脳のいたずら
今年の正月も荒れたけど、この春も大荒れやね。
桜もすっかり散った後だというのに、吐息は白く、小雪がちらつく東京。頭のなかの「地球温暖化」が冷めていきそうなほど「真冬の逆襲」である。
そんななか、訪問看護師たちの集まりに行く前夜にふと思い出した、想いの中で思い出し笑いしてしまった話があるので、紹介したい。
忘れもしない。
看護師の名前は鈴木ミエ子(仮名)、その夫の名前は鈴木げんじろう(仮名)という。ミエ子は病院では看護師の幹部(患部ではないからね)である。
あるとき自宅にいたミエ子に、自分の勤める病院の同僚から悲痛な声で電話がかかってきた。
「ミエ! 落ち着くのよ。いい、何を聞いても冷静にできる」
「ど、どうしたのよ。大丈夫だから言ってごらん」
「あんたの旦那が救急車で運ばれてきた。ゴルフ場で倒れたらしいのよ」
「えっ」
頭の中を巡るのは「あいつ出張に行っているはずなのに、何でゴルフ場なの…」だったがそれはそれ、すぐにかけつけた。
彼女は職業人として立派である。非常に危機管理能力に長けており「倒れた原因は脳卒中かな」「脳梗塞ならわたしゃ一生働き続けるしかないか」など病気や今後の予測をすることもさることながら、「私に出張だと嘘をついてきっと女とでも一緒に行っていたのではないか」と、そっちまで一気に処理。だから病院に着いてとった行動は、旦那のところに行ってもどうせCTスキャン中だろうからと「今」を見極め、まずは待合室を見て回り「オンナ」を探したそうだ(たくましい)。
「○○先生、どうなの」
CTを受けていたので画像を見ながら医師からの問診(質問)に「酒もタバコもひどいから、いつ何があってもおかしくない」などと冷静に話し、医師は患者の「妻鈴木ミエ子」から聞いた話を「夫鈴木けんじろう」のカルテに書いた。
CTが終了し、「カマ(CT)」から出てきて横たわっている夫を見て、すぐにはわからなかったが、どことなく違和感を感じた。
「見たことのない靴下、見たことのない下着だなぁ」
「触った足の感触も違うなぁ」
「そういや、うちの旦那にしては丈が短く感じるなぁ」
「うちの旦那の顔ってこんなんやったかいな…」
この瞬間に至るまで、それまで脳に取り込んだ情報に疑いもかけずに自分の旦那が倒れたと思い込んでいるミエ子の脳にとって、飛び込んできた情報を処理して「これは旦那ではない」と結論づけるまでには時間がかかったようだが、実は旦那ではなかったのだ。
この病院に勤める看護師に、ミエ子さんと同姓・同名・同年齢の「もうひとりの鈴木ミエ子」が存在し、その夫の名前が「鈴木けんじろう」で年齢も近い人だということがわかったのは、この出来事のあとのこと。
一報を入れてくれた同僚も、カルテに書き込んだ医師も、同僚から連絡を受けたミエ子も「鈴木けんじろう=鈴木げんじろう=ミエの夫=自分の旦那」になっていたということだ。
振り返れば、妻がどんなに優秀な看護師であったとしても、CT画像を初めて見て「これは夫とは違う」とは思えないわけで、僕らは表面的にしか自分の配偶者のことを知らないということでもある。
今なら間違いなく「社会問題」になり「書かれたカルテはどうなったの」「カルテを手にした医師に、鈴木けんじろうさんの奥さんですねって確認することをマニュアル化していなの」なんて突っ込みたくなる面白話ではあるが、思い込む脳・騙される脳・惑わされる脳を実感した看護師ミエ子は、その経験を婆さん支援に生かしていると話してくれた。
人形を抱っこして、話しかけ・微笑を投げかけながら、ご飯を食べさせ、あやし可愛がる婆さん。その婆さんが別の目的や意味のある行動に移った途端に人形をその場に置いて行こうとするので「可愛い赤ん坊を置きっぱなしにして行くんですか」って声をかけたら、「えっ、あなた、それぬいぐるみじゃないの。何をおかしなこと言ってるの」って言われても、「自分の経験から、そんな婆さんのことを受け止めることができるようになったのよ」と大笑いしながら話してくれたことを思い出したのである。
ミエ子さん、どうしてるやろ。
きっと認知症からどんなとんちんかんなことが起こっても、豪快に笑い飛ばして婆さん支援にあたっているんやろな。
気取ることもなく気負うこともなく、存在するだけで元気と勇気をふりまく雰囲気を醸し出し、気を持ち気持ちの良さを感じさせてくれるミエ子さんのことを、季節はずれ小雪が思い出させてくれた。
コメント
思い込むってやっかいですが、捉え方の違いでは楽しいですね。
同じテーマで研修、調査をしていると原点を忘れてしまう。現任研修の企画もやり方も同じようにしていると惰性になってしまう。そこからは疑問も知恵も出にくくなってしまう。3・4月は原点に戻る作業を与えてくれているのですね。
自分の脳を使うのは自分ですが、その脳に刺激を与えてくれた和田さんにいつも感謝です。
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