悪気もなく2
悪気なくというのは無邪気でいいが、専門職が無邪気では怖い。
技や術や業よりも、「人」をもっともっと見つめることがこの業界には必要だと思うし、学も学生の頃から「ヒトと人を知る」ことに力を入れないと、悪ぶることなく悪気なく人を人とも思わないようなことを平気でしかねないと先週締めくくったが、その少し前にこんな出来事に遭遇したことを思いだした。
電車の中は空いていたが、僕の横と前の座席に女子高生仲間が数人座り、前に座っている女子高生の横に学生風の男性がひとり座っていた。
その男性は座ったまま顔を天井に向け大きな口を開けて眠っていたのだが、電車の揺れに合わせてゆらゆら揺れていた。
彼の隣に座っている女子高生は、肩にもたれかかってくる彼を嫌がって立ち上がるわけでもなく、席を替えるわけでもなく、かといって成されるままにしているわけではなく、肩にもたれかかられそうになると座ったまま前傾してかわしていた。
その光景がおかしかったようで女子高生たちは笑っていた。笑いの種にしているくらいならどうにも思わなかったが、女子高生のうちの一人が、ぶざまな寝顔? の彼の写真を携帯電話で隠し撮りし始めたのだ。
よほど関わらないでおこうかとも思ったが、れっきとした犯罪であり、無邪気に悪気もなく犯罪行為に及んでいる女子高生を放っておけず、おせっかいにも「こら学生、写真を隠し撮るのは犯罪やで。やめろ!」と言ってしまった。
当然女子高生はブスっとした顔をして「消しますよ」とふてくされた。他の女子高生たちの中には「それはダメ」と思った学生もいただろうが、誰もが彼女に何も言わない(言えない)。
これで一件落着かと思っていたら、隠し撮りした女子高生が撮った写真を見て笑っている風だったので「おい学生、彼を起こして出るとこ出よか。ぱくられるで、わかってるのか。」って脅したら「わかってますよ」ってぶんむくれてたけど、あの写真が消されたかどうかはわからない。彼を起こしてやって駅員のところにでも連れて行ったほうが彼にとってはよかったかもしれないが、「わかってます」と言ったので、そこまではしなかった。
僕も他人に言えないようなひどいことをしてきた人間なので、この女子高生を一方的に責めようなどとは思わないが、「人の無様」を写真に撮って残し(ネットなどに流すかもしれない)、あとあとまで笑いの種にしようとする行為と、グループホームで排泄介助の婆さんの写真を撮って流すという事件とがだぶってしまったのだ。
大したことではなく悪ふざけの範疇と思っているような行為もれっきとした犯罪だったりするが、こうしたことを悪気もなく無邪気にしてしまうことが社会の中に蔓延し、その時代を通過した人たちが社会人になり、介護の業界に人が入ってくることになるのだ。
介護の世界は、人の無様といえば無様な言動が絶えない世界であり、笑いの種にされやすい人たちがたくさんいるため、悪気もなく無邪気に人を人とも思わないような言動に走る人たちの餌食となりやすいから悲惨である。
自分は法によって護られたいが、悪気もなく平気で法を犯す社会。
ある飲み会に行ったときの会話を聞いていると、セクハラ言動は女性としていやだけど、男性にするのは気にもしていない女性たちがいて、その人たちが「セクハラをする男性は最低!」なんて言っていたりする。その矛盾に気づけてさえいないのだ。
僕も婆さんの言動を笑いの種にしてきた一人であり今でもその一人だが、僕の言動とは異質のような気がするのは、自分を正当化しているだけなのかなぁ…。
ただこの原稿を書きながら思うのは、僕の中にも女子高生のような「悪ふざけ心」が潜んでいることを僕自身は知っており、こうして他人の言動を鏡にして向き合うことを繰り返さないと、その心が起き上がって悪ふざけ作業をしだすかもしれないという恐怖心が僕の中にある。
ブログに書き、人前で喋ることは、人を人とも思わなくなる自分との闘いの表われだということに気づかせてくれたのは、他ならぬ女子高生たちだったということだ。
悪気もなく犯している犯罪行為に気づけているか。僕のところのスタッフに投げかけてみたい(投げかけられる前に語り合うとは思うが…)。
コメント
先日電車の中で男の人の怒鳴りあいを目撃しました。立っている方が目の前に座っている男子につかみかかり、そのもう片手に傘を持っていたので瞬間‘傘だけは離してもらわなきゃ!”と思わず席を立ってしまった。大事に至らず収まったのですが、驚いたのは同じ車両に座っていた、たくさんの大人が皆、見て見ぬふりをしていたこと。(冷静な判断なのでしょうか?)
