改真考
改めて介護職として専門職として真剣に考えなければならない出来事に出会った。
虐待である。
和田から、全国各地で尽力している仲間たちへのメッセージです。
1 私たちはどう生きているか
誰もが他人から聞かれれば「虐待は許されること」「虐待をしてもよい」「虐待を放置してもよい」とは答えないでしょう。思わないでしょう。逆に「虐待を受けたい」とも思わないのではないでしょうか。
この国に生きる私たちは、自分が意識していようがいようまいが、誰もがその大きな社会的合意の中で互いに共存しているといえます。
私たちは国民の一員としてこの国で憲法や民法や刑法といった主たる法律だけでなく、そのほとんどの法文を教わり頭に入れて生活を営んでいるわけではないでしょう。
子どもの頃から日々生活の営みを通して、教わりや気づきから「これは、だめ」と感じ取り、自己をコントロールして生きているのではないでしょうか。つまり脳を駆使して生きているということです。
私たちは特別に意識することはなくとも、そうした社会の中で、その社会の一員として護られ、自分以外の人を護っているともいえ、そのことを決して忘れてはならないのです。
2 私たちの前にいる人たち
施設に入居した入居者は、加齢や疾病等によって要介護状態にはなり、何らかの事情で自宅での生活を継続することができなくなり施設に転居してきます。
施設に移り住むと「利用者」とか「入居者」と呼ばれる存在になりますが、忘れてはならないのは、どんな状態になっていたとしても、人であり国民であることに変わりはなく、人としての価値を否定されるものでも、この国で定められた基本的人権をはじめとする固有の権利を侵害されるものではないことを、決して忘れてはなりません。
私たちの前にいる人は、自分の能力で「それはおかしい」とか「人権侵害だ」と私たちを訴えることが難しく、私たちとは比べものにならないほど、人としての尊厳を奪われ人権を侵害され、人としての価値を否定されるリスクが高い人たちであることを忘れてはなりません。
3 職業人として
私たちは、人が生きていくことを支えることを職業にしている「生きること支援」の専門職です。
どんな専門職でも、法と法の精神にのっとって仕事をしていますが、特に私たちの仕事で言えば、「疾病をもっている」「認知症という状態にある」「障害をもっている」という、いわば「人の手が必要な状態」にある人たちとの関わりであり、自分の能力で自分を護れないからこそ、「人の手を必要としている」人たちでもあります。
その人たちが、私たちがかかわることで「人として生きる姿」を失ってしまっては、何のために私たちがいるのか、その存在意義が問われるというものです。
しかも私たちは、それを職業として自分の生活を成立させていますから、当然のように私的にだけでなく職業人として社会の期待に応えることが求められるのも、社会においては極めて当たり前のことであることを忘れてはなりません。
逆に考えれば、私たちは、社会の中で自分以外の人に求めていることでもあるのです。
4 恥ずべき法的保護策
平成17年11月1日「高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律」(高齢者虐待防止法)が成立し、平成18年4月1日から施行されました。
高齢者虐待防止法は、「養護者による高齢者虐待」と「養介護施設従事者等による高齢者虐待」を規定しています。
前述のように「虐待をしてはダメ」と思っていても、「虐待されたくない」と誰もが思っていても、虐待を受ける人たちがいるという事実が、この法律を成立させたのではないでしょうか。
しかも、肉親や、自分を支えてくれるはずの専門職から虐待を受けているという事実はとても重く、このような法律が必要な事態に対し、専門職として「恥ずかしい気持ち」をもつべきでしょう。
法が整備されたということは、法を守る義務と、法を犯したときの罪を義務付けられたということであり、私たちには国民として、養介護施設従事者としてこれを遵守していくことが求められているということです。
5 行政も憲法遵守を
私たちは専門職として自律しなければなりません。でも私たちだけが求められることでもないはずです。
平成19年11月認知症介護研究・研修センター(仙台・東京・大府)調査結果によると、グループホームで2200施設中256施設(回答施設中12%)、特別養護老人ホーム・老人保健施設で2400施設中365施設(回答施設中15%)から「虐待があった」と自主報告されていますが、虐待の原因トップは、経験年数や事業種別の違いに関わらず「業務多忙」だったそうです。
業務が多忙なことにより虐待を起こしても仕方がないとは決して思いませんが、こうした調査結果を考慮して、可能な限り業務が多忙を極めないように、できるだけ配置された人員が国民(利用者・入居者等)に関われるようにしていくべき課題が行政にあるのではないでしょうか。
にもかかわらず、現場から聞こえてくる悲鳴は、「都道府県と市区町村の両方から同じような調査依頼がくる」とか「指導等で求めてくる事務量が格段に増えている」とか「外部評価に情報公表のダブル」とか、これでもかこれでもかと国民(利用者・入居者等)から離れざるを得ない時間をつくってきます。
