(平成20年調査)ということだが、僕の周りからはどんどんいなくなってきている。
逆に働く人たちは平成生まれが多くなってきた。僕が今年56歳で昭和30年生まれだから、昭和20年戦前生まれの人も第一線からぐーんと減ってきているということでもある。当たり前のことだが、どんどん入れ替わってきているのだ。
学生の頃ふと思った「地球上のすべての人が入れ替わっていく」ということを実感する流れだが、誰にも止めることはできない。
今の時代は四つの元号生まれが同居している。明治・大正・昭和・平成である。その前に江戸・明治・大正・昭和の四時代(正確には四元号ではない)があったが、やがては昭和と平成だけの時代になるやもしれない。
先日もある研修会で自分が高齢者になった時に聞きたい懐メロは「浜○あゆみ」って言っていた。聞いてすぐに「婆さんになってあんな声出るかぁー」って思ったが「確かに」と時間の流れを感じた瞬間でもあった。今80歳の人の若者時代は昭和30年代だから、80歳の人にとっての浜崎あゆみは美空ひばりか。
テレビ放送が始まったのが昭和28年。今の80歳の人たちにとっては若者時代真っ最中が「生活面における大きな時代の転換期」だったはずだ。情報が視覚に代わり、洋の情報が増え、手動から電動・自動へ、石炭から石油へ、絹や綿から化繊へ、うんこ肥料から化学肥料へ、アナログからデジタルへ、地元から都会へ、和様式から洋様式へ、農から工へ、ありとあらゆるものが流れていた時代だ。
明治と言わず大正生まれの人も減ってきている。
もともと時代が短いため総数が少ない大正生まれではあるが、僕がこの業界に入った1987年で大正11年生まれの人が65歳であり、その頃の高齢者施設は明治・大正生まれの人たちばかりで、昭和生まれの人はマレであった。それが昭和生まれの人が主流になってきているのだから、まさに時の流れである。
来年は2012年。明治43年・大正元年が1912年だからちょうどその年に生まれた方は100歳になる。大正15年・昭和元年が1926年だからその年に生まれた方は女性が平均寿命に相当する86歳である。
大正元年(1912年)生まれの人が最大寿命(115年とする)を迎えるのが2027年。僕は72歳になる。その時にはほぼ大正生まれの方はいなくなり、そこまでいかなくても10年後にはみかけなくなるだろう(僕も自分を見かけなくなるかもしれない)。これからの10年は、いつもこんなことを考える僕にとって急速に流れていくのだ。
時代の流れと言えば「新幹線」もガンガン動いている。
1964年東京-大阪を結んだ夢の超特急ひかり号は47歳になり、つい先日青森から鹿児島までつながった。1973年ときの総理大臣田中角栄が列島改造計画を打ち出し、日本中を新幹線でつなぐ計画を発表したが、あれから38年その評価はどうあれ2000キロが「つながった」のだ。
しかも時代はどんどん流れており、大正元年生まれの人が115歳になる2027年には東京-大阪がリニア方式により時速500キロとなり67分で結ばれる。「夢の超特急」でさえ4時間(240分)もかかっていたのが63年後に67分。3分待てば食えるカップヌードルの誕生(1971年)に相当する驚きの速さだ。
僕はどうしてもこれに乗りたい。
理由は簡単明瞭、エセ鉄道マニアの血が騒ぐのだ。インスタントラーメン漬けだった僕にとってカップヌードル誕生以来の騒ぎなのだ。
これには大正生まれの人にぜひとも乗ってもらいたいし、生きている時間が短いのだから1番列車に招待してやって欲しいくらいだ。
大正生まれの人が最大寿命に到達する年にリニアが開業するのも何かの縁。大正生まれの人たちの希望者に招待状を送って生きる糧にしてもらう企画はどうだろう。少なくとも鉄道好きは乗るために尽力するはず。医療費・介護保険料が下がるかも。
ただし大正生まれの人は約560万人(平成20年調査)いるから、鉄道会社もカケやけどね。ただいい企画やけど挑戦する人がいないかもね。最大寿命なんて聞いたこともない人がいっぱいいるやろうし、115歳まで生きられる・生きるなんて考えたこともないやろうから。それを考えるいい機会でもあるんやけどな。
時の流れ。
それを感じるのは物事が動いているからか。今日のテーマで言えば、日本という国も西暦しかなければ明治も大正も昭和も平成もないわけで、ここまで「流れ」を感じることはなかったかもしれない。鉄道もいまだに動力が蒸気機関だったら、240分を67分に短縮できるはずもなく、ここまで「流れ」を実感できなかったかもしれない。僕も江戸時代の中期頃に生きていたとしたら、時の流れを感じるのは子供の成長、親の死、自分や妻の老い、米や野菜の生育、日の昇り沈み、春夏秋冬くらいなものだったかもしれない。
今でも伝統を重んじて昔ながらの生活を続けているアマゾンの原住民が「文明と出会ったときに自分たちの歴史は終わった」と話していたが、ずっと昔からの変わらぬ生活を続けていたとしても地球が生きている以上、時の流れとは無縁に生きてはいけないし、変化を感じとることは生きていくうえでとても大切なことのように思う。
「子ども叱るな来た道じゃ、年寄り笑うな行く道じゃ」
僕がこの仕事をしていくうえで確信を与えてくれた坊さんの言葉(永六輔氏の著書でも紹介されている)だが、これも時の流れを端的にあらわした名言だと思う。
ちっとも中身のない長文になったが、これも今日の僕の表れであり、文字は今日の僕を文字の中に封じ込めるので流してはくれない。文字はこうして良いも悪いも時を止めるように思えるが、坊さんの言葉は流れているから驚きである。
流れは僕にときめきを与えてくれる肥やしであるが、止まって欲しいと思う時もある。そのどちらも自分にとって都合よくあってこそ、僕にとっては生きていることを実感できる瞬間なのだ。
追伸
介護職たちの集まりで「そんなに愚痴や不平不満をたらたら言うんやったら自分たちで事業をやれ!自分は何にもわからんけど一緒にやるから。」ってNPOを立ち上げて訪問介護や認知症対応型通所介護の事業を始めた人に出会ったが、野性的パワー溢れてたわ。
その人いわく、そこにいたメンバーみんなNPOに参画したそうだが、誰も愚痴や不平不満を言わなくなったとか。やはり「主体になる」って大事やね。
大逆転の痴呆ケアが出版された直後の和田の研修会に、希望があって職員全員を参加させたって言ってくれてたけど、わかる気がする。「主体」を重んじるからやろね。
【ご案内】
波女セミナー「最期まで☆食べられる・拘縮させない支援を」
日時:2011年5月8日(日)14時30分~18時
場所:ウインクあいち 小ホール(愛知県名古屋市)
講演:牧野日和氏(言語聴覚士、臨床心理士)、田中義行氏(理学療法士)
対談:司会進行・和田行男
【詳細】
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コメント
ユニークな詩?見つけました
http://karada-genki.blogdehp.ne.jp/article/13934396.html
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