熱中症と自在支援策
9月に入り、朝夕は涼風を感じるようになりました。それにしても今年の暑さには驚くばかり。未だに日中39度なんていう数字が新聞紙面に出てくるのですから油断大敵です。
暑さに耐え切れず「熱中症」によって多くの人たち、特に高齢者が犠牲になりましたが、これも人災でしょう。
要介護状態に至ると、ケアマネジャーを軸にして訪問介護、デイサービスなどの介護保険事業を使うことができるのですが、介護保険事業を使うということは「他人に触れる機会がある」ということで、その他人は専門職です。
専門職である他人が少なくとも週に1回は触れてくれるので、その機会に入浴など身体を清潔にしたり、栄養価を考えた食べ物にありつけたりと、「支え」を受け、そのことによって維持できたり、取り戻したりすることにつなげられていることは言うまでもありません。
ところが今年の猛暑は、専門職がかかわっている人たちにも容赦なく襲いかかり、専門職がかかわっているにもかかわらず、熱中症によりお亡くなりになる、あるいは重篤化するといった哀しい出来事を引き起こしています。
ケアマネジャーから「利用者さんが熱中症で亡くなられた」とか、デイサービスの職員から「うちの利用者が熱中症で救急搬送された」なんていう話を耳にしましたが、これが何を示しているかです。
この国の「支え策」は、自宅で過ごすことへの策として訪問介護や訪問看護などがあり、自宅から抜き出す策としてデイサービスなどがあります。
ケアマネジャーを軸にケアプランが立てられ、それにのっとって決められたとおりに訪問介護が自宅に来てくれ、デイサービスに通うことができるようになりますが、この「決められたとおりに専門職に会う=決められた時にしか会えない」という仕組みが熱中症に対応できなかったことがわかります。
その証に、朝からデイサービスに行っている人は、熱中症にはかからなかったのではないでしょうか。つまり、専門職がかかわっている時間帯及び時間数が、熱中症に対応できていたからですが、その時間以外の時間は対応しませんから、その時間に熱中症が襲うと「武器なき戦い状況」に追い込まれ、ただでさえ弱っている要介護状態にある高齢者にとってはやられるがままにならざるを得ないということです。
介護保険では、ケアマネジャーと小規模多機能型居宅介護は「決められたとおりでなくてもよい」という自在性をもっています。
ケアマネジャーは月に何度訪ねてもいいはずであり、日に何度訪ねても法的に問題はないでしょう(間違っていたら教えてください)。小規模多機能型居宅介護は、ケアマネジャーも訪問サービスも問題はないでしょう。
だからきっと、ケアマネジャーによっては、5月6月頃に比べて、比べものにならないほど頻繁に自宅訪問した人がいることでしょう。それも利用者によってでしょう。
うちの小規模多機能型居宅介護の責任者に「小規模多機能型居宅介護の利用者が自宅で熱中症になったら、小規模多機能型居宅介護をやめるからな」って言ったら「すでに利用者に応じてやっています」と返ってきました。
この仕組みを心得ている連中にますます信頼をおきましたが、デイサービスの職員たちが、通所曜日以外の日に頻繁に安否確認に行っていなかったからといって責めることはできません。
「決められたとおりの事業」と「自在性をもった事業」は、生まれつき性格が違うものですが、今年の猛暑は「自宅生活を応援する仕組みには自在性が欠かせないこと」を如実に示し、自在性のある事業や取り組みの優位性を示したのではないでしょうか。
和田は、小規模多機能型居宅介護事業のもつ「即時性」「自在性」「互助」などが、人手なし・金なし日本にとって輝きを増してくると考えていますが、それとて活かしてこそです。
小規模多機能型居宅介護は「訪問」「通い」「泊まり」「互助」という4つの大きな機能をもっていますが、最近は堂々と「訪問はしない」なんていう小規模多機能型居宅介護事業者がいるそうで、何をかいわんやです。
専門職が「状況(おかれている環境)や状態(心身の状況)に応じて支え(専門職の専門性)を自在に提供できる」という仕組みにも限界はありますが、小規模多機能型居宅介護がさらに効果的に機能できるような仕組みになることと、その仕組みの意図するところを理解した専門職の操縦によって、自宅生活を継続できるような社会構造を構築していきたいものです。
専門職がかかわりをもっていたにもかかわらず、防ぐことが可能な熱中症で哀しい出来事に至らしめたことから学び、次へと活かしていかなければと涼風を受けながら考えています。
追伸
ブログをまとめた本を出してくれることになりました。すでに校正が終わり、装丁(表紙)も決まり、「あとがき」を書かせてもらっている最中ですが、皆さんに支えてもらっていればこそ「言いたい放題の機会」を継続させてもらっているんだなとつくづく感じています。ありがとうございます。