私も人のことなんて決して言えない。でも今までの一番の罪?はひどい場面を見ても、目を反らしてしまったことかもしれないです。ひどいことをされている人、しているひと、両者に対して。無関心でいることが一番ひどいことかなと思います。(無関心ではなかったけど)
忠告をくれた人、鏡になってくれた人には、今でも本当に感謝しています。
和田さん、皆さん、こんばんは。
私は、満員電車の中で・・・押されて電車の入った私を、その被害を受けた人から10分間まではいかないと思いますが、その人のつかまるつり革から、ずっと肘鉄を頭に受けていた経験を持ちます。もちろん、周りは見て見ぬふり。私も、その人の異常さがわかり無抵抗でした。その後、JRに相談しましたが、対処法を教えてもらっただけで解決策はありませんでした。それ以来、その車両には乗れなくなりました。
その時、和田さんや夜勤ヘルパーさんが乗っていてくれたらなんて、少しだけ思ってしまいました。でも、今だから話せますが、当時は帰りの電車にも乗れませんでした。
夜勤ヘルパーさんへ
一所懸命のコメント読みました。私は、一生懸命でなくて善いと思います。一所懸命のジグゾーパズルがつながって、やがて出来上がったものが、素敵な人生になるんだと思います。
グループホームで働いています。あまりにも私にとって衝撃でショックだったのでご意見聞きたくて。
うちのホームは二つのユニットが事務所を通じて行き来ができるようになっています。利用者の方は行き来しません。が中にいつの間にかうちのほうにトコトコ来られる方がいます、来たからといって何をするわけでもなくゆらゆらホールを散歩してます。気付いた職員が連れてったり迎えに来ることありますが気付いてない事も多いです。
通り道に椅子を置きブロックしていますがそれでも来られた時の職員の言ったことが、(えーもっと強力にせんといかんね)昨日職場に行ったらなんと、100均にあるというプラスチックの鎖がかかっていました あまりのことに、ここにいる片は、人間で動物ではない人をまして認知症のある方をどう思っているんだろう そこまで考える私はおかしいですか。
皆さん、お疲れ様です。
写メで思い出しました。以前勤務していた特養で、『ふらつきあり・歩行時は腕を抱え同行・高血圧』のリピーター男性利用者さんがショートで来られた時、昼食前に行方不明になって皆で探していると、いつの間にか2階から1階にエレベーターで降りて御自分で服を脱いでお風呂に入っていたのです。
問題は風呂に入っている姿と上がって満足している顔を主任格の男性職員が携帯のカメラで撮り、他の職員に見せていた事。
1人でお風呂に入っていた事と写真を撮った事はどちらも大きな問題として考えなければならないですよね。
施設(箱もの)では感覚が麻痺してしまいます。自分もそうならない様に努力しなければと戒めています。
大型施設に勤めていたころ、入居者にプロレス技をしかける職員をみかけた。あるとき(それまで本人には言えなかったんだけど)見かねて「だめ」だったか「やめなさい」だったか叫んでしまった。
さぞかし気まずい状況になるだろうと覚悟はしていたけど、予想外にもその人は、いろんな思いをしゃべり始めた。その一つに、自分は利用者ともっとふつうに触れ合いたいと思っているが、時間に追われる中でそれをすると、周りの職員に煙たがれる。自分は落ちこぼれ扱いされていると感じているとのこと。
虐待や犯罪に言い訳もへったくれもないかもしれないし、一概には言えないけど、自分の居る職場(広く捉えれば、自分の職種、もっと広く捉えて社会とか)で起きたことに、人が起こした事と・・と批難するばかりではいけないなあと考えさせられた一件です。
いたずら心(悪ふざけも一緒かな?)と、人としてしてはいけないこと(虐待や犯罪)につながることとは、似ていても異質かなあと私は読んでいて思いました。きちんと区別して考えなきゃといけないかな思う。
