事に学び事にあたる
雨降って地固まるなんて言われるが、人は人に対してひどいこと・辛いこと・苦しいことを強いては教訓化し、活かしてきた歴史をもつ。数百万人の命を奪った太平洋戦争はその極みかもしれない。
先日訪ねた北の町の専門職たちも、まさに事に学び事にあたっていた。
グループホームから婆さんが外出したが、それに職員が気づけなかった。
婆さんにとっては、何か目的に向かって・意味をもっての外出だったのだろうが、行き着くこともできず、グループホームに戻ることもできず、亡くなってしまった。
もちろん職員たちは懸命の捜索を行ったが、見つけ出すことはできなかった。 その時には、グループホームの事業者団体が力を尽くした。他法人のグループホーム経営者・職員たちが、休みの日や夜勤の明けを利用して捜索に出かけ、一生懸命我が事として探したのだ。
それだけではなく、特養など他の事業の職員たちも我が事として捜索に加わった。
こうした「甲斐の行動」は、行方不明になった婆さんには「甲斐もなく」の結果しか出せなかったが、専門職や市民に「甲斐の仲間集団」を残した。
婆さんの捜索を通じて「この町で二度と悲しいことが起こらないように」 と事業者(法人)・事業の枠を超えて、団体の枠を超えて結束し、この出来事以降、行動をともにしている。
今回はその皆さんに招いてもらったのだが、460人もの人が集まってくれた。しかも定員オーバーで会場を変更したほどの反響だったようで、主催者が驚いていた。
僕は、そこにこの集団の力を感じた。
この集団は悲しい出来事でのスタートだったかもしれないが、「もう悲しませない集団」としてこの町に存在し、その集団の呼びかけに応じてこれだけの仲間が集まったことに感動したのだ。
亡くなられた婆さんに会ったことはないが、「婆さん、気づきをありがとう」って心から思えたし、僕らは「婆さんから学んだことは、ちゃんと婆さんに還さなあかん」って改めて思った。
来てくれた人たちに伝えきれなかったが、この町に根を張りつつあるこの市民の宝物を育んで欲しいし、さらにこの輪が大きく深みを増すために、専門職ひとりひとりがその一員であることを意識して欲しいと願っている。
また和田的には、専門職の枠をとっぱらって欲しいと欲を張りたい。 この北の町の取り組みは、必ずや全国的な広がりをもつだろうし、広げていかなければならない。
国民にとって利益ある行動があちこちで始まっている。行政、市民、事業者などの枠をとっぱらって行動しなければ、婆さんが最期まで日本国民の一員として生きていくことを応援するなんてできない。
北の町の人たちは、こんな悲しい出来事があったからといって、グループホームに鍵をかけて婆さんを四六時中監視下におき、囚人や特別な病人扱いするのではなく、最期まで市民として生きてもらいたくて、支える仲間を増やす道を選んだ。
市民にサポーター養成講座を仕かける専門職だが、自分たちも結束してサポーターになるための努力が欠けているのではないか。
北の町の取り組みは、そのことをも伝えてくれているのではないだろうか。
セミナーのご案内
田中義行先生 With 和田行男先生(サポーター)による
「潜在力を引き出す介助」 刊行記念セミナー
日時●2010年8月29日(日)…東京、9月12日(日)…大阪
会場●東京…女性と仕事の未来館(東京都港区芝)、大阪…チサンホテル新大阪(大阪市淀川区西中島)
主催●中央法規
受講料●5000円(税込み)
関連URL●http://www.chuohoki.co.jp/
コメント
地域密着型サービスの根本的理念は、最後まで住み慣れた場所で生活が出来る環境を整える、と言う点にあると思います。
多分、今、様々な地域で地域住民、行政、事業者等が環境作りに取り組み始めていると思います(思いたい!)。
福祉・医療に携わる者として人権と言うこと、安全を確保すると言うこと、微妙に相反する事に敏感に反応しながら日々関わって行かなくては・・・と感じています。
いたたまれない思いをかみしめて、捜索にあたったことを想い出します。
その後もこの町で、大事には至らず見つかったお年寄りもいました。寒い時期にはいっそうの迅速な対応が必要です。
寒いだろうな、疲れているだろうなって思いが、私たちを動かし、可能性を信じて起こりえる全てを想像し、応えが出るまで走りました。
どんな想いでここまで来たんだろうなぁと、切ない想いでした。
「SOSネットワーク」でFAXで情報が送られてきます。
ですが、とても少ない情報で、緊急性に欠けている印象を受けます。
お願いですが、写真などは個人情報保護など、問題もありますが、事前に整備しておく必要性の検討と、その後の経過報告をできるだけお願いしたいです。
この人どうなったんだろう、って突き詰める意識を全ての住民、国民に発信することが問題定義に通じると思うんですね。
結果によって講じるのではなくて、経過を伝えることで何かの方法が見つかるといいと思います。
誰もがいつかの自分である意識を持って考えていけるといいですね。
狭い狭いと感じていた介護の世界。自分自身に枠をくくりつけていなかったか考えさせられた。
自分のため、職場のため、ここにいる利用者のため、会社のため、所属している団体のため。どんな行動もそのひとつひとつがつながって、社会に影響を及ぼしていると思うと、責任は大きいし、やっぱり大変な職であり、やりがいがある、と今さらながら感じた。
北の町の人たちが、特別に立派な集団とは捉えたくない。人として、専門職としてのあたりまえの行動がつながってつながって、なるべくして生み出されたんだと思います。
鍵をかけないこと、ここに「込められたもの」を信念をもって大事にしたいし、人としてあたりまえの行動ができる人間でありたい。
誰かが仕組みをつくってくれる、とばかり思っていられないし、不平不満だけじゃなくできることもたくさんあると思った。
北の町の人たちにもきっと、葛藤や衝突があったんじゃないかと想像します。理解はできていないかもしれないけれど、本当にいろんなことを考えさせられました。
認知症で徘徊する人にも意味があると岐阜県の施設は職員も地域の人も高齢者に寄り添ってくれてたね♪布おむつで排泄する不快感を職員が体験してレポート書いたっけ(汗)
寄り添う事によって相手が何をしたいのかが理解できる事もあるんだよねぇ…寄り添う事で理解できれば実家へ帰るつもりだったとか読めるから知的の人にも言えるけど人間同士寄り添い助け合える社会になってほしいなぁ!
ちなみに実家の街は有線で『身長何センチ位の何色の服を着た方が…』と放送が入ってみんなが捜索に参加してたなぁ!
死亡した事は残念やけど脱走防止の施錠よりは温かい人のぬくもりがある施設やったんだろうね。
和田さん、皆さん、こんばんは。
残念ながら、栃木市は遅れています。このように素晴らしいつながりを作りたいです。それどころか・・・、私の勤務施設は閉じ込める施設です。
しかし、職員同士・・、出来ることを広げる努力をしています。敷地内だったら歩くことは自由なので天気のよい日に歩いたりしています。でも、この環境は刑務所と一緒です。敷地外には出られないのですから・・・。それでも限られた中に楽しみを見つけています。
家族の方が時間を作って外を一緒に歩かれますが、全く来られない家族の方もいらっしゃるので外に出られない方も大勢います。そこに口を挟むことはできないけれど、施設の方針に全く納得がいきません。
職員が変わり始めています。利用者主体で動き始めています。管理ではなく・・・、その人の希望に沿った自立支援に近づいています。
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