コメントを寄せてくださった方のコメントを題材に書かせてもらった記事を一部掲載しますので、コメント寄稿者の寄稿者名が本に出てきます。お許しください。
今回の本では、学生時代に全国を歩き回って撮った蒸気機関車等の写真を20点くらい掲載させてもらいました。機関車と婆さん支援のかけ合わせです。よろしければ読んで見てください。
更新が遅くなってすいませんでした。
コメント
本出るんですね。楽しみです。
スタッフみんなで読みたいです。
うちの居宅ケアマネと訪問介護スタッフは「熱中症対策プラン&介護計画」を駆使して、なんとかこの夏、利用者さん方が熱中症にならずに乗り越えられそうです。認知症の方が自宅でお一人で過ごされるとき、いかに水分を摂ってもらえるか、いかに部屋の適温が保てるか、苦心していたようです。点と点のサービスだけどその間に線を結ぶ作業もやりがいがあるようですよ。
近所の小規模多機能でも訪問は一切しないというところがあるようです。他のサービスが使えないのに大丈夫か?と心配しちゃいます。
今年の夏は本当に暑いです。
少し暑さがおさまると、夏の疲れで体調崩す方もみえるので警戒中です。支援するじいちゃんばあちゃんだけでなく、家族もペットも花も畑も田んぼも弱っています。家族もペットも花も畑も田んぼも、じいちゃんばあちゃんの大事な宝です。
毎日たくさんの人と出会い、泣いたり笑ったり、腹が立ったり感動したり、おそろしい目にあったり。わくわくどきどき、スリルいっぱい。
介護保険事業であるからルールがあるのは分かります。様々な条件や課題の中で、あきらめず今できることは精いっぱいこなし、チャンスが来たら逃さない。このごろはしぶとくなりました。
蒸気機関車は、私の亡きじいちゃんばあちゃんちの思い出とリンクします。楽しみにしています。
7月は私事でコメントし、ご心配いただいた方々にこの場をお借りしてお礼申し上げます。
この度の災害では、人命も失われました。今も苦しんでいる方がいます。同じことが起きないよう、自分の立ち位置でできることからはじめたいと思っています。
うちの事業所もこの5月から小規模多機能居宅介護やっておりますが時々居宅のケアマネさんから要介護〇〇だったら通いと訪問泊まりどのくらい入れられますか?などと尋ねられますが言葉につまりますね。
例えば今うちの利用者さんに奥さんと2人暮らしのとてもお元気な認知症の90歳代男性がいらっしゃいます。優しく穏やかで礼儀正しくユーモアもおありになる、ただ、時々…いえ、しょっちゅう心配事を抱えられるようです。
奥さんが大腸癌の手術のため入院されて一月程になりますが毎日泊まってもらっています。そして奥さんの入院先へスタッフと日中お見舞いに行かれ「手術が無事に終わってよかったぁ」と面会の度に喜び退院の日を待っておられます。
私もグループホームのケアマネから小規模多機能居宅介護へ異動してまだ4ヶ月、解らないことは沢山ありますが解らない事は早く解るようになればいい、でも介護のプロとして「想い」は通して行きたい!なあんて思っています。
『認知症開花支援』楽しみです。
この状況に出合ったら、人としてフツーに手助けするって状況でも、制度の中に入ると、それが容易にはできない‘からくり’もある。だから疑問もわくけれど。せめて活かせることは・・・
活かすも亡くすもやり方しだいなんだと、見学させていただいた施設の在り方にそう感じました。
仕組みの趣旨を理解してこそ注ぐべきところに力を注げるし、活かせる。今ないものは、しょうがない。あるものを最大に活かし創意工夫して補ったり、その過程が、最初からあることより、価値があるようなことも。
簡単に、そこで働く方の想いを感じたとか言っちゃいけないのかもしれないけど、そのやり方にどうしても専門職の誇りを感じてしまいました。
オムツ交換をしながら「介護ってなに?」を考え始めたころのかつて?の想いにも通じるなあと。
3兄弟の話は仕組みがつくられていくことにも言えるのかなと思うんです。
仕組みの意図するところの理解不足や、理解していてもそれに沿って実行しなかったり。過用・誤用を繰り返し、その仕組みがもつ「本当のよいこと」を亡くさせて(廃用)しまわないようにと思う。理解して実行して、は並大抵ではないと思うけど、そのコツコツ・・が良い仕組みが定着することにも、関係しているのではでは。
この場をお借りしてすみません。9/3いろいろ学ばせてくださった施設で働く皆様に。ありがとうございました。
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