上の件で私がある時まで言えなかったのは、それまでの言動を「悪ふざけとは別物」と感じていながら、そのせいにしていたからだと思っています。
支援の中でいたずら心や悪ふざけがとてもいい味をだしてると感じることもあって(私は苦手分野なのでよけいに羨ましいなあと思うけど)、そういったものの延長線に、してはいけないことがあるんじゃなくて、別物として区別できるように考えられることが大切じゃないかなあとも思います。
皆さんこんにちは
あんずさんへ
コメントを拝見して思わず苦笑いです。
私の事業所はGHではありませんが、通い系の在宅サービスが複数入っている、いわゆる複合施設です。当然、利用者さんの行き来は自由ですよ。デイサービスの利用者さんが、ショートステイのフロアに行っていたり・・・。事務所にある私の椅子に座って書類を類整理をしている方もいます(笑)。
そもそも、○○さんはこっちのユニット、□□さんはこっちのユニット・・・って、事業者側のつごうですよね。
何処に行ったって、何処で過ごしたって良いじゃないですか。日本人の権利なんですから。
ぜひ、職員の皆さんで話し合ってみて下さい。
寺内さん、夜勤ヘルパーさんへ
たしか「金八先生」の中で『一所懸命(いっしょけんめい)』について生徒達に話していましたね。
「一つ所に身を置いて命を懸ける」だったか・・・。
自分なりに、そこに腰を据えて頑張り続ける『覚悟』のように捉えています。
認知症の状態にある方たちと関わり続ける上で必要なモノだとも思いますね。
ばあちゃまと言うにはまだまだ若い彼女が話された。有料老人ホームに入った友人を訪ねたそう。友人の居室で談笑中、職員さんが入ってきて、「おしっこはいいですか?」と言ったそう。彼女は違和感を感じたとのこと。この私は違和感を感じられる感覚を持っているだろうか。
最近は年齢性別関係なく、物事を即席に進めたり要望する。ゆっくり時間をかけて、自分の頭や心、体、感覚を駆使して何か行なうことが少なくなった。スピーディーに即結果が求められる。じゅっくり考え自分や仲間と作り上げることや失敗もまた楽しいのだけれど。
みな、時間に追われ結果を求められ、余裕なくきゅうきゅうとしがち。
空や鳥、花や木、景色をながめてコメントすると不思議がられる。骨董や絵画や昔の素晴らしい物を見に行くと変人と言われる。ゆっくり散歩すると暇でいいねと言われる。私はそうしないと心や体、感覚、感性が活かせない。感覚等麻痺して悪気ないとんでもないことをしないために。
くっつきむしが暴れだした。。。
笑っていられなくなっている。。。
関係者で集まって腹を据える話をする予定。
みな、一緒に腹をくくってくれるだろか。
和田さん、皆さん、こんにちは。
totoさんへ
私へのコメント有難うございます。
「一つ所に身を置いて命を懸ける」素敵な言葉です。確かに、一生懸命とはそう書きますものね。
「覚悟」・・・とか「命」・・・とか、最近は、軽い言葉が飛び交い、「覚悟」あまり使われなくなった気がします。「覚悟」素敵です。「命」の重さ、軽くなってしまったのでしょうか・・・?軽くしたくないですね・・・。大切にしたいです。
まんまるさんへ
まんまるさんのコメントいつも素敵なので、素敵な人ではないかと思いながらコメントを読んでいます。
箱の中(施設)にいると人間らしくなくなってしまうのでしょうか?私も、日々・・・気をつけています。
私は、いつも素敵なものを素敵だと言える人でありたいと思っています。美しいものは美しい!!!そんな綺麗な心にあこがれて、そんな人になりたいと思います。
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