原則・基本・本質
飲み屋で話していると、意外にどうでもいいようなことで、自分の思いや意図とは無縁に、ど真剣な議論に発展することがしばしある。しかもそういう時は、サッカーの応援に負けないくらい、みんな熱くなる。
飲み屋の姉ちゃんからみればどうみても「同じ穴の狢」と思えるいいかげんな三人が、そのいいかげんの「度」について語りだした。
いいかげんに度数をつけて差別化を図ろうとしても、いいかげんには変わりはないのだが、いいかげんも突き詰めて考えていくと意外に面白いもので、同じように「いいかげんなヤツ」と括られ同じように思われる三人だとしても、ある言葉をくっつけると、微妙だが妙に「的を得た違い」に気づけたりする。
いいかげんの度数を要介護認定のように要介護1とか2といった単純な数字で表わせば「いいかげんさの顔」は見えないが、言葉にすると、その言葉のもつ意味を以って、何となく言い表わしているように感じるから、言葉のもつ力は凄い。
やまちゃんは「原則いいかげん」、自分は「基本いいかげん」、和田さんは「本質いいかげん」と自分君が切り出した。
こんな発想は飲み屋ならではである。
ノミニュケーションなんて大先輩がステキな言葉を教えてくれたが、酒と酒飲みの場はその雰囲気も手伝ってどうでもいいような話題にステキな衣を纏わさせてくれ、大いに愉しませてくれるから、酒をやめても飲み屋には行きたくなる。
こういう展開になると和田の頭はくるくる動き出し、何で三人が三人とも言葉の意味を確認して共有もしないのに、なんとなくではあるが「的を得ているように感じたのか」その言葉から調べたくなる。
もちろん自分君は、辞書に書いてあることを頭に入れて三人を分類したわけじゃないだろう。でも、普段何気なく使っている原則・基本・本質という似たような言葉を、何となくだとしても理解して使い分けていることはわかるし、それを聞いた和田さんもやまちゃんも、その理解に近い理解をもって聞き話している。
その互いの共通理解の上に立って、自分に対しても他の二人に対しても、いいかげんに「原則」「基本」「本質」という言葉(言葉の意味)をくっつけることで、その意味から「言いえて妙」とお互いに合意でき、「ほんまや!」とか「ピッタリ!」ということに至れたのではないか。
原則とは、(1)多くの場合にあてはまる基本的な規則や法則。(2)多くの場合に共通に適用される基本的な決まり。
基本とは、(1)物事が成り立つためのよりどころとなるおおもと。(2)判断、行動、方法などのよりどころとなるおおもと。
本質とは、(1)物事の本来の性質や姿。それなしにはその物が存在し得ない性質、要素。(2)物事の根本的な性質、要素。
※(1)と(2)は辞書の違い。
やまちゃんのいいかげんは、自分の中にある規則や法則にのっとってつくりだす「脳によってコントロールされたいいかげん」。
自分君のいいかげんは、自分の判断や行動、方法など物事を理由付けるために「脳によってコントロールされたいいかげん」。
和田さんのいいかげんは、どっからどう切り刻もうといいかげんしか出てこない「脳そのものがいいいかげん」。
こうやって文章にすると和田さん的には「ちょっと待ってぇーな」となるが、辞書を片手に話をしなくても、その時点ですでに「そうかもしれん」って思えるから面白い。
きっと和田も他の二人も、「基本」と「原則」の違いは不明朗でも、「基本・原則」と「本質」の違いはくっきりしており、自分君は自分とやまちゃんは「同じようないいかげん」で、和田さんはそれとは明らかに「質が違ういいかげん」という点で暗黙だが合意できたということだろう。
その違いを解明していくと、自分君とやまちゃんは「脳の支配下にあるいいかげん」でコントロールできるいいかげん、和田さんは「支配する脳がいいかげん」で脳そのものにいいかげんさをコントロールするという能力を備えていないということになる。
そういえば自分君はやまちゃんには、『「いいかげん」じゃなくて「いい・加減」だからね』ってどこかで聞いたことのある言葉を投げかけていたが、和田さんには言ってくれなかったような気がする。「いい・加減」は脳のコントロール下になければできない離れ業だから、コントロールするということがない和田さんには言ってくれなかったのだ。
そこで反撃開始である。
今度飲み屋でこの話題になったら、君たちは「ずるいいかげん」、俺は「純粋いかげん」って先制攻撃をする。
ずるいとは、(1)自分の利益のためにごまかしてうまく立ち回る性質。(2)自分の利益のために要領よく振る舞うさま。そういう性質であるさま。悪賢い。こすい。
純粋とは、(1)まじりけがない。けがれがない。(2)雑多なものがまじってない。
気づけたかどうかわからないが、この先制攻撃は鋭いようで脆いことに書いてから気づいた。
つまり、こうして自分に合わせて違う言葉をくっつけても「和田さんは、どうしようもない、手の施しようがない、いいかげんなヤツ」だということを自ら立証することでしかなかったということだ。
これからも自分のいいかげんとつき合っていくのか、周りに手間隙かけさせるのかと思うと情けないが、考えれば「これが和田さん」と仲良しの二人が思ってくれているおかげで、自分の本質いいかげんを「いい・加減」に周りが変化させてくれていることに気づける。きっとたくさんの人たちが自分を変化させてくれていることだろう。
これはまさに、婆さん支援の極意である。
周りに他人(ひと)がいてくれることで自分が自分でいられていることに、ただ感謝するのみである。お二人さん、いつもありがとね。
更新が遅れてごめんなさい。コメントでお約束した『点と面』は、パソコンの事情で次週にさせていただきます。お許しください。
【番組案内】
以前ブログで紹介した和田がよびかけ人になっている「お福の会」の仲間がテレビ番組に出ますので、ぜひ見てください。
番組:福祉ネットワーク
この人と福祉を語ろう
「認知症の人と家族の会」高見国生代表にきく。新時代”を切り開いた30年
放送日時:6月21日(月)
20:00~20:29 NHK教育テレビ
再放送:6月28日(月)
12:00~12:29 NHK教育テレビ
コメント
パソコンの事情で次週にしますだなんて(笑)・・・
点と線と面については楽しみにしていたんですよ!和田さんはきっとほろ酔い加減で今週の楽しかったこと、みんなに伝えたいばかりに筆が進んだんでしょう。
私自身今回、楽しくて本当にパソコン前でうんうん、へー、そうそうと口に出してたほどで、ブログの容量に宿題が収まらなかったんでしょうね(笑)
おかげで理屈や心の思いを言葉で書いて伝えることが凄く上手で前回の点とかの返事よりも和田さんの話術だけが聞ければいっかとおもいました。
楽しいって思わせてくださりありがとうございました。
「自分だけに純粋くっつける人がいちばんずるいと思いまーす!」
ともあれ「周りに他人(ひと)がいてくれることで自分が自分でいられていること」に私も感謝。
重たい引き出し整理して、これ、いちばん分かりやすいとこに入れときます。
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