右手でかかわりを減らさざるを得ないことを求めて、左手でかかわらないと解決できないことを求められては、たまったものではありません。
しかも、自宅での生活を継続できるような仕組みが不十分なままにして、自宅での生活を継続できなくなるとグループホームや特養に本人の意思とは無関係に放り込(奴隷的拘束でしょ)、そのことには目をつむり、人員配置基準を未熟なままにしてコンプライアンスを現場にだけ求めるなんて、ご都合主義もはなはだしいと言わざるを得ません。
ここは行政関係者も専門職も家族も住民も一緒になって、あれこれ不十分なことを土台に、お互いに尽力するという合意が大事ではないでしょうか。
憲法には「国民の不断の努力によって」という素晴らしい一文が書かれています。
制度が未熟だから、業務が多忙だからを言い訳に「虐待という事件」を起こしてもよい・起こしても仕方がないは社会的に通用しません。事件は事件です。
だからこそ私たちは、自らは婆さんの前で自律を追求し、制度など仕組みをよりよいものにしていくために手をつないで行動することが必要なのです。
国民のために力を尽くしましょう。
ご案内
全国の皆さん、ぜひぜひ来てください。
【大牟田市に学ぶ地域作り】
◇主催:東京都地域密着型サービス事業者連絡協議会
◇日時:5月19日13:30~17:00(受付12:30)
◇場所:中野ZEROホール
最寄駅:JRまたは東京メトロ東西線「中野駅」南口から徒歩約8分
◇参加費:1000円
◇内容
○基調講演「大牟田市の取り組み」
池田武俊氏:大牟田市保健福祉部長寿社会推進課長
○シンポジウム「大牟田市に学ぶ地域づくり」
シンポジスト
・練馬区役高齢社会対策課長 関口氏
・世田谷区祖師谷あんしんすこやかセンター 稲垣氏
(地域包括支援センター)
・小金井市グループホーム のがわ 高浜氏
・青梅市小規模多機能型居宅介護 福わ家 井上氏
コーデュネーター
・認知症介護研究・研修東京センター主任研究主幹 永田久美子氏
アドバイザー
・大牟田市 池田武俊氏
○都市部の介護状況を考える
介護保険制度『地域係数格差について』
◇問合せ:東京都地域密着型サービス事業者連絡協議会事務局 TEL:03-3300-0979
◇申し込み:FAXにて 03-5314-2570 まで
・参加代表者名・人数・事業所名・代表者連絡先(電話・FAX・メール等)を記載して送ってください。
コメント
グループホームで独りのおばあちゃんが最期を迎えました。以前和田さんに看取りについて相談させて頂いた時、死ということは生きている事の延長線上であり、特別に捉える事はないとの言葉をいただきました。
看取り支援で何が正しくて何が間違いなのかとは私には今も分かりません。でも、生きる支援の延長線上と考える事により、最期まで、その人らしさの支援を少しでも出来たのではないか?と思います。
人を支援させていただいている私達の考え方しだいでその方達の生きる姿がいかようにでもなるのだと自覚し生きる支援を行なっていかなければと改めて思いました。
「ばあちゃんほんとにがんばったね、苦しさや、悲しさに寄り添う事しか出来ない私たちですが、ばあちゃんから教えてもらった沢山の思いやりや、優しさを忘れずにいます。ありがとう」
映画「おくりびと」の火葬場のシーンで、「死は門だと思う。死ぬって事は終わりではなく、そこをくぐりぬけて、次に進む」
介護の現場の私たちは、どのように「次の門まで」送ることが出来るだろう・・・・・
住み慣れた町で最期まで・・・・・
馴染みの人に囲まれて 看取られる・・・・・
しかしグループホームでの実際は、胃ろうになれば退居、入院が長引けば退居
しかもグループホームは、経済的にも余裕がないと利用できない。
人の死は、経済的、在宅、利用施設の入居基準、退去基準、心身低下の状況でも変わる。
私たちのホームは、看取りは行ってないが、次の門まで、なるべくギリギリまで、その利用者さんが生きたいように支えながら、見送ってあげたい。
沖縄での講演を楽しみにしております。
目指すべき専門職の姿があるとしたら、表裏一体でその裏には、虐待に象徴される人の姿が必ずあると思う。もっと掘り下げて真正面から裏側をみつめることで、またその裏にある目指すべきものがみえてくる気がします。
今、ホームを開設して5年目。初めてのターミナルの人を介護しています。命ってこんなに重いんだと改めて感じています。
ターミナルの前は確固たる信念みたいなものがありましたが、今は毎日揺らぎます。けれど医療では経験できない不思議な感じが、ホームにはあります。なんというかターミナルの方もホームの中になじんでいて、その方の一日のリズムがあって全く自然なんです。ほかのお年寄りの方も見舞いに来てくれたりしています。
医療では孤立化した死も、ホームではスタッフが今まで世話していたように、少し手をかけているけど、ゆったりしています。和田さん、これでいいですね